銀河鉄道の夜 公演情報 銀河鉄道の夜」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 5.0
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  • 満足度★★★★★

    本質を捉えながら独自の解釈
     賢治の世界を4次元というコンセプトで括り、この解釈に従って独自の世界を表現している点が創作者の主体的関与を表して小気味よい。余りにも当たり前のことで、殆ど誰も指摘しないが大切なことを言っておくと、作品が発表されたら、厳密な意味では、それは既に作者の意図を越えたものになっている。従ってそこから先、作品に起こることは受け手の解釈なのである。作品はそのものとして自立しており、受け手は己の想像力やロジックを最大限にして解釈する。今作では、ファーストシーンで、解釈宣言が行われ、その解釈に従って作品は、諸要素毎に咀嚼され、再構成されている。無論、原作の意図が、捻じ曲げられることはない。何故なら、原作の意図した所と向き合う為に、深く考え、作品と向き合って創られたことは、今作の隋所に現れているからである。(追記2014.1.1)

    ネタバレBOX

    以下、小生の解釈である。
     ザネリを中心に「お父さんがラッコの上着を云々」とジョバンニをからかうシーンが出てくる。その後のシーンで、ジョバンニの父らしき人物が、銀河鉄道の停車場に降り立ったジョバンニに語り掛けるシーンがある。将来、ジョバンニが、父を理解するであろうことが、その期待と共に語られるシーンには、無論、ジョバンニの父は獄に繋がれていることが含意されており、その嫌疑は、盗みや暴行、傷害などでは無い。思想犯としてである。所謂、社会主義者やアナーキスト、リベラリストとしてより、恐らくは凡人には理解できない何者かとしてである。型にはまらない人間を権力は煩がるのだ。それは官僚にとって面倒なことであるから。自分達が、箍を嵌めた軌道上を走らない者には、何故そうなのかを問わなければならないし、答え如何によっては、官僚自身のアイデンティティーを崩すからである。彼らは、裸形に向き合うことを恐れているのだ。無論、彼らが裸形に向き合った時点で彼らの構築してきたつもりの論理一切は崩れ去る。故に、彼らは自分の頭で考え、其処から演繹された結論に従って判断し行動を起こす者を恐れるのである。
     仮に百歩譲って普通の思想犯としてみようか。現在、この「国」で起こっている未曾有の事態は無論、この「国」だけで収まる問題ではない。安倍という阿保なボンボンだけの話ではないのである。石破や菅、竹中 平蔵等を取り込んでも話にならない。日本を植民地化しているアメリカに対してキチンとい物を言わなければならないのだ。自民党中枢は、そのお粗末な頭脳でアメリカを利用しているつもりかも知れないが、アメリカは、彼らよりしたたかである。そして自民党の影に隠れて暗躍しているのが、外務省、通商産業省、、防衛省の官僚達の多くであり、警視庁の公安部・警察庁所轄署警備課、道府県警察本部警備部などは組織の生き残りを賭けて情報隠蔽に血道を挙げていると見られている。その結果がどうなったか、火を見るより明らかであろう。無辜の民が拘束され、時に凄まじい拷問の為に命を落とし、或いは体を壊して例え釈放された後でも後遺症の為多くは短命でその生を終えた。無論、村八分などの社会的制裁を恐れて人々は見ざる聞かざる言わざるをその生活信条として自らを守ったのである。どれもこれも茶番だと知りながら。そのような排除社会で、命の根底から助け合いの必要を説き実践した者は、為政者の目にどう映ったであろうか? そして、民衆は、これら民衆の英雄をどう裏切ったのか? そういったことまで考えさせる深い内容である。
     最初に隠されるであろう情報の一つに福島第一原発人災の消息がある。隠して被害を更に取り返しのつかない物にする危険性が大だ。結果、地球上に生きる総ての動植物、細菌やウィルスに至る迄が、変異を受ける可能性がある。それも、数十万年に亘ってだ。僅か百年前の日本語ですら満足に読めない日本人がたくさんいるのに、こんな長い間、仮に放射性廃棄物の管理が出来た後、その危険性を過不足なく後世に伝える技術が確立されているとでも思っているのだろうか? 本気でそう考える連中が居るとすれば、愚か極まりない。大体、そんな厄介な廃棄物を管理する主体は国家だろう? だが、国家としてそんなに長く存在した国が歴史上一つもないのはどうしたことだ? 管理者も無し、伝え得る素材や技術も無しで何をしているのか? そういう問題に対しても、一つしか無い命にどう向き合うかを示すことで今作は向き合っているのである。
     蠍の話やタイタニック号沈没の話、鳥に含まれる水銀の話等々、何れも賢治作品に繰り返される普遍的テーマを含んでいる。蠍は、多くの小さな命を奪って自らの命を永らえてきたにも拘わらず、自分が追われて食べられそうになった時に一目散に逃げ、井戸に落ちて溺れ死んだことを悔やんで、黙って食べられてやれば良かったと考える。これは、「よだかの星」に共通する、皆の本当の幸せの為には自己犠牲も厭わない姿を、一つきりの命の弱さと靭さを示して深い。タイタニック沈没に関しては、死を前にした人倫の問題、身の処し方等本質的な問題が決して声高でもまた強制的でもない形で表現されており、受け手のイマジネーションに委ねられていることも重要な点である。本当に大切なことは、其々が、気付くべきことであって強制されるべきではないのだ!

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