ムシノホシ 公演情報 ムシノホシ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.7
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  • 満足度★★★★★

    ミクロの視点から広大なマクロへの広がり
    「外」にも「内」にもあるマクロ。

    大駱駝艦を観はじめて20年以上になると思うが、その間の数々の作品の中にあって、本作『ムシノホシ』は、間違いなく私の中でのベストに入る作品だ。

    ネタバレBOX

    大駱駝艦の公演では、毎回、驚くことがある。

    いつからか、言葉を発したり、台詞を言ったりするようになっていたり、今回のように白塗りではなく、銀色(ゴールデンズの金色ではなく)だったりと、「いつもの」場所に安住することなく、大駱駝艦は、常に変化することに対して貪欲である。

    今回、ムシをテーマということで、ストレートに虫を想像させる姿と動きを見せた。
    そういうストレートな感じもチャレンジではないだろうか。
    誰が観ても「ムシ」なのだ。

    前回はウイルスがテーマであったが、こうしたベーシックなもの、微細なもの、がこの世界を形作っているという意識から、この作品は生まれたのだろう。
    「この世に生まれ入ったことこそ大いなる才能とする」と言い切る大駱駝艦だからこそ、「生」は大切なテーマであり、その「生」は我々だけで成り立っているのではないということを、思い起こし、それを見せることで、観客に感じ取ってほしかったのだと思う。

    「ムシたちは何を考えているのか」と、人間の目線で擬人化してもしょうがない。

    「あるがまま」「その姿、形、動きのまま」を踊ることで、見えて来るものもあろう。
    踊り手の人たちが、それを身体で感じたことは、観客にも伝わる。
    伝わり方はさまざまだ。
    しかし、それでいいのだろう。

    そしてそれは、具体的な「言葉」になるのではなく、「何だかわからないけど、ムシだ」「ムシが生きている」「ムシが死んでいる」という「そのまま」の姿だけで十分なのだろう。
    「言葉」にする必要もない。言葉にするのならば、語ればいいのだから。
    踊り手たちの身体によってトレースされたたムシが、観客の身体に入ってくる瞬間がある。

    今回の「ムシ」という視点は、ミクロであるが、マクロの世界を背中に背負っている。
    マクロを感じさせるのは、村松卓矢さんが芭蕉のような姿で現れ、俳句を詠むところだ。

    具体的な個である「ムシ」という生き物、それは単に「サイズ」だけのことではない、そのミクロが形成する「世界」、さらに侘び寂びに代表される広がる「感覚「感情」、それを俳句の世界で表していたのではないだろうか。俳句も17文字というミクロにマクロを表現しているのだから。「マクロをミクロに閉じ込めている」と言ってもいい。
    具体的なモノから、「感覚」「感情」という、途方もない広がりへ、だ。
    しかし、俳句と同様に、マクロはミクロの外にあるだけではなく、「内」にもあるのだ。

    大駱駝艦のヒエラルキーの頂点には、麿赤兒さんがいる。
    そして、その下にピラミッドのような関係が築かれている。
    舞台の上で、それははっきりとする。

    そうしたヒエラルキーはあっても、マクロの視点からは、ムシの麿赤兒さんはミクロの世界であり、マクロの感情に包まれていく。ヒエラルキーなんて関係ない。世界は感覚のサイズだけ広がっていくのだ。
    それがまた面白い。

    村松卓矢さんが「静」ならば、我妻恵美子さんは「動」である。
    ミクロの「ムシ」の世界を包む「静」と、破壊する「動」である。
    彼らの存在によって、ぐっと広がりと奥行きが見えた。

    最近、村松卓矢さんはこうした設定が多く、もっとアグレッシブに踊ってほしいと思うものの、逆にこうした「立つ」「歩く」だけで、さらに「台詞を言う」というのは、かなりの難度なのではないかとも思っている。「立つ」「歩く」だけで、観客を緊張させるのだから。

    一方の我妻恵美子さんは激しい。単に乱暴なのではなく、美しく調和を破壊していく。

    ムシを含む、この世界の無慈悲さと、儚さが、この2人の対比によって生まれている。

    今回、麿赤兒さんが、激しく動き回り、踊る。
    舞台上にいるシーンも多い。
    じっと、立ち、腕を少し動かすといったような、「渋い」踊りではない。
    一時期は、身体の線が崩れ、動きは大丈夫なのかと、不安に感じたこともあったが、「麿赤兒は健在」であった。
    他の踊り手たちと絡み合って、世界を動かしているような踊りだ。
    それにはシビれた。

    ジェフ・ミルズさんと尺八の土井啓輔さんの音楽も素晴らしく、電気と竹、洋と和の対比から、それが混沌となっていくことで、快感が増幅される。

    大駱駝艦を観はじめて20年以上になると思うが、その間の数々の作品の中にあって、本作『ムシノホシ』は、間違いなく、私の中でのベストに入る。
  • 満足度★★★★★

    初体験は衝撃的!!
    初めて大駱駝艦さんと、舞踏劇を目にしました。

    観方が分からないかったのでどうなるかと思ったのですが、どんどん作品世界に引き込まれて行きました。
    もっとも、自分の観方が拙いので、
    「何だか分からないけど、物凄いものを見た!」
    と言う位のレベルでしたが…。

    小賢しい芸術論で語ってほしくない
    (と言いいますか、それでは語りつくせないのは確実1)
    圧倒的な存在感と力強さがありました。

    この時代に生きられる事。
    大駱駝艦さんと共に生きられる時代に、共に生きていられる幸運に感謝した公演でした。

  • 満足度★★★★

    虫(6・4)と人間(5)
    ほぼ全裸に白塗りという舞踏のスタイルでありながら、あまり舞踏と結び付かないイメージがあるポップなエンターテインメント性もあって、美術と動きから様々なイメージが湧いてくる作品でした。

    舞踏手が円形に並び踊るシーンで始まり、日常的な服装を着ているのが新鮮でした。続くシーンでは一気に異世界の様相となり、頭にブリキのヤカンを被った男性舞踏手達が虫の様に地面を移動したり、お玉を目に付けて昆虫の目の様にした格好で現れたり、松尾芭蕉に扮した舞踏手が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と詠んだり、白いワンピースに赤い靴の女性舞踏手達が虫取り網を持って可憐に踊ったりと虫にまつわる様々なイメージが幻想的かつユーモラスに繰り広げられました。
    終盤、奥の壁に風になびく木の映像が写し出され能舞台を連想させ、次第に能の囃子が聞こえて来て、能の世界にイメージが繋がっていくのが印象的でした。
    ラストのシーンでは前身を銀色に塗り、自分の顔写真(白塗りをしていない良い笑顔の写真)を背中に貼り付けた舞踏手達が青い光の中で輝きながら踊り、異次元的な美しさがありました。

    5m程の金属パイプを沢山吊って舞台中央に四角形、四隅に円形の小さなエリアを作ってあり、虫篭あるいは牢獄の様でした。照明が当たった時の複雑な反射光が奇麗でした。

    5つのエリアに対応して舞踏手のグルーピングも5人単位が中心となっていて、5という数字がム=6とシ=4の間の数字であると同時に、指の数や「五体満足」から人間を連想させて、虫と人間の世界が重ね合わさって見えてのが興味深かったです。

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