裁キノ灯 ~大正裁判の物語~ 公演情報 「裁キノ灯 ~大正裁判の物語~」の観てきた!クチコミ一覧

★ 満足度の平均 ★ ★ ★ ★ ★ 5.0
1-5件 / 5件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    これは見事!大正時代の裁判をめぐる社会派群像劇なのだけど、ミステリーのエンタメとしてもめっちゃ面白い。グッときましたね。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    面白い、お薦め。
    個人と国家の間で揺れる当時の司法制度、その法の精神(良心)を遵守しようとする人々の知恵と勇気の物語。

    舞台は大正14~15年頃 東京/築地、そこで起こった事件を審理する地方裁判所の裁判官の心情を描いた重厚な公演。関東大震災の傷跡が癒えず、そんな中で成立した治安維持法--軍靴の足音が大きくなるといった不安・不気味な時期を背景にしているところが妙。見応え十分。
    (上演時間2時間 休憩なし)

    ネタバレBOX

    舞台美術は上手が階段状、下手は少し高い平台、中央に可動する重厚な置台と箱馬。後景は暗幕で全体的に昏く それによって重厚感を醸し出している。衣裳は洋装と和装、そこに明治・大正そして昭和への過渡期といった空気感が漂うよう。時代の空気をまとった役者陣の圧倒的な存在感や佇まいは、作品全体のリアリティや深い余韻を生み出しており 見事。笑わせるような弛緩する場面はなく強固な脚本であり没入感を誘う演出が巧い。

    物語は、大企業 立木商会の倉庫が何者かによって爆破された。数日後 自分が犯人と自首してきた女がいた。彼女は朝鮮人で関東大震災時の流言(デマ)による辛苦という動機、そして治安維持法によって社会主義・共産主義者=危険分子とみなし処刑しようとする。見方を変えれば、特高警察によって国家体制強化の格好の餌食とされる。強大な国家権力に対し、個人としての法曹三者とマスコミの戦い。法的には彼女自身が自供しているという確固たる証拠がある。しかし事実は…。

    見どころは、事件の真相を紐解いていく過程だが、法的にどう裁くのかといった懊悩が実によく描かれている。裁判官・検察官・弁護士という三者三様の立場で国家と どう向き合うのか。法は何人に対しても平等で、人種によって差別すべきものではない。物語では法的解釈/運用など理論的なことではなく、あくまで法の精神を前面に出した描き方で、演劇的な面白さを強調する。刑法など 個別の法律ではなく、あくまで(明治)憲法という大きな枠の中で展開していく。そこに時代背景と相まって物語のダイナミックさを感じる。

    物語の場面転換を中心に重厚感ある音楽が流れ、照明はスポットライトで特定人物の心情を浮き上がらせるような諧調、時に目つぶし となるような強烈な照射。全体的にテンポよく分かり易い展開が観ていて心地好い。
    舞台美術は、上手の階段を庶民の暮らす場所、下手の平台は大企業を思わせる屋敷、その中間に置台を可動させ法廷を表す。労働者・資本家という階層に関係なく法は平等を謳っているようだ。もっと言えば弱き者に寄り添うのが真の法かもしれない。
    次回公演も楽しみにしております。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    どんな立派な憲法があってもそれが正しく遂行されるとは限らないことが恐ろしい。
    大きな力に屈することがないようにこの先生きていけるのか、今の時代に考えさせられる舞台でした。
    最後に明かされる事実には驚かされました。

    ネタバレBOX

    まさかの犯人が彼女とは・・・。心情はわかりますが、彼女が倉庫街で・・・と言うのは目立つので無理なんじゃないか、実行犯は別にいたほうがいいのでは?とか思いました。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    人間の平等、公平を信じた裁判官のストーリー。
    悩みながらも国に屈せず、裁判官としてあるべき姿を貫いた主人公に感動でした。
    その周りを固める検事や弁護士たちの行動や思いも良かったです。
    ラストは「えっ?この人が!」という意外性もあり、観応えがありました。
    とても興味深い、良質な舞台でした!

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    『裁キノ灯 ~大正裁判の物語~』、まだ席が結構あるようなので、ネタバレなしで少しだけ。

    最近観た『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』と、意外なところで対照的な作品だった。

    『ネルソンさん』は、戦場で「考えること」を奪われ、殺すことを遂行する人間になってしまった兵士と、その後に残る傷を描く作品だった。

    一方、『裁キノ灯』は、もっと手前のところを描いているように感じる。

    人を「敵」「危険人物」と決めつける前に、どうやって相手を見るのか?

    社会の空気が少しずつ歪んでいくとき、法や報道や一人ひとりの判断で、どこまで踏みとどまれるのか。

    なので、単純な「反戦劇」という感じでもない。

    むしろ、戦争や大きな暴力が起きる前に、社会の中で何が起きているのかを、裁判を軸にかなり丁寧に組み立てた芝居だと思う。

    大正末期の裁判という題材から想像するより、ずっと人間関係が複雑で、登場人物それぞれが違う情報を持って動いている。観ている側も少しずつ全体像が見えてくるタイプの作品なので、あまり前情報を入れずに観るのがおすすめ。

    そして何より、こういう話を「熱量」で押し切るのではなく、人物と制度と情報の配置でじわじわ見せてくるのが面白い。

    『ネルソンさん』とは方向が違うけれど、「人間が人間を人間として見なくなっていくと何が起きるのか」というところでは、ふと隣に置いて考えたくなる作品だった。

    ネタバレBOX

    『裁キノ灯』を観ていて、最初は「構造芝居」という言葉が浮かんだものの、似た劇作がなかなか思いつかなかった。

    岸田國士のような「会話の構造」とも少し違う。むしろハイナー・ミュラーのように、歴史や出来事を断片化し、観客がそれらを組み合わせながら全体を見ていく感覚に近い。

    そして意外だったのが、アニメの『オッドタクシー』を思い出したこと。あれも登場人物それぞれが世界の一部分しか知らず、会話や情報が積み重なるにつれて、別々に見えていた人物や出来事が一つの構造として繋がっていく。

    『裁キノ灯』もまさにそうで、判事、特高、検察、新聞記者、書記、二重スパイ、母親……誰も事件全体を知っているわけではない。それぞれが持っている情報が少しずつ違い、人物が交わるたびに断片が重なっていく。
    ただ、『オッドタクシー』ほどドライではない。

    むしろ舞台になっている1926年という時代には、まだ日常のゆるさや人間同士の距離の近さが残っているように見える。そこへ突然、特高という国家の視線がニョッと銃口のように伸びてくる。

    社会そのものが最初から監視社会として描かれているわけではない。うどん屋に行ったり、新聞を書いたり、家族と暮らしたりしている普通の生活の横から、思想や人脈を追う視線が入り込んでくる。

    実際、1925年に治安維持法が成立し、1926年には京都学連事件で初めて適用されるなど、社会の開放と思想取締りが同時に進んでいた時期でもある。

    だから特高も、最初から舞台を覆っている巨大な怪物というより、普段の生活の隙間から突然伸びてくる「国家の手」に見える。

    ミュラーが歴史を断片化し、『オッドタクシー』が情報を断片化するとすれば、『裁キノ灯』は、人間の生活の中に入り込んでくる国家そのものを、人物と情報のネットワークとして組み立てている。

    誰か一人が全体を動かしているわけではない。誰も全体を知らない。それでも、それぞれの正義や情報が別々の方向へ進み、最後に一つの事件の形が浮かび上がってくる。

    そう考えると、16人近いキャストも「登場人物が多い」というより、社会そのものを舞台に成立させるための視点の数だったのかもしれない。

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