クラウド・エンド・オルタナティブ 公演情報 クラウド・エンド・オルタナティブ」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
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  • 満足度★★★★

    テーマが◎
    「罪とその償い」「被害者遺族の心情」に始まり「復讐の連鎖の虚しさ」に至るテーマが◎。
    また、幻想と現実を往き来する構造から実は彼らは既に死んでいて地獄で永劫苦しみを繰り返しているのでは?とも思ったり。
    さらに、舞台両脇に置いたドラム缶や打楽器を出演者が叩き鳴らしながらの暴力シーンの迫力たるや…。

  • 満足度★★★★

    宙吊りという拷問
     欺瞞や擬制を排し、己の中心性を見出すべく格闘する若い精神とその苦悩を描いた作品と取ることも可能である。若者が日々感じている閉塞感、空虚感を宇宙空間に於ける絶対的な無根拠、即ち居所の無さと捉えた時、彼らの苛立ち、焦燥、耐え難さ、宙吊りになったままの拷問を生きる虚ろな存在感のあやふや。そんな総てが、彼らの精神を襲うのである。幸か不幸か、多くの若者は対処する術を持たない。その結果、前半部では暴力が全面に出てくるのである。

    ネタバレBOX

     実際、バスジャックに遭ったバスの乗客は、手の届きそうな所を行く黒い空を見、更にはその向こうにある白い空に近づくのだ。これは無論、ブラックホールとホワイトホールの比喩である。一方、人間の本質を見ようとする時に宇宙ほど適切なものはまたとあるまい。何となれば、今や、我々生命を形作った物質は、宇宙、それも特に小惑星からやってきたと考えられているからだ。つまり生命の故郷は宇宙である。多くの者が、宇宙に興味を持ち、星の話に興味を覚え、懐かしさすら感じるのは、遺伝子に組み込まれた旧い記憶のせいかも知れない。宇宙の歴史やサイズから見れば塵のような存在であるヒトは僅か1500cc程の脳を用いて、宇宙の神秘に挑み、僅かではあってもその生成、姿、各々の関係などを発見し、意味付けようとさえしているのである。
    それほど積極的には生きられない者達もいる。彼らのうちのある者は、存在しているという感覚を掴みたいばかりに自らを傷つけることを選び、他の者は、悪を選ぶ。それもこれも、自らの存在にアンカーを打ち込みたいが為だ。従って、これらの行為を頭から悪弊だの、犯罪だのと看做すのは、矢張り早計だと言わねばなるまい。無論、痛ましい犠牲者が出、それが、子供や弱者であるような場合、放置しておくべきではない。然し乍ら、若者達が目指したものが存在の闇でそれをを暴こうとするものであるなら、一考の余地はあろう。確か臨済録に“仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に会うては羅漢を殺し”云々という文句もあったではないか。それほどの事、或いは覚悟をしなければ、有徳の僧でも解脱など及びもつかないのである。そして、実存とは、何も哲学だけの用語ではない。我々の生きる日常そのもの。日々の選択であり、判断であり、その結果責任である。
     ヒトには、宇宙を司る原理と共に社会という名の共同体を維持してゆく為の原則がある。その原則は通常、掟として人々を縛り他者への無責任な対応を禁ずる。従って、これを守ってさえいればヒトは「大して苦労もせず」、他人より多くを分かる必要もなければ、殊更敵対する必要も無い。これらを真に必要とし、真剣に考え解決策を練るのは、常に道を踏み外した者である。それも己の快楽の為に他人を殺すようなことではなく、事故に巻き込んで他人を死なせてしまったとか、弱い者を助ける為に暴力をふるったが、打ち所が悪く相手が死んでしまったとか言う者は尚更である。一方、相手の家族にとっては、自分の親族を奪った者として、意図的であろうと事故であろうと関わりが無い、との立場を摂ることも可能なのである。
    シニシズムを以て世界を断ずるか或いは想像力的に世界を捉えるかによって見解は変わってこよう。どちらがより豊かで実感が伴い、納得できる人生たり得るかへの問いでもある。

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