満足度★★★
で、アウラは…
画像の中で役者と語らう字幕の上に存在するのだろうか。
あるいは役者と語らう本人の映像の中に存在するのだろうか。
舞台表現の中に画像(人間を含む)が登場することはもはやさほど珍しいことではないはず。問題はそれがどこまで複製可能か、ということであり、それが今回のパフォーマンスの意義だったのだろうと思うけれども…。
今日行われたことが明日も同様に「複製」のように行われるか、あるいはTPOが変わった場合でも全く同様な「複製」として提供できる質感を持つのか、という点については、正直曖昧でよくわからないままだった。