ハイエナ 公演情報 ハイエナ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 5.0
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  • 満足度★★★★★

    熱い演技
    原作は、日本での在日の方々の苦悩を表現しています。
    それだけに、舞台全体に漂う重々しい空気が劇場全体を包み観劇している、こちらも緊張して観劇していました。
    普段、意識していないことですが日本国内で祖国を離れて苦悩している方々がいると改めて感じました。
    そして、国とは何か血とは何かと考えさせられる演劇でした。
    そんな、難しい内容を見事に演じられてた役者さん達に拍手を送りたいとおもいます。
    感動を、ありがとうございます(*≧□≦)ノ

  • 満足度★★★★★

    継承
     原作者の悩みや苦しみを通して紡がれたシナリオは、生きることに新たな可能性を見出して爽やかささえ漂う。

    ネタバレBOX

     敬一は、おじいちゃん子である。おじいちゃんは、父兄会でも、遊びでもいつも敬一の為に出掛けてくれた。然し、父、母は二人とも一度も敬一の為に出掛けてくれたことは無い。警察の厄介になった時もである。両親の愛を得ていないと考えた彼は、自分の朝鮮人としての血に迷い、その血を嫌って、朝鮮高校の生徒を見付けては喧嘩を売り、叩きのめしていたが、終に、何故、父母が、自分の為に外へ出ないか、その理由を知ることになった。彼の母は、密入国者であった。
     母は恐らく4.3事件の被害者である。足が不自由なのは、親族を総て殺され、自身も足を銃で撃たれて負傷して以来である。だが、何とか命だけは助かり、済州島から大阪への直行便があった船で密航して来たのであった。言葉も分からず知人も無い国へ脱出したのは、故郷では生きることができなかったからである。然し、やっと辿りついた土地でも密入国という負い目があり、中々人前に出ることはできない。如何に他所の国とは言え、彼女の流れ着いた土地は、今では北、南と分断され敵対する同一民族が、複雑な情況を各々背負いつつ生きる場所であった。まして、4.3事件は、島民が北に組みしていると疑われたことが原因である。15世紀迄は独立した王国であった済州島出身ということが分かれば、今、流浪の果に、どちらからもスパイと看做されかねない。まして、この地で子供が出来た。母にとって唯一人の血を分けた家族が、その為に犠牲にでもなったら。そのような不安が母を必要以上に内向きにしていたのかも知れない。然し、それは、恐れねばならない歴史を背負ってのことであった。この国のマジョリティーからは、マイノリティーであるが故に自らの誤ちの故でなく差別され、同胞には、政治的情況、イデオロギーの違いによっていつ何時攻撃されてもおかしくない位置に立たされた母の苦しみ、母を愛し幇助した父の苦しみ、二人の傷の深さ、そして耐えている世界の重さを息子は理解する。そして、おじいさんが亡くなった時、父に諭された言葉が、敬一の魂を撃つ。父は言う。「ハイエナになれ、ハイエナは、他の者が食べられないような物も噛み砕いて生きてゆく。お前も人の噛み砕けないような物を噛み砕いて生きてゆけ」と。何と美しく、強く、尊い言葉だろう。
    更に、半分は朝鮮族の血、半分は日本族の血を引いた場合、どちらにも属せないのではなく、どちらをも継承しているのだという発展的な回答を、敬一の友が、自分自身の苦悩の中から築きあげてゆく力強さ、肯定してゆこうとする勇気が、魂を撃つ。
     4.3事件は、分かる者には分かるという形でしか描かれていない。つまり、個々の事件というより、虐殺という情況の普遍化が為されているのである。例えば、母、ウネが故郷を離れる船旅でも、窓が一つも無いことで船倉を表し、1週間の船旅の最初はぎゅうぎゅうだった船倉にゆとりが出来ることを書くことで、亡くなった人々が魚の餌になった事を表すといった次第だ。ここにも、表現者としての苦労の跡が見える。作者のこのような労苦の過程が、作品にも反映している。アイデンティティーと血の問題で悩み続けて来た個人史が、作品をしっかり地に足のついたものにしている。
     現在描かれる日本の若者の作品には、このように世代を繋ぐ経験が無い。共通の分母はとっくの昔に崩壊してしまったのである。この作品は、そういった我々、日本人の足元をも照らしてくれた。

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