夏の終わりの妹 公演情報 夏の終わりの妹」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.0
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  • 満足度★★★

    ミニマルの中に意味が見えてくる
    遊園地再生事業団『夏の終わりの妹』@あうるすぽっと。
    先月号の『すばる』(集英社)に、本作の小説版が載ったのですが、
    正直よく分からなかった(苦笑 こうして、舞台での、役者の動きと
    「ことば」に触れて、初めてその作品の持つ多重の意味に気付ける。
    今回も、深く考えさせられました。

    ネタバレBOX

    この作品は、主に三つの構造が複雑に入り混じっています。

    1つ目は大島渚監督の『夏の妹』のストーリーやそこでの台詞、
    2つ目は恐らく事前の役者へのインタビューを基にしたモノローグ、
    そして3つ目は謝花素子という沖縄出身、インタビュアー資格
    受験者の女性を主人公にしたフィクション。

    舞台美術も、衣装も白一色を基調とした中、文節を解体されながら
    コーラスのように役者間で繰り返される台詞、唯一ともいえる、
    舞台装置の簡素な椅子を用いての奇妙な動きを追ううちに、

    舞台の中で大きな役割を果たす架空の町、「汝滑町」(うぬぬめ
    まち)にある、これまた架空の制度、「インタビュアー資格制度」
    について、話は一直線に向かっていきます。

    「汝滑町」では、資格を有さない者は、何人にも問いを発する
    ことが出来ない。それ故に、あの「大震災」での多くの問い、
    「水は安全なのか」「いつ都市機能は回復するのか」「東京に
    汚染が広がっているというのは本当か」、というその全ては
    無効となり、誰も回答する者はいないのです。

    他にも、人々が孤立化し、お互いに「問い」「呼びかけ」を
    通じて交流し合うことが無くなった挙句、衰退をたどる一方の
    コミュニティ復活のために、本制度が既に「汝滑町」のみならず
    ニュータウンにまで導入され始めているということが語られます。

    しかし、その状況を横目に、謝花素子が10年間の歳月をかけて
    取得しようとした「インタビュアー資格」ヘのモチベーションは
    ただ一つ。「『夏の妹』を撮った監督にたった一つ。何故あの
    映画を撮影したのか、その意図を、私が分かるように聞きたい」。

    2013年1月7日。謝花素子はついに念願の資格を手にするのですが
    その一週間後、監督(大島渚)が亡くなった事を知ります。

    もう会うことが永遠にかなわなくなった人。永遠に、宙に浮く
    こととなった問い。その双方は、既に過去に、そして個人の
    記憶の中にしか存在しないものになったのでした。

    この作品、いつもの遊園地再生事業団と同じく、幾つもの意味や
    物語を入れ込んでいるから、一回で文章に落とし込むのがすごく
    難しいですね。ここに書いた以外にも、サイドストーリーに似た
    ものが数多く挟み込まれています。

    でも、観終わった後、問題意識、とか、あるはっきりとした
    喜怒哀楽の感情よりは、どこかタイトル通りの、哀愁というか
    もうめぐってくることのない過去の季節や時間を振り返るような
    そんな寂しさを淡く感じました。
  • 満足度★★★

    インタビュアー資格制度
     ストレートプレイでは扱いづらそうな題材がポエトリーリーディングのような形式で巧みに表現されていた。だが、そこにあったのは見せる技術の洗練とちょっとばかりのユーモアだけ。こんな劇が上演されることにいかほどの必然性があるのだろう? “やむにやまれず作った”というような切実さが演劇作品にはやはり欲しい。悪い芝居「春よ行くな」を観たばかりだけに余計にそう思う。

  • 満足度★★★

    平行線
    シンプルなセットと滑らかに変化する照明の中、台詞やシーンが順番を入れ替えながら淡々と繰り返され、ある種の退屈感を覚えつつも引き込まれる不思議な雰囲気を持った作品でした。

    「インタビュー資格制度」が制定されている渋谷区内の架空の町、汝滑町(うぬぬめまち)に住む女の話と大島渚監督の『夏の妹』と各役者のインタビューの返答が断片的に現れる構成で、物語性が感じられず掴み所がありませんでした。
    沖縄の米軍基地や3.11、原発といった現在進行中の政治/社会的なトピックが淡々とした展開に現実的な引っ掛かりを与えていたのが印象的でした。

    舞台奥のドアから手前に伸び、ステージから跳ね出した白い通路が5本並列に並び、それぞれに椅子が1脚置かれていて、各通路に1人ずついる5人の役者は椅子に登って跨ぎながら前後運動を繰り返し、時にはヨガマットを敷いてヨガのポーズを取ったりしていました。
    台詞と動きが関連していなくて、役者間の関わり合いもほとんど無く、『夏の妹』についての「良く分からない」というコメントが、そのままこの舞台についての自己言及的なコメントになっていたのがユーモラスでした。

    派手さは無いものの刻一刻と変化する照明がとても美しく、特に最後の消え入り方が印象に残りました。

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