幻しの王 公演情報 幻しの王」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
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  • 満足度★★★★★

    老いと悔恨を、普遍性をもって骨太に描出。
    ピープルシアターとしては、このような小さなスペースでの公演は、30年ぶり、とのこと。

    今後も、知られていないが面白い翻訳劇などを、このような小スペースな場所でやっていきたい、と森井氏が語っていた。

    私のような小劇場偏愛家(客席数十くらいの小さなところでないと芝居に集中できない。客席100なんていうとかなり努力を要する)にとってはありがたいことである。

    今後も、どしどしやっていただきたい。


    さて、今回の公演、「老い」と「過ぎた人生への悔恨」を普遍性を以て、それだけに骨太に描いて、見事でした。

    やはり、ある程度の年齢を経た方に、ぜひおススメしたい演目。


    以下、ネタばれ。

    ネタバレBOX


    この物語の概要を、事前に知った時には、もっと「リア王」のウエイトが高く、また「狂人度」も高いのでは、と勝手に想像していたが、それほどではなく、むしろ幻妄と苛立ちに自己制御できなくなったリアルな老人像が描かれているように感じた。

    ある程度年齢を経た者なら、誰にでも思い当たる自分の人生についての感慨、自負、悔恨等々が、普遍性をもって描出され、そこに私は共感とカタルシスを感じた。

    リアル、と感じたのは、すでに私がその領域に入っているからかもしれないが(笑)。

  • 満足度★★★★

    時節も良い・・・
    仕事と老い、家族と老後について、とても身近な話題と絡めた、こぢんまりとした空間での役者の息遣いを味わいました。

  • 満足度★★★★

    熱演
     タイトルの“幻し”は無論、通常の日本語では誤用である。だからこそ、作・演出の森井 睦氏は、“し”を送ったのだ。それは、この物語に一種の浮力をつけたいが為であったと考える。つまり、日本でありながら、通常の日本ではない、夢見られた国、或いは幻想を纏った日本を描きたかった、ということでもあろうか。
     「リア王」で当たりをとった老俳優を演じるのは、ピープルシアターの看板役者、二宮 聡氏。非常に難しい役作りを熱演して見応えがあるのは、流石だ。娘役を演じるのは、これまた、この劇団になくてはならない名花、伊藤 知香さんとコトウ ロレナさん。(追記2013.12.17)

    ネタバレBOX

     先の原稿で“浮力”という言い方をしたが、深読みを許して貰えるならば、それは、既成日本への死刑宣告ですらあり得よう。実際、今作で描かれるリアは、真の自己たる道化も伴わず、一国の王であるより単に一家族の夫と妻子の関係に矮小化されている。
     即ち、老人養護ホームに遺棄されたリアとは、その本質に於いてシェイクスピアのそれとは根本を異にしていると言わねばならない。ここで描かれるリア否リア俳優として名を為した役者の人生は、あくまで、日本の現代史のある時期迄、実際アジア東端の生活として実在した家族の在り様をこそ原点にし、その崩壊を描くに当たって、シェイクスピアを援用しているのだ。
     従って、実際この作品で描かれるのは、妻と夫と愛人の三角関係と妻自殺をメルクマールとした娘三人との事後関係だ。末娘と姉二人との父に対する対応の差は、シェイクスピアの原作に近い。
     この関係は、然し乍ら、日本と幕末以降不平等通商条約を結んで大儲けをした欧米列強との関係を端的に表してもいるだろう。この不平等を克服しようと追いつき追い越せというスローガンの下に敗戦迄を突っ走った、という側面が確かに、日本近代史の過程にはあったと思えるのである。それは、無論、コンプレックスであるが、自分はそれを単純化した訳語、劣等感で済ませたいとは思わない。寧ろ、複合意識と訳したいのである。この方が、より原語にも近い訳だと考える。
     今作は、殆ど一人芝居という形式になっているが、この辺り、シナリオにもう少し工夫が欲しい所だ。自分の美意識レベルを意識化する為の内面的ストラグルを演じて欲しかったのである。それが出来ていない為に、劇団を代表する役者が熱演して尚、隙が出来てしまった。才能ある女優達も殆どファントームとしてしか出て来れない設定では、己の内面を曝け出す演技はおろか、自分自身を演じ切ることもできなかったのではないだろうか?
     この点、責を負うべきは、作・演出の森井 睦氏であろう。つか こうへいが、作・演出家として傑出していたのは、役者に合わないと思えば、本公演中であっても口立てで科白を変え、役者にフィットさせていったことだろう。役者本人が、それまで気づいていなかったような本質をつかが掴み取り科白化し得たからこそ、役者にも短時間で科白が入ったのではなかろうか? この辺り、演劇創造の場に於ける日本及び日本人の対人関係の創り方と在日の方々の持つ優しいメンタリティーの差が現れているようにも思う。その意味で今作は、単に演劇作品というレヴェルで観られるべきではなく、作品自体が文明・文化批評の方向性を持っていることに注意すべきである。

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