アイ・アム・アン・エイリアン 公演情報 アイ・アム・アン・エイリアン」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.5
1-6件 / 6件中
  • 満足度★★★★★

    期待外れな秀作
    殺風景な会議室で、机も与えられない状態で重い題材を議論する。
    最初は、期待薄だったが、個々の役者が大小の差はあれど自己的で無責任な人物を演じる。
    重い題材の議論だけに、舞台なので誇張はしているが正直な感情表現でぶつけている。
    設定は荒っぽいが、物語の本質を突く上で、リアルな表現につながっている。
    それを観客として客観的にみることで、深刻な話も滑稽な様にみえてくる。
    巧みな展開で、誰の考えが正しくて、何が正解なのか、一般人だから分からないのか、有識者と言われる者には答えが導き出せるのか、そんなことを自然と考えさせられていることに気付いて、演出の効果だと思う。
    綺麗事や正論を並べるだけの議論なら別の結果になっただろう。
    一般人に決めさせることの問題を投げかける目的は達成していた。
    私の結論は、世の中には不条理が存在する事を認めることができずに、誰かに責任転嫁しまいがちなんだと気付かされました。

  • 満足度★★★★★

    真面目で真摯
    2012年3月初演以来二度目の観劇。

    議論が真面目で真摯であるだけに、所詮は役所仕事という皮肉さが浮き彫りになりました。

    ネタバレBOX

    内容はほぼ覚えていた通りでした。

    移植を受けるレシピエントが同条件の場合、どちらに移植するかを決定するための市民による審議会が法制化された社会での話。

    Aの斎藤ゆりちゃんとBの相川ゆうきくんが対象でしたが、事前にそれぞれの家族によるプレゼンテーションがあり、ゆりちゃんのお姉ちゃんのプレゼンテーションが特に素晴らしかったようです。オリンピック招致のときの滝クリさんたちのこともあって、原稿の推敲と練習が入念に行われたことが推察されました。

    徐々に真面目で真摯な議論がなされましたが、所詮は厚生労働省が責任を取らないがための審議会であるという皮肉さは認識しなければなりません。そして、ドナーのお姉ちゃんの反対にあって移植が中止され、少子化が一段と進むという役人の嘆きで終わりました。

    ところで、ヤクルト古田選手の名前が出てきて、如何にも昔っぽく、初演は随分古かったのかなと思いましたがなんてことはない2012年、これからも普遍的な話として再演するのであれば古田選手の名前は出さない方が宜しかろうと思いました。

    同じようにガストとかジョナサンなどの固有名詞もちょっと面白いのですが、いつまで存続するかも分からず、これらも止めた方が良いと思います。

    審議委員1番の会社員はスマホに見えましたが役人はガラ系、これらもスマホで統一した方が今、あるいは近未来を表現できるのではないかと思いました。
  • そこまで悪くないですよ。
    現時点で★2.5だけど、もっと多くの人が観たら平均3.2くらいはあるんじゃないですかね。少なくとも3は超えてるはず。個人的な感覚ですけどね。

    いくつもの作品で踏襲されてきた、全員合致を前提とした決議が物語を生む話。
    説明文にある通り、同条件のドナーに対してどちらに移植をするか決定を出すまでが描かれています。誰を生かして誰を殺すのか、極論を言えばそういう事。そんな立場になった時、人はどんな言動・行動を選ぶのか。何を守って何を晒すのか。熱さも冷たさもある目の離せない会話劇でした。

    因みに先にコメントされたお二人、話の筋をネタバレさていますからそれはBOXにお書きください。

    ネタバレBOX

    何よりも気になるのは何故ユニークポイントが学習院女子大学のpafe.GWCで公演をしているのか。山田さんが教授なのか、何かしらで関係しているのか。スタッフとして入り口から何人もの生徒さんが協力されていましたが、あの人々にとってこの公演の価値や意味はどうなっているのか。演目に出演者として学生も参加していて欲しかったです。

    山田さんのご挨拶は誠意的で好感だったのですが、上演前はなくても良かったかも。山田さんが日常の口調で語られた後、役者の台詞感が濃い喋り方に慣れるまで自分は少し時間が必要でした。

    議論したい女1と時間を気にする男1、子どもに対してもっと何か思い入れがある人物かと思ったものの。終盤にそういうのがあるのかと予想していたら特になくて。例えば男1の子どもには障害があるとか、女1は子どもが生めない体だけど保母さんをやってるとか。理論的な人に見せておいて実は人間味に溢れている、みたいなのが欲しかった。オネエの男3でもそういう事は出来たかも。昔は男として結婚もしていたけど子どもを亡くして奥さんと上手くいかなくなってオネエになった、みたいな。
    ドナーの母親の意思を確認する為にした電話。これを切っ掛けに物語が急転する予感もしたのですが。母親もドナーの子と一緒に事故死していたから父親だけの意思だったとか、この電話があったから家族が心臓の提供を考え直してしまうとか。
    欠席した人物にも何か意味を感じていたものの。例えばこの人がドナーやレシピエントに近い人物だったというのも話を膨らませる要素になった気がするのに。まずこの欠員によって決議する人数が奇数になるから、本題以外の何かを多数決で判断するという挿話も入れられたろうし。

    こうやってネガティブな方向を願う事こそ正に物語を欲してる証拠なんですが。

    司会の男5・古市さんがラストに見渡して一瞥くれるのは良かったですね。明らかに客席にも視線を向けていて、中央席にいた自分には強く刺さりました。
  • 議論の在り方を、議論しよう
    臓器移植のための心臓を、「A」「B」どちらのドナーに移植するか市民が議論する問題作。2009年、改正臓器移植法案が可決して国民の関心事となっことを契機に舞台化され、今回の公演で三度目となる。

    過去、学習院女子大学キャンパスの教室を使うスタイルを生かした、来場者と役者が円形状に座り、参加者としての臨場感を味わってもらう試みも あったらしい。三度目の舞台化では残念ながら こうした試みはみられず、〈常道〉のスタイルだった。

    一言で表せば、臓器移植の問題を考える上の教科書のようなストーリーである。もちろん、娯楽性において求められた「オネエ」「ギャル」「不真面目夫」等、その登場人物達は工夫を感じられる。しかし、臓器移植先のドナーを選ぶ対立する議論や、議論の進め方そのものを問う「逸脱した形式論」を繰り広げる手法は一貫していた。実は 参加者の一人が提供者か移植ドナーの親類だったり、実は議論そのものが「テスト」だったいうような、ストーリー展開の行方で引き込む作品ではない。参加者8人のはずが、1人欠席していた冒頭シーンも、「起こりうる」を形にしたまでだった。欠席者が その後の展開に無関係だったとは。

    今、社会では、脳死判定を「人の死」と定義した臓器移植の法整備が行われたため、ACジャパン(旧公共広告機構)の2013年度支援キャンペーンの下、臓器移植提供について広報活動が盛んである。今年度はタレントの安めぐみ さんが起用された。ラジオCMの内容を ご覧頂きたい。


    安さん 「安めぐみです。知ってました?
    保険証のウラに、もしもの時の事、書く欄があるの。」
    ナレーション 「臓器提供の意思表示は、健康保険証、
    運転免許証のウラで。意思表示カードやインターネットでもできます。」
    安さん 「もしもの時、私の意思がわからなかったら、
    大切な人を迷わせてしまうことになるから…。」
    ナレーション 「家族や大切な人のために、
    あなたの意思を表示してください。
    提供する、しない、どちらの意思も尊重されます。」
    安さん 「私はしてるよ。意思表示。」
    ナレーション 「日本臓器移植ネットワークです。
    ACジャパンは、この活動を支援しています。」


    欧州なら臓器移植はポピュラーな考え方だろうが、日本人は消極的傾向が強い。内閣府が本年度に実施した世論調査(10月公表)によると、臓器移植提供意思表示カード、運転免許証や保険証等に意思表示をした人は12.6%だ。触れる機会の多い身分証だから、過半数の人は記述欄の存在を知っているはず。消極的考え方の多さが伺える数字だ。他にも内閣府の世論調査は興味深い結果を示す。

    毎日新聞ネット版 2013年10月19日 20時49分
    【 内閣府が19日発表した「臓器移植に関する世論調査」によると、脳死になった家族が臓器提供の意思表示をしていなかった場合、提供を承諾しないとした人は49.5%で、承諾するとした人の38.6%を上回った。一方で、書面で意向が示されていれば意思を尊重するとした人は87.0%と高かった。

     2010年に改正臓器移植法が施行され、本人が拒否していなければ、家族の承諾で臓器提供が可能になった。しかし、提供につながるかどうかは、本人の意思表示が鍵であることを示す結果となった。厚生労働省の担当者は「提供する、しないに関わらず、意思表示はしてもらいたい」と話している。調査は法改正後初】

    日本では49%の親族が脳死状態に陥った本人の意思表示がない場合、臓器移植を承諾しない立場だ。つまり、半数は「臓器移植は特別な行為」という考え方である。メディアが広報活動を拡げてもなお、自らが脳死判定を受けた際、臓器を「提供」すると答えた人は43.1%だった。実際に意思表示をした人が12.6%なのだから、「提供する」のうち、(全員「提供する」の意思表示だったとしても)7割は確立された考え方ではない。死生観などを通し、過半数の人が臓器移植へ消極的傾向を持つ。これを踏まえ、先ほどのラジオCMを確認してほしい。

    「提供する、しない、どちらの意思も尊重されます。」のナレーションは、「提供する」の答えを先頭に置く。だが、日本の現状は半数の人が「本人の意思表示がなければ承諾せず」、しかも過半数が「臓器移植消極傾向」である。YES/NOの住民投票なら「提供する」が先頭にきても構わないが、国民の臓器移植へ対する意識が欧州と比べ消極的な以上、「提供しない」を先頭に置く順番が適切だろう。

    臓器移植の問題は、免許証や保険証に提供の有無を記載する欄が設けられ、日常生活のなかで欠かせないテーマとなっている。気を付けなければならないのは、「提供者は善」といった構図の広報活動がとられている点だろう。「非提供は無知」では決してない。ただ、「提供者を善」と位置付けるACの広報活動を国民が見聞きすれば、非提供の意思表示をした個人であることが社会的に良くないイメージを持たれる世論を形成してしまう。これが、日本社会の「空気」だ。

    ネタバレBOX

    この舞台の設定の特筆すべきは、被提供者が4歳児であり、しかも心臓を患っているため本人の意思確認をできないところだ。家庭の経済力、兄弟構成、生い立ち、家族のアピール力でしか、選ぶ基準はない。年齢制限を緩和した改正臓器移植法(16歳未満でも可能に)ならではの問題点をえぐる。本人(幼児)に会えば「どちらが可愛いか」が (潜在的な)基準になるかもしれない。残酷なものだ。

    議論もよかったが、むしろ強調したいのは上記の「人間の部分」である。休憩中の やり取り で対立していた参加者同士が一定のコンセンサスを得たシーンが象徴する。「人間の部分」は、議論を闘わせる際の日本人である。論点が不明確、感情論、流されやすい、一部の参加者が引っ張る…。つまり、臓器移植のみならず、「日本人と議論」という広いテーマで捉える方法も可能なのである。「Aのドナーか」「Bのドナーか」ではなく、大切なのは議論の在り方だろう。
  • 満足度★★★★★

    楽しかったです
    こういう公演は初めてで、新鮮でした。
    最初は戸惑いましたが、最後にいくにつれて、のめり込みました。

  • 満足度★★★

    アンビバレントな軽さが目立つ・・
    想像していたより軽さが目立つも、概ね楽しめました。

         ★3.7

    ネタバレBOX

    事態の緊急性を匂わせておきながら、十分な議論を要する必要性を説いて、敢えて反対意見側に回る流れが不自然のように感じた。
    大学の教室を使用して会議の臨場感を演出してましたが、いっそのこと、観客の立ち位置をフリーにして、壁にもたれて立ったまま聴講する者もいれば、そのまま床に腰を下ろす者もいる、なんて具合もよいかも。
    終盤における、集団の意思統一にもって行く物語の肝要の部分が弱く、カタルシスを喚起するに至らず。

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