満足度★★★★
ドストエフスキー『地下室の手記』を読んで
ドストエフスキー『地下室の手記』を読んで
俺は病んでいる。ねじけた根性の男だ。人好きがしない男だ。・・・自分のどこが悪いのかもおそらくわかっちゃいない。・・・今は,四十だ。昔は役所勤めをしていたが,もうそれもやめた。・・・「賢い人間ならおよそ,まともな何者かになれるはずがない。何者かになりうるのは愚か者だけだ。」・・・退職して,この穴蔵のごとき部屋に引き籠ったのだ。・・・俺も,自分自身について話すことにする。
そもそも俺は周りの誰よりも賢い。・・・どうせ,俺は誰にも復讐できやしまい。・・・自分を人間でなくネズミだと,真面目に考えたりする。・・・・激しく動揺したかと思うと永遠に揺ぎない決心をし,その一分後には再び後悔の念に苛まれる。・・・闘うべき敵の姿は見えないのに,痛みはある,という意識。・・・自分は,ただいたずらに己も他人も苦しめていらいらさせているだけだ。・・・
ドストエフスキー『地下室の手記』を学生時代以来,再読した。これには,地下室の部分と,ぼた雪に寄せて,の二編が収録されていた。ナボコフによれば,『地下室の手記』は,ドストエフスキーの主題,方法,語り口を,もっともよく描き出した一枚の絵だという。自意識過剰で,猜疑心が強い,誰かを愛することはしないで,それでいて,嫉妬心は強烈。哲学的考察ばかりする割りに,日常にあって,不器用で,寂しがり屋である。ネガティブきわまりない作品。
1996年の12月14日から,私は,ブログ活動を開始した。当時,大学などでのみWWWは発信できる状態だった。そこで,半年遅れて,Niftyのブログに挑戦した。あれから,随分たち,今でも私は,その時ファンになってくれた女子大生が作ってくれた二つのロゴを大切に使用している。
インターネットは,双方向性がある。そのために,地下室で多くの本を読み,過去にあった同窓会での苦い経験とか,風俗店での失敗などをドストエフスキーの原作は,少し異質の世界である。インターネットでつながる世界は,不完全だが,もはや,そこで一人で呟く中年男の苦悩は,容易に笑いのタネになる。自分で,ブログや,動画サイトで,不特定多数とおしゃべりをしているからだ。
演劇『地下室の手記』は,原作のイメージとちがって,おしゃれな出来上がりとなっていた。それは,売春婦として登場した女の子が,結構光っていたからだ。『地下室の手記』は,イカレタおじさんのたわごとではある。しかし,結構多くの人間がこういった傾向を少しは持っているものだ。とりわけ,妻がいて,子どもがいるような人は,ここまで落ちることはないと思う。独身で,高い年齢までいくと,そこには,仏教の悟りのような世界で,つまり菩薩にでもなった精神に向かうしかない。地下室に出口はないと思う。
参考文献:『地下室の手記』ドストエフスキー,光文社
満足度★★★★
『地下室の手記』という演劇を観た。
時間は,100分ほどであった。まず,一人芝居なのだろうか,二人出て来るのか気になった。とにかく始まるとほとんど中年男性ひとりだったが,しばらくすると,美しい女性がさりげなく舞台のそでにいてくつろいでいた。主人公が,友人とケンカ沙汰になりワインを浴び,逆に洗濯代とかいって紙幣を数枚もらうあたりで消えた。と思ったら,主人公は,風俗店に引っ張りこまれ,そこにさっきの女が待っていた。いよいよ,すごい濡れ場になると思ったら,奇人である主人公は説教を開始。
このような場所で,一体何をやっているのですか。もっと他のバイトもあるでしょうに。これに対し,ギャルは,これだって仕事で,考えてやっているのですから,そんなに悪く言わないでくださいね。いや,やめておくがいい。どうせ,抜けられなくなって,普通の奥さんになれないんだ。だから,私を頼って,来なさい。
ところが,この彼女は,いいチャンスだから,店をやめたい。あなたが,引き留める店長を直談判してくれないか。そしたら,わたしたちだって,つきあえるじゃないの。
といった,内容の演劇だった。『地下室の手記』というのは,ドストエフスキーの名作で,フランスの心理小説などばかり読んでいた学生時代とても新鮮な作品だった思い出がある。内容は,いくらか重なるイメージもあったが,翻案ともいうべきものだろう。でも,部屋に閉じこもり,過去の自分体験にあれこれ思索している様は,やはり『地下室の手記』にほかならない。
おもしろいといえば,おもしろい。しかし,笑っていられないのは,そのような主人公は自分のことかもしれない。結局,ひとりで,何か悩んでいる。そこでは,誰も,自分の苦しみはわからない。今いる境遇から,きっと脱出できる。しかし,地下室にこもっていては,何も改善されない。なにかしないと。なんらかの解決法はあるはずだ。
満足度★★★★
どこにでもいそう、でも、いない人
40男のほぼ一人語り、自己弁護と三人の友であり敵とのやりとり。まさかドフトエフスキーも21世紀のアジアの片隅で話題になるとは思いもよるまい。見てて自己嫌悪でしょっぱい気分になりつつ、そんな事を思う自分にも笑ってしまう。面白かったです。
満足度★★★★★
原作の凄さと脚色の巧みさ。安井順平さん小野ゆり子さん好演!
痛い。
痛すぎる…。
またまた自分を舞台で見せつけられてるようで…痛いです。
こういうことを、ここまで端的にリアルに深く描いた作品は、ジャンル、媒体に関係なく初めてで、投影しすぎて、泣けました。
観客の人達は、どうしようもない変な人のデフォルメされたフィクション、悲喜劇、とか思うのでしょうか。
原作が「ドストエフスキーの」というから、ある程度当然難解を予想していましたがそんなことはなくて。
ネットで原作のあらすじを探して読むと、時代描写の違いはあれどほぼ舞台通りの内容が書いてある。
1864年の作品が現代でも通用する、原作の凄さと脚色の巧みさ。
これだけの話を、終始笑わせながら軽妙に引っ張っていく。
話は、40歳になって、社会を拒絶、地下室にこもることを決めた中年男の物語。
男は、ネット中継のカメラに向かって、これまで一番心残りだった女との話を語り始めた。
安井さんが、舞台に向かって日常会話のように話し始める。
そして中継を始めると、舞台奥のカーテンには、動画に対する視聴者の書き込みの文字がリアルタイムで映し出される。
この動画試聴者の書き込みのアイディアが秀逸。
舞台上の変化にいちいち突っ込まれるのが面白い。
(今回は終盤カーテン閉め忘れ?で、一部の文字は読めませんでしたが…)
安井さんもイキウメでは、理論派の役を一手に引き受け、SF的な解析・説明をすることが多い。
今回も理屈をこねるけれど、それよりも一歩も二歩も踏み込んで、体裁や理屈を超えた、非常にカッコ悪くてみっともない、本音・本質を演じる。
競演の小野さんは、チラシからはもっと脇役かと思いきや、とっても重要で魅力的な役を、実に生き生きと演じていて印象的でした。
(NODA・MAP『南へ』や、柿喰う客・女体シェークスピア002『絶頂マクベス』出演、気づきませんでした。そしてなんと大森南朋さん夫人!)
満足度★★★★★
安井さんの芸を堪能しました
ドストエフスキーの原作というのは、全く知らないので、どこまでが、原作に忠実なのか、どこからが、前川さんの創作なのか、皆目見当がつきませんが、とにかく、とても面白く拝見しました。
半分以上は、安井さんの一人芝居状態で、彼の芸の力に魅せられました。
前川さんの気の利いた舞台構成にも、ワクワクの連続。
特別でない人間の特別でない日常が、活写されて、ちょっぴり、胸に堪える匙加減が絶妙の、魅力的な舞台でした。
満足度★★★
自分の人生の主人公になれない人
イキウメの番外公演(?)、カタルシツの第一回目は
あのドストエフスキーの『地下室の手記』の戯曲化!
原作は実は未読なのですが、骨子をそのまま現代版に
移植したという本作見る限りだと、かなりイタい人の話
だったんですね…。現代に通じ過ぎててかなり怖い(笑
満足度★★★★
現代日本版『地下室の手記』
ドストエフスキー作「地下室の手記」を、舞台を現代日本に置き換えて2人芝居に。とっても面白かったです!上演時間は約1時間40分。
劇中で起こる出来事は原作と変わらないそうです。こんな風に楽しく、興味深く古典と出会える機会をもらえて幸せです。