【公演終了!】望遠ノート【ご来場誠に有難うございました!!】 公演情報 【公演終了!】望遠ノート【ご来場誠に有難うございました!!】」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.6
1-6件 / 6件中
  • 満足度★★★★

    予想以上に良かった
    初めて観る劇団なので、少し不安でしたが、銀河鉄道の夜と天文学の世界の話が絡み合い、なかなか素敵なお芝居でした。

    遅刻すれすれ滑り込みセーフだったので、最後列で観たのですが、座席の構造上電車に乗ってるみたいで、世界にひたれました。

    脚本を読みたいなぁと思い、台本購入しました。台本を買うお芝居は少ないので
    すが。




    ネタバレBOX

    難しい学術説明があるためか、台詞をつっかえる人がいたのは残念。

    車掌さんが銀河鉄道の人と言う感じがとてもよく出ていました。

    観ているだけではところどころ、わかりにくい個所もあったので、台本をよく読みたいと思いました。
  • 満足度★★★

    中盤で何か欲しかった
    銀河鉄道の夜+ビックバン宇宙論とのことで、序盤は楽しめましたが、ラストまでずっと似たような展開だったかな。
    中盤で流れを少し変える物語や展開があったら終盤まで面白く見れたかも。

  • 満足度★★★

    スタッフワーク美しい
    個人的に、高校で地学取ってなかったら理解できなかったかもしれない。純粋に、「セキホウヘンイ」の読みを「セキホウセンイ」と読み間違っていたのも残念。演じる側が間違えるほどに、専門用語が多く難しい内容だった。

    しかし、チラシや音、抽象的な舞台セットなど、スタッフワークは素晴らしかった。学者陣のクリーム色の衣裳も本当にきれい。同じ生地を使い、統一感を出しながらもデザインはそれぞれに個性的…。凝ってるなぁという印象。映像を使った演出も面白かったし、スタッフワークによって構築される世界観の強さには息をのんだ。

  • 美学の結晶。
    綿密に作り込まれた構成。舞台美術、映像、ギターの生演奏、適材適所な配役など、作り手の完璧なまでのこだわりを感じる作品でした(やや神経質に感じるくらい)。

    ”メメント・モリ”に象徴される、”生きること”へのメッセージもストレートに伝わって来ました。

    にも関わらず、いまひとつ心に響いて来なかった(波長が合わなかった)のは、完璧に作り込み(スキがなさ)過ぎたせいもあるのかなぁ。

    好みの分かれるところではあるけど、完成度はかなり高い作品だったと思う。

  • 満足度★★★★

    僕は好きでした
    好き嫌いはあるかもしれないです

    追記 時間がたってもまだ余韻が残っておりこの劇のことを考えています。こういった劇は久しぶり。途中ちょうどいい暗さとBGMと堅い言葉のやり取りに眠気を誘われ(隣の方は寝ていた)その点で☆をひとつマイナスとしたが内容としては☆5つあげたい傑作だと思います

    ネタバレBOX

    物語の中でどこへでもいける切符を持っていて最後の2Sになったのは宙美とジョバンニでした。他の乗客はそれぞれの執着駅ともいえる終着駅があった。ジョバンニは楽観的で前向きで本当にどこへもカムパネルラと幸いを見つけにいけると考えています。性格の真逆なカムパネルラは別れを予見しててジョバンニがずっと一緒にいてくれるということは信じられない。相手の気持ちの真意も宇宙の起源も本当のことはわからない。でも○○説には主観が入るし、そうであってほしいという自分の期待感があってこそ人の友情愛情は成り立つ。根拠や理論からではく仮定や期待発信でいい。
    モラトリアムな宙美には無限大の可能性があり自由が面前に広がっています。どこへでもいける、しかしそれゆえ母親からのやりたいようにやれというプレッシャーや不安で前に進めない。でもなにも考えないのは思考停止と同じ。どこにでもいけるはずがそこで停車駅となるのです。

    最後に宙美が倒した台を天文学者やジョバンニたちが再び積み上げそこを自分の足で登っていく場面、あの星はひとつに見えてもふたつの星だとジョバンニとカムパネルラを隠喩するラストはきれいでした。
  • 満足度★★★★

    memento moriの射程
     メメント モリの意味くらい誰でも知っているだろうから、このことばの解説はしない。唯、我らの存在している現代は、端的に不信の時代である。シニシズムに陥った世界内存在として、当然のことながら、ヒトは孤立している。どんなに親子を装おうが、友人や恋人を装おうが基本的には、誰も信じていないのだ。ハッキリしていると感じるのは、不安と不確定だけだ。信じられるものが成立すべき土台が壊れてしまっているのに、信頼だけが蜃気楼よろしく立ち上がるわけが無かろう。(立ち上がっているのは、プロパガンダの世界だけである)
     このような厳しい状況の中で、実体験に乏しい若者たちが、自らの知恵と努力や夢でどのように立ち上がってゆけるのか。それを問う作品でもある。
     賢治の「銀河鉄道の夜」をベースにしながら本当のもの・ことを求めて流離うこの作品のジョバンニは、シニシズムから脱却しようとして、不信とは反対の概念、信頼に至りつく。その心的流浪に呼応して、我ら命の故郷、宇宙の成立についての議論が戦わされる。ビッグバンは、本当に検証に耐えうる仮説なのか否かについてである。そして、理論的には、成立し得るという所まで来た。ステップは上がる。ミクロコスモス、マクロコスモス二つにとって問題は、“実践”に移らなければならないということである。この作品自体は、その答えを舞台上で既に出している。どのように出しているのかは、舞台を見て欲しい。

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