オスとメスの見わけ方 公演情報 オスとメスの見わけ方」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.5
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  • 満足度★★★

    (^-^)
    「男の一生」はとても面白かった。最初あまりの迫力にちょっと退いた。ネームを貼ったり剥がしたり、グルグル回るハンコ押しとか、その時の歯出し顔とか、笑い所が満載でした。女子チームは、・・・申し訳ないですが、私の趣味では全くなかったので。ホントにすいません。

  • 満足度★★★★

    私は見た!
     「オトコの一生」と「このヒフの下のトンネルを抜けた先に、わたし」の2本で構成するオムニバス。普段、大阪で活動するグループだが、今回が東京初進出だ。12月にも池袋シアターグリーンでの公演が決まっているとか。自分も初見の劇団だが、印象ではブラックユーモアたっぷりの大人向け苦コメ(苦いコメディー)と見た。無論、若い世代が観ても笑えると思うが、知識や経験の量、質によって一定の深読みが出来ると言うことである。まだ、若い人ばかりの劇団なので、今後、どんどん力をつけていって欲しい。

    ネタバレBOX

     ところで、「男の一生」もフランス語では、une vieで「女の一生」と同じタイトルで表せるのだが、無論、これはVieが女性名詞だからである。「女の一生」の場合は日本語に訳した訳者の名訳ということになろう。
     男は所詮鉄砲玉である。女にとって子種であれば何でも良い、というのが、本当の所だ。だって生物学的に生物の種に関わりなく、生命のプロトタイプは女性であって男性ではないから。従って、単性生殖は総て女性ということになりそうだ。実際、今後、生物界で♂が生まれなくなったら♀による単性生殖だけが種生き残りの手段となりそうである。実際、環境ホルモンの影響によって、自然界では、♂が激減しているのが実情である。
     ところで、今作では、♂と♀のアイデンティティーはその重さが桁違いである。何故、そんなことが言えるのかといえば、♂は総て役割(オトコ、ムスコ)などで表されるのに対して♀は総て固有名詞で表されているからである。これが、意味する所は明らかであろう。女は存在し、男は存在しない。♂の場合は役割だけが“存在”しているのである。平の駄目社員から課長になり部長になって出世して行くものの、仕事といえば、盲判を押すだけ。子供は持つものの、最後はアルツハイマーでお陀仏。何とも侘しい“人生”ではないか? というのが今作である。

    「このヒフの~」は、これに対し、自民党の救いようも無い阿保共の女性蔑視発言をみても明らかなように、橋下大阪市長の大阪都構想を実現する為と称して実施された“出直し選挙”なるものが平気で実行されてしまうような地盤の問題を炙り出しているようである。かつて横山ノックをトップに選んだ地域でもあるから、その政治センスは、東京と変わらぬ酷いものには違いない。何れにせよ、この歪み切った日本という名のアメリカ植民地では、正論を述べることはタブーであり、それが冠されるのは、下らないと言うのが悪ければ瑣末的な、リベラルの動向に関しては、公安垂れ流しの比較的正確に近い情報を流しつつ、政治的に大衆を操作する必要のある時には、トンデモナイ嘘を流すFSグループだとかの発刊する月刊誌だったりする「被植民地“国家”」の話である。出演者は、女性ばかりだ。で、若い女性記者が、極めて真っ当な記事を書くのだが、キャップ、デスクと思しき、彼女の上司は、彼女が母子家庭出身であることを、その意識の高さの原因として、真っ当な意見を恰も薄汚れた、毛嫌いすべき、鬱陶しく不潔で不純なものに感じられるよう、ねちねちと苛めを繰り返し、配置転換を強行する。その上で、彼女の興味・傾向とは縁遠い事象を記事にすることを強制するが、一所懸命に職務を全うしようとする彼女の取材対象そのものが、既に、その抱える社会的問題や軋轢によって内部から瓦解させられているような対象でしかない、という極めてブラックな笑いに満ちた作品である。因みに、最後に彼女の取材した人々は演劇を趣味でやっている人々なのだが、鳥や動物の形態模写が主で、而も、正規メンバー5人のうち登場する二人の内の一人は、公務員、警察官なのである。黒いではないか! 女性が、男性から未だ蔑視される社会にあって、権力の犬として機能している警察官が、己の解放を目指してやっていることが演劇なのは兎も角、それが、表現するものが、何らかの象徴であったり(動物農場のような)、敢えて誰か現実の政治屋を動物になぞらえて茶化しているわけでもない、ナンセンスそのものである所に、この植民地の深い闇を見るのである。沖縄密約に対する最高裁判決を見るにつけても、三権分立は愚か、このような判決を全員一致で判示したことによって、彼らに理性そのものが無いことを証明してしまったと同然である。而も、秘密保護法と名付けられた情報隠蔽法、共謀罪成立も射程に収めての判決である。誰に利するかは明らかであろう。本当のことを言おうか! 主権は、日本国民に無い。アメリカにあるのである。これだけが、合理的に導き出される答えだ!

     そのことを踏まえた上で2作目のタイトルの”わたし”に続くのは、は、見た。というこのレビューのタイトルである。

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