目に殴られた 公演情報 目に殴られた」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.0
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  • 満足度★★

    視界の境目
    アーティスト・イン・レジデンスの美術展の会場に設置された、各辺が2m程度の立方体の空間の中で観客1人と役者1人で行われる、視界を巡る20分程度のパフォーマンスで、何かの実験の様な雰囲気が新鮮でした。

    ヘッドフォンを着け、目を瞑った状態で開始し、ヘッドフォンから聞こえてくる機械的な合成音声(?)に従って正面の壁にある赤い点を見つめたり体を動かしたりすることによって、普段意識していない視界の境目を感じさせられている内に、役者が視界の外から内にゆっくりと入って来て日常的な行為を行うものの、視線を動かさない様に指示されているので、逆にその行為の音や気配に強く意識を集中させられました。
    途中で後ろからヘッドフォンを取り外され、指示の口調が友達や恋人に話しかける様な感じとなり、終盤では床に寝るように指示され、左の壁に写った自分の影の輪郭を役者の手の影がなぞって行き(実際には触れずに)、あたかも役者が自分の中に入ってくる様なシーンで暗転し、不思議なエロティシズムを感じました。

    通常舞台作品を観るときは体の大半は動かせなくても視線は自由なのに、この公演ではその視線の動きをも拘束させられる体験が興味深かったです。しかし、パフォーマンスとしては実験的な段階に止まっている様に思え、さらに感情的あるいは知的に刺激する要素が欲しかったです。

  • 満足度★★★★

    不思議な感覚
    説明を読んでも公演内容を想像できなかったのですが、以前の作り手の作品がとても面白かったので観劇。

    いくつもの感覚の遷移があって、
    とても不思議な感覚に浸されました。

    ネタバレBOX

    最初はなされることの意図がわからず、
    違和感を感じながら、その空間に置かれるだけ。

    別にものすごくハイテクな装置があるというわけでもなく、
    寧ろ極めてシンプルな仕掛けなのですが、
    でも、そこには、
    パフォーマンスを鑑賞というか体験しているという前提があって、
    しっかりとその仕組みに捉われてしまう。

    最初は、自らが見つめる広さの認識が枠となり
    その枠を作るために作り手から提示される視線の置き方が
    自らを繋ぐリードのように感じられ、
    その範囲の外にあるものからの隔絶に不安を感じたりも。

    しかし、そこに、ちょっとした風景や自らの姿が入り込んできて、
    いろんな印象が生まれ始めると、
    今度はその視線の拘束が
    自らが入り込んだ世界に留まり続けるための命綱のように思えて。
    断片のようなちょっとしたしぐさの挿入、それと重なる自らの姿、
    いろんな気配・・・、
    視野のうちに置かれるものが糸の片端となって
    断片のようななにかが
    自らの記憶のストックからすっと引っ張り出されるような感覚が生まれる。

    さらに、シルエットの魔法に、
    視線が自らの内側に取り込まれるような時間があって
    気が付けば、自らがそこにあることの違和感は消失し、
    演じての差し入れるものに
    自らの内側に生まれた感覚がさらに織りあがっていく。

    なんだろ、自らの視野が舞台の枠となり、
    そこに現れる世界に対峙することが、
    とても風変わりで凡庸で馴染み深い演劇の渦中にあるような気がして。
    実のところそこに外側から提示されたイメージは
    とても断片的で、
    それに導かれるように現れる物に対しては、
    むしろ自らが演じ手であるような感覚にすら至って。

    終わってみれば20分程度の時間だったのですが、
    感覚としてその長さをうまく捉えることができていなくて、
    どこか不安定で、でもボリューム感をもった感触が
    強く印象に焼きついて。

    自らが体験したものを、
    何かが裏返ったような思いとともに
    しばらく反芻しておりました。

    ちょっと忘れがたい、とても印象に強い体験でありました。

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