満足度★★★★
ハムレットは元々狂気なのか。
福田恒存訳『ハムレット』を観た経験があり、それに比べてだいぶ噛み砕いた言葉のわかりやすいハムレットだった。太宰治の『新ハムレット』などを下敷きにしているためだろうか。
舞台美術もさることながら、オフィーリアの「影」たちの使い方が大変興味深く印象的だった。
ハムレットは本当に狂っているのか、それとも本当に亡霊を見たのか…。
その解釈を観客に委ねているところが好みだった。
満足度★★★★
こなれた現代語訳
とてもわかりやすくなっていたが、ハムレットの台詞が妙に青臭くに聞こえたのは私が年をとったせいだろうか(笑)客席までのびる花道のような舞台をつくったり、スロープや階段を使い、暗転がほとんどなかった舞台と演出が見事。ハムレット役の声が素晴らしかったが、狂気(のふり)と普通の差がほとんないように感じた。もう少しメリハリつけた方がいい気がする。
満足度★★★★★
長いが濃厚だった。
伺ったのが初日で、全体の直しが多かった感じも見受けられましたが、それでも面白かったと言える内容。時間は2時間35分はあったでしょうか。その長さは感じずに凝縮されていた気がします。以下
満足度★★★★★
必見
舞台美術がいい。入場するといきなり身が引き締まる。そういう作りである。質感が、城の石造りの重々しさを表現しているばかりではない。ここで、これから繰り広げられる作品の内容を暗示するよいうな緊張を孕んでいるのである。
シナリオもシェイクスピアには、無い部分が付け加えられている。大岡 昇平「ハムレット日記」、太宰治「新ハムレット」、志賀直哉「クローディアスの日記」から付け加えられている。
この劇団が、シェイクスピアを現代日本に蘇らせようと格闘し、その切実さそのものを俎上に載せたかったからである。その企ては、成功している。
シェイクスピア自身が恐らく西欧的な自意識の問題について悩み、世界と世界を認識すべく位置づけられた自意識のギャップに引き裂かれる主人公としてハムレットを描いた、その切実を現代日本の政治、文化、メディア情況の中に埋め込み、我ら自身の問題として捉えようと図ったのである。この企てについても成功している。
これら壮大は企画を成立せしめた高度な演出、演出に応えた役者陣、音響、照明も勘所を掴み、無駄の無い効果的なものであった。科白回し一つとってみても、劇場の大きさや舞台の使い方に見合った発声であった。観ておかなければ悔やむことになる舞台だろう。