「観客がいないと、舞台は成立しない」
「観客がいないと舞台は成立しない」という当たり前のことを、見事なドタバタ・コメディーで教えてくれた。
シチュエーションは、葬儀場である。それなのに、上階にはライブ会場「スタジオライフ」が営業中のため、常に激しいロック音楽が鳴り響く。
「あえてミスマッチな劇場にしたのは何故か」を考えたが、答えは その形状に見つかった。
開場30分間のうちに使われる“通路”を、茂木(キーマン)が他の来場者を退けさせなければならない、または劇的な展開を含むシーンにとって不可欠な舞台装置として利用していたのである。
葬儀場の「清め処」で、死んだはずの男(小野寺拓郎)が現れ、しかも生命保険2億円がかけられていた事実が発覚する。
前に務めていた会社の社長は“未亡人”の妻(小野寺早紀)へ「会社の金3000万円を返してくれ」と懇願し、元同僚は「1500万円を貸していた」と告白してきた。他方、舞台の要そのものである死亡した(?)拓郎妻(早紀)の実妹は、姉が保険金目当てに謀略したものだと考える。
この設定なら、普通は(集合体としての)「人間はいかに金に嫌らしい存在か」というスタンスでも、「実は人間は澄みきった存在である」というスタンスでも、どちらにおいても描くことが可能だ。
しかし、『14日の土曜日』は、そうしたメッセージ性を もたらすことなく、極めて等身大の「人間社会」を描くのである。
シチュエーション・コメディは、登場人物の入れ替えで“笑い”が起こる。
軸となるのは、事情を把握する巻き込まれA。
今回、その大役を務めたのが、死亡した(?)拓郎の元同僚にあたる茂木だった。
その慌てぶり、女だろうが容赦しない強引さは コメディ・アクションとして面白い。一挙手一投足で ここまで 笑える舞台も 他にないだろう。
やや、茂木のオーバーリアクションが過ぎた結果、先に示した“等身大の「人間社会」を描く”ことからは遠ざかってしまった。
もちろん、シチュエーション・コメディとキャラクターの関係は、自転車のペダルと同じであり、それが「面白い」と観客に感じさせた功労も併せて記す。
最も特徴的だったのは、会場から笑いが耐えなかった点だ。葬儀場に笑いが起こる、それもまた、笑えるシチュエーションではないか。
一部の観客から 大きな笑いを貰えるケースは、どんな舞台においても あり得る。
しかし、私が観劇した回は「20代」から「50代」まで、実に多様な世代の観客が 途絶えることなく笑ったのだ。
最初は、特定のキャスト=葬儀場従業員だけに笑いが生まれているのだと認識したが、しばらく経過し、むしろ作品、舞台に対しての“返し”だと気付く。
舞台は、「観客がいることで成立する」ジャンルである。
密室のパフォーマンスをYouTubeに投稿しユーザから反響が得られることがあっても、舞台 では聴かない。「テニミュ」(ミュージカル・テニスの王子様)がニコ生配信される際、観客を入れずに流すのか。いいや、違う。
そして、“通路”が舞台の一部になるのと同様に、“観客”が舞台の像なるものを形造るのである。
改めて、考えさせられた。
私が観劇した回は、元同僚の彼女が彼氏に向かい「(あなたに)他に“男”ができた時、使えるかも」とほくそ笑んだ。“女”と言うべきところを なぜか変更してしまった。間違えたのではない、あくまで変更したのである。(おそらく)
仮に台詞を間違えたとしても、このような 面白い間違え方があるか。
可愛く照れる姿の反面、むしろ即興であり、そうカウントできなくもない出来だった。
満足度★★★★
ひとつぐらい・・・・
アーバンフォレスト時代から穴吹氏の芝居を拝見しているが、
リアルで捻りがあり、退屈させない。
今回も役者さんたちもレベル高く、随所に笑いがあり楽しめた。
ひとつだけ、茂木くんほぼ出ずっぱりでお疲れ様でした。
彼にもひとつ愛を与えてほしかった。
満足度★★★
…
客が来るたび芝居のストップがあり、それに対応できない演者の拙さには興ざめしたが、それを補う演出家の対応が手助けし、脚本、演出、が良いのであろう、徐々に引き込まれ笑っていたが、隣のの女性が何故か怒って床をガンガン踏み出しやがった…
満足度★★★
コメディ
遅れて来た人がいて面白かったな。途中、誰か手をあげてトイレに立たないかしらと思ったけど、そういう強者はいなかったようで。もちろん僕にはそんなことできません。
稲田さんの喋り方とかすきだなあ。でもあんなのが実際にいたら、鬱陶しいんだろうけどね。
靴が脱げたら、ちゃんと履いてから、階段あがっていって欲しかったな。余裕あるようで、結構余裕なかった?