遠雷にも似た 公演情報 遠雷にも似た」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.7
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  • 満足度★★★

    老婆心
     子供の形態模写が良い。何より自然に子供に寄り添っている普段の姿が想像できるような確かな観察を基にしていることが一目瞭然だ。

    ネタバレBOX

     ただ、ノラのようなタイプの女性ではなく、世間から期待される女性の範疇に留まって居る気はする。それが良いことか悪いことか一概には言えないが、それが合う人にとっては、それで良いのだとは思う。
     人は赤ん坊で生まれて幼児期に至り、子供時代、青春時代を過ごして大人になる。こんな当たり前のことの中に、多くの人は、忙しさ、しがらみ、数々の為すべきことに忙殺されて、何かを置いてきてしまったことを忘れる。
     好きだった音楽が何故、嫌になったか? ピアニカを鳴らす為の吹き口ホースにお母さんが名前を書いてくれるって言ってたのに、赤ちゃんができて忙しかったから、うっかり忘れちゃった! お母さん。それで、吹き口持っていかなかったら、いやな先生に、「吹き口が無かったら、演奏できないでしょ」って怒られて立たされて泣いた。でも、僕は、お兄ちゃんになるんだから、ちゃんとしなくちゃいけない。そう、何時も思っていると、学校に出掛ける時にお腹が痛くなる、小さかった頃のお父さん。山の一学年、三人の学校に通っていたお父さんが大好きだった先生は、音楽準備室で煙草を吸っていた。絵を描いていた。出来の悪い、でもチャンとしたい小さかったお父さんを、この先生は余り叱らなかった。遅刻した時も。きっと小さかったお父さんと同じで職員室が嫌いだったから。
     こんな感じで、誰もが忘れかけていた、幼い頃の思い出を湧きあがらせてくれる舞台だ。
     気掛かりは一点、F1事故で示されたように、この国の為政者に、現実を在りのままに評価し対応する能力は無い。逆に嘘で塗り固めて、再度、類似の事故を準備する有り様である。若狭湾の原発銀座などでも何十年も前から、大事故が懸念され、反対運動が続いているのだが、マスメディアで報じられることはない。F1事故を経験した我ら日本人で、現実を真正面から見る目を持った人々は、現在、未だ薄氷の上で大事故を免れている残りの原発群の周囲の命を恰も「末期の目」で見るように見ている。滅びを目前に見ている故に、其処に遊ぶ小さな命は、更に愛しく、最後の煌めきを放っているようにも見える。なぜなら原発が「止まって」いる。というのも本当は正確ではない。商業発電していないだけのことである。一度、点火された核燃料は、途中で消すことなどできはしない。制御棒を燃料棒の隙間に差し込んで反応を制御しているだけのことである。余り正確な比喩ではないが、車でいえば、アイドリングしている状態とでも考えて頂けると分かり易い。この状態で車のエンジンが止まっていると誰が言うだろうか? さらに、原発は、定期点検中であっても燃料棒は崩壊熱を出し続けるので水に漬けて燃料棒の熱を制御しなければならない。これができなくなれば忽ち、メルトダウンである。こんなに危険な核施設が日本中、至る所に作られてしまった。今、廃炉が決定されても、その作業にはなお数十年を要し、核廃棄物を何処に捨てるのかさえ決められない。誰が、こんな危険な塵を喜んで受け入れるものか! 
     ところで、ソ連が、チェルノブイリ事故後、一切の立ち入りを禁じた区域には、日本政府が、立ち入りを許したり、帰らせようとしている区域より線量が低い箇所がいくらもある。日本という国の為政者は、国民の命など歯牙にもかけないという事実は、何も今に始まったことではないことを、これ迄散々学んできたハズである。少しは、この阿保で、一切の倫理が欠如した下司共の正体を見、指弾すべきである。子供が傷つき、亡くなって最も傷つくのは母親である。そうなる前に、この「国」で何が起こっているのか、正確に見切る目を持って貰いたい。この柔らかい感性を持つ彼女達が、傷つき、後悔に苛まれることの無いよう、ちょっと厳しいかも知れないが、先に生きて来た者にしかできない予防注射である。
  • 満足度★★★★

    after talkに釘付け
    gmasalaのお二人の、なんてかわいらしいこと!!三度の飯より、踊る(ダンス)が大好き!!の感情がビシビシと伝わる、パワフルなステージでした。とにかく、細部にわたるまで、観客を魅了し続ける不思議なパワーに脱帽・・・オリジナリティ溢れる歌声も素晴らしい。幼少期の淡い記憶が呼び覚まされ、わずかに哀愁を感じるストーリーに共感。ふと海jへ灯台を見たくなりました。
    これから益々の御活躍に期待しています。

  • 満足度★★★★

    生きるのに必要なもの
    観劇の間中、ずっと吉本ばななの{アムリタ」を思い出していた。この小説の中でヒロインの祖父が「今のこの瞬間を覚えておきなさい。それはきっとお前たちの生きる力になるから。」(←すみません、うろ覚えです)というようなことを言うシーンがあるのですが、この言葉のとおりに、萌え出づる命や生きる力の原動力になる幸福な瞬間を様々に見せてくれた舞台でした。それは友人との楽しい思い出だったり、教師への憧憬であったり、みんなで合唱した歌であったりして、私たちは少年時代にこういう幸福な瞬間を体験するのだけれど、そしてそれは大いなる養分となって私たちの生命力を強くしてくれるのだけれど、たぶんあまりに日常的に過ぎて意識することもなく忘れ去ってしまうのだろう。けれど、苦しい思い出がフラッシュバックして人を苦しめるのと同じように、幸福な思い出もまたフラッシュバックしてどこかで私たちを支えてくれているのだと思う。そんなことを実感させてくれる舞台でした。

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