ブレヒトとクルト・ヴァイルの歌の夕べ 公演情報 ブレヒトとクルト・ヴァイルの歌の夕べ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
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  • 満足度★★★★

    ゲネ評
     事情があって拝見したのはゲネである。然しながらドイツ、ミュンスター劇場主任演出家のマルクス・コップフとビュルツブルグ音楽大学オペラ科主任教授の天沼 裕子の指導でブレヒトのテキスト、テキストに伴うクルト・ヴァイルの歌双方を、日本語、ドイツ語を交えて演じた。
     本番は観ていないので、ゲネレベルの評価であるが、若干、固かったので、評価は4とした。

    ネタバレBOX



     無論、日本語は子音+母音で一音節が成立する場合が圧倒的に多いのだが、声の響きという点で捉えれば、子音を強調する発声法の方が響くケースが多いのもまた事実。ドイツ語を含むヨーロッパ言語は日本語に比べて発音上、子音の占める率が高いので、オペラ歌唱では、朗々と響くものにもなるのだろう。無論、インド・ヨーロッパ系と我々亜細亜系では、骨格が異なり、インドヨーロッパ系では前後に長く、アジア系では、左右に扁平なので、その点でも、発声は多くの場合異なるのではあるが。
    余りに専門的なことは専門家に任せるとして、ブレヒトと言えば、やはり「三文オペラ」を挙げねばなるまい。今作でも三文オペラの乞食や大盗が登場する。演出レベルで面白いと感じたのは、舞台奥に、小学校などで使うパイプ椅子のように粗末な椅子を用いて、乞食達が、一人来ては坐り、或いは寝そべると、先着の者たちを跨いで、別の者が別の椅子に腰かけるなどのパフォーマンスが展開されるのだ。流石にキチンと基礎のできた人だけをオーディションで選んでいるだけのことはあって、身体の動きはプロのそれである。比較するのも失礼だが、映画やTVに出ているだけの「役者」のパフォーマンスは、身体の隅々に配慮することもなければ、呼吸と身体のコントロールにも意を用いず、要求される関係の中で最良の間を選ぶこともできない、そのような間の抜け方とは大違いなのだ。舞台役者を見慣れている者にとってTV、映画のスターシステムに載っているだけの「役者」など犯罪者にも等しい。皆、そう思っているのだが、言わないだけである。そういったことを改めて感じさせるだけの舞台であった。

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