ガリレイの生涯 公演情報 ガリレイの生涯」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
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  • 満足度★★★★

    科学の問題性が見える演劇を作ることが大事なのだ!
    ブレヒト(1898-1956)は,文学青年とか,演劇青年というレベルを超えたところにいた人である。ブレヒトの仕事の意味を,直観的に見抜いていたのは,ベンヤミンだったという。自らの才能をどこに向けるべきか自問する人物と評している。そういうブレヒトにとって,この『ガリレイの生涯』は,彼の特徴を明確にしめした作品という。 ブレヒトは,1922年に演劇界にデビューした。ブレヒト自身,第一次世界大戦に衛生兵として参加している。彼は気がついていた。戦争はどのようなものより,科学を前進させる。1927年には,リンドバークの大西洋横断単独無着陸飛行(ニューヨーク→パリ)があった。この頃,ブレヒトは,『三文オペラ』で名を挙げていた。彼もまた,新しい演劇を求めていた。空を飛ぶことはできるのか,劇中でもそのような会話があって,印象的だった。

    ブレヒトは,現代物理学におおいなる関心を持っていた。科学が,目に見える生活とどう結ぶか,そこから何が生れるか。第二次大戦後,原子力の平和利用として,理論的には,原爆と同じことが日常に発生する。すなわち,核分裂を起こして,そのエネルギーで,発電を起こそうとする。これが,世界に普及した。現代宇宙論も,アインシュタインの相対性理論に始まる。人工的に原子核反応を起こさせ,エネルギーを取り出す。現在の地球上で,その生態系では,ありえない現象が始まる。ブレヒトは,このことを非常に気にしていた。人類の新たな挑戦は,もしかして,悪魔との賭けになりかねない。『ファウスト』の世界だ。

    1932年,ヒトラー政権下で,ブレヒト一家は亡命を余儀なくされた。服毒自殺したベンヤミンに比べ,ブレヒトは身を潜めて作品を書いた。300年のときを,歴史を,現在に演劇のかたちで表現する。1941年,ナチスに追われてブレヒトは,アメリカ・ロスにいた。英語版の第二稿中に,広島・長崎に原爆が落ちた。アインシュタインは,原子力の平和利用を訴えながら亡くなる。ガリレイを,ひとつの先例として作品を書く。ガリレイの自己断罪や,科学者の社会的責任。ガリレイの生涯は,結構長い。1564~1637年で,73歳まで生きている。46歳のとき,ヴェネツィア共和国のパドヴァ大学数学教授になる。科学は神学のはしため(侍女)であった。ガリレイは,後日近代科学の父となる。 好奇心のまま,観察し,記述し,論理で思考する。実験,観察を繰り返し,証明する。これが,科学だ。科学のことばは,ラテン語でなく,民衆のことばで書くべきだ。知識を人類のしあわせだけに使いたい。結局は,原爆にいたったのは,近代科学の敗北なのだ。ガリレイの伝記はどっちでもいい。むしろ,ガリレイ=科学の問題性が見える演劇を作ることが大事なのだ。

    参考:ブレヒト『ガリレイの生涯』光文社版解説から,谷川道子

  • 満足度★★★★

    何のために,科学はあるのか。
    ブレヒト『ガリレイの生涯』を観た。これは,今までのものと,少しちがった科学の世界を描いたもので,そういう点で新鮮だった。まず,最初に,ガリレオが,半裸で顔を洗いながら,科学の話を始めた。科学とは,何だろう。科学と人間はどうおつきあいしていくべきか。そういった現在において,生々しいテーマが背景にある演劇だったと思う。

    何度か出て来た印象深いことばは,次のようなものだった。
    真理を知らぬものは,ただのバカだ。しかしながら,真理を知っていながら,なお,それを隠して,世に広めないのは,うそつきであり,犯罪者にちがいない,といったもの。

    何のために,科学はあるのか。それは,人間が生きていくうえで,その辛さを少しでも緩和するためにあって,科学者は,そこで生きるべきだ。地位・名声・金への手段,あるいは,研究という名目で,趣味的に没頭してゆくようなことでは困るものにちがいない。

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