ミュージカル『ファントム』もう一つの“オペラ座の怪人” 公演情報 ミュージカル『ファントム』もう一つの“オペラ座の怪人”」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.0
1-3件 / 3件中
  • 満足度★★★

    等身大の怪人
    2階席と1階席の下手側。どちらもS席で2回観劇しました。

    「オペラ座の怪人」は映画や舞台で何度か観たのですが、「ファントム」を観るのは初めて。
    大まかなキャラクターやストーリーは同じですが、楽曲はまったく違うので新鮮な気持ちで観ました。

    全体を通した中で1番に印象に残ったのは、城田優氏によるまったく新しい怪人像。
    従来のエリックの持つ不気味さや恐ろしさは持ちながら、幼さや愛らしさ、それでいて狂気的な側面も見え隠れして、魅力的なキャラクターになっていました。
    ただ、19世紀後半の時代を生きる青年にはあまり見えないかも、という印象。
    様々なコンプレックを抱えながら女性に夢を見まくっている現代の引きこもり青年のイメージ。
    「オペラ座の怪人」という呼ぶにはライトな印象。そこで軽くなった印象を情緒豊かで重量感のある歌声でバランスを取っているように思いました。

    技術的な面で言うと、劇場の音響の関係であったのかないのか、2階席だとエリック以外の声量が少し弱く感じました。
    全体的にもっと舞台発声で声を出してもらいたかったです。
    また、せっかくの生オーケストラも、いかにもスピーカーを通しましたという音で聞こえてきたため、楽曲は良いのにもったいない。

    一方美術の面では、ある場面に出てきた森の紗幕がとても美しかったです。
    複雑に絡み合った光が通り抜けて、とても美しい情景を生み出していました。
    また教会のシーンのステンドグラスの照明も美しく、楽曲の美しさとも相まって1番感動した場面です。
    床に写った照明も綺麗なので、これは断然2階席から観た方が感動します


    いくつか気になる点もありましたが、アンサンブルの方が入り乱れるパリのシーンやビストロのシーンは目が足りない!と思うほど楽しく、
    終盤からラストにかけての、様々な愛の形が入り混じる情景はとても美しかったです。
    何より楽曲がとても美しいので、あともう1回くらい観ても良かったかな、と思いました。

  • 満足度★★★★

    運命に翻弄された才能あふれる者たち
     この物語は、運命に翻弄される才能あふれる
    者たちの悲劇である。
     原作は「オペラ座の怪人」。幾度となく
    映画や舞台、ミュージカル化された作品だが、
    他とは違う今作の大きな特徴は2つ。
    1つ目はファントム(怪人)ことエリックが
    等身大の若者として描かれている事。
    2つ目は、彼の出生の秘密が語られている事である。
     
     舞台は19世紀後半のパリ。一介の庶民に
    過ぎなかったクリスティーヌ(山下リオ)は
    「天使の歌声」と賞されるほどの美声の持ち主。
    幸運にも彼女はその美声のおかげで、上流階級の
    人間しか入れないオペラ座で、その才能を伸ばすべく
    レッスンを受ける事になった。
     そのオペラ座では、時折奇怪な事件が起きていた。
    犯人は全く判明されず、人々はそれをファントムの
    仕業と噂していた。
     ある日クリスティーヌは、オペラ座で天の声を
    聞く。聞けば、彼女に歌のレッスンを施してくれる
    という。ただし、声の主を詮索しないという条件で。
    その声の主こそ誰あろうファントムこと
    エリック(城田優)であった。
     彼は音楽の才能の持ち主。ピアノの演奏はもちろん、
    歌唱力も並々ならぬ実力。彼女の歌の才能と
    美貌に惚れた彼だったが、醜い容姿のせいで
    彼女の前に現れる事が出来ない。コンプレックスで
    人との交わりを一切絶っていたのだ。その彼に導かれ、
    クリスティーヌは才能を開花させ、ついに
    オペラ座の舞台で歌声を披露するチャンスを得る。
     
     やがて、クリスティーヌもエリックに
    恋心を抱くようになる。
     彼女の想いに、凍った心も徐々に解けていった
    エリックは、自身の出生の秘密を語り出す。
     彼の母はオペラ座の人気歌手だった
    ベラドーヴァ(山下リオ、二役)。彼女は
    運悪く、オペラ座を去らなければならなくなった。
    放浪の末、エリックを産む。美しき母に似ず
    醜悪な風貌で生まれてきた彼だったが、
    彼女はありったけの愛情を息子に注いだ。
    息子に大好きな音楽を教えた。母の愛に応え、
    彼もまた音楽が好きになった。
     しかし幸せはそう長くは続かない。母が死に、
    自分の容貌の醜さに気付いた彼は、
    絶望し心を閉ざすようになる。
     その彼が見出した唯一の希望が
    クリスティーヌだったのだ。
      果たして、クリスティーヌはチャンスを活かし、
    一流オペラ歌手への夢に踏み出す事が出来るのか?
     2人の想いは結ばれるのか?

     世間から隠れ、ベラドーヴァが赤ん坊の
    エリックをあやしながら子守唄を聴かせる
    シーンが凄く切ない。
    あふれんばかりの優しさの中にどこか悲しみを
    帯びた表情で子供を見つめる山下リオの演技が
    切なさを増幅させる。その悲しみは、
    母親の自分以外に彼が生まれてきた事を祝う人間が
    いないという悲運を息子に背負わせてしまったと
    いう自責の念から生じたものではないかと推測した。
    決して彼女は悪くないのに。
    物語前半で憧れの的というべきオペラ座の華やかさが
    描かれているだけに、余計に心が痛む。
     山下リオは21歳。この若さでその絶妙な
    表情が出来るとは驚きだ。
     
     母の悲運をも受け継いだエリック。好きな音楽を
    語ったり奏でたりする時の無邪気さ・純粋さ、
    愛する人に自分の気持ちを上手く伝え
    られないもどかしさ、好きな事を邪魔する者への
    敵意・憎悪、自分の気持ちに正直に
    生きる姿はまさに子供そのもの。彼はまさに
    今を生きる若者の象徴、大人たちの
    過去そのものと言える。純粋で不器用で
    弱い。だから観客の心を捉える。
    エリックの激しく揺れ動く感情と子供っぽい
    純真さを城田優は見事に体現していた。

     2人の才能と夢を引き継ぐ役が
    クリスティーヌだ。
     彼女の歌への真っ直ぐな愛情、オペラ
    歌手への純粋な夢、エリックを音楽の師匠として
    また一人の人間として尊敬する眼差し。
    観る者はそんな彼女を応援したくなる。
    夢を託したくなる。
    そう思わせるクリスティーヌを山下リオは
    見事に演じていた。
     洋服が映える長身に長い髪、凛としたオーラが
    漂う華麗な姿勢、夢への情熱やひたむきさ、
    エリックに向ける純真で温かい視線、
    そして美しい歌声。強いて言うなら、
    その歌声にもう少し力強さが加われば、
    より一層良くなると感じた。

     他にも、クリスティーヌへの嫉妬に狂う者、
    地位と金にあぐらをかく強欲な者などなど
    脇を固める登場人物たちも人間臭い
    キャラクターだ。
    だから、時代や国を越え、彼らが織り成す
    悲劇が、今を生きる私達の心に深く刻まれるのであろう。

     この物語には、クリスティーヌの夢の果ては
    描かれていない。しかし、様々な苦難を乗り越え
    夢を叶えて欲しいと、エリックだけでなく
    観ている者全てが願わずにはいられなくなる。
    エリックとベラドーヴァの分まで夢に向かって
    ひた走り、成就して欲しいと。

  • 満足度★★

    とてもプロの演出とは思えず…
    城田さんがファントム演じると知らされた時からずっと待ち焦がれていた公演でしたが、心底ガッカリしました。

    この作品は、宝塚で2度、大沢さんのファントムで、一度観ていて、その度感動した舞台でした。

    以前、城田さんがコンサートで、この楽曲を見事熱唱され、大変期待に胸を膨らませて観劇したのですが、キャストのせいではなく、あまりにも、演出がチープで、セットも、この作品の世界観を壊す作りで、その上、役者の出捌けが、ご都合主義で、ストーリーの流れを分断し、矛盾だらけで…。

    随所に、あり得なさ満載の、残念極まりない舞台になっていました。

    せっかく、山下リオさんのクリスティーヌの歌唱も良かったのに…。

    ネタバレBOX

    オペラ座のセットが、無機質な、スチール梯子様の階段をメインにして、それを場転の度に、スタッフがギシギシと動かし、まるで、舞台世界の情感をぶち壊しなことにまずビックリ。

    シャンドン伯爵役の日野さんには、当時の伯爵の気風は微塵も感じられず、その上、2階席には、台詞が不明瞭で、何を喋っているのか、全く聞き取れず。

    カルロッタのマルシアさんがソロを歌う場面は、オペラ座と言うより、「ジキルとハイド」の娼婦の館風な雰囲気の空間だし、エリックの父である、支配人ゲラールが、息子の本性を危惧して、エリックやクリステーヌを諭すために登場するシーンは、たとえ説得に失敗しても、台詞が終わると、あっさりと、心を残すこともなく、退場するし、どこもかしこも、これが、演劇のプロによる演出舞台とは、俄かに信じ難いシーンの連続でした。

    オペラ座の重厚さを、全て体感させてくれと無謀な希望は致しませんが、たとえ簡素なセットであっても、観る側の空想力を刺激するような説得力のある簡易舞台にしてほしかったと思いました。
    それでいて、ファントムが、クリステーヌに愛を告白する場面は、夢の中という設定なのか、そこだけ、まるで「真夏の夜の夢」のような幻想的な美しい舞台背景で、それまでの世界観とあまりにもギャップがあり過ぎて、それはそれで、かえって白けました。

    アンドリューロイドウエバーの怪人に比べて、人間描写が優れているこの「ファントム」、大好きな作品だっただけに、本当に悔しい思いさえしました。
    ファントム(エリック)の造型も、どうかすると、現代の引きこもりニート青年風で、違和感を覚えました。

    今まで必ず、涙なしには観られなかった、ゲラールの息子への懺悔のシーン、彼のソロナンバーは、この作品の要なのに、吉田栄作さんの心もとない歌唱につき合わされて、学芸会を見守る保護者のように、ハラハラして、感動どころの騒ぎではありませんでした。

    改めて、演出の手腕は、舞台の必須要素だということ、かつての宝塚版、小池修一郎さんの演出は素晴らしいということを痛感させられた舞台でした。

このページのQRコードです。

拡大