幸せになるために 公演情報 幸せになるために」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.9
1-10件 / 10件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    Bチーム観劇。日航機墜落事故に取材した作品、当時の事を思い出しながら、ぐっと引き込まれました。エピソードの殆どは見聞きしていましたが、改めて舞台化された作品を観ると、大いに感銘を受けますね。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    当時の報道の記憶がまざまざと思いだされました。悲惨な事故…あの陰に隠された真実は何だったのでしょう。笑いの合間に来る悲しさや激動が辛かったです。そして、間違いなく風化させては、いけない事故だと思いました。自身も、あり得ない事故で祖母を亡くしましたので遺族様のお気持ちは、少しは、理解出来ます。どのような真相で有れ、このような悲惨な事故が二度と起こらない事を切に願います。そして、演者の方々にも敬意を表します。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    「幸せになるために」という題が心に沁みます。

    ネタバレBOX

    シーンごとの切り替わりが鮮明で、ぐいぐいと引き込まれました。役者の熱量がとても充満したあつい物語に感じました。最後の御巣鷹の尾根、慰霊登山の映像、本作品に込められたメッセージ、123便の事故のことを風化させてはならないこと、その重みを感じました。
  • 実演鑑賞

    Bチームを観劇しました。
    明るい雰囲気で進むストーリーが、どんどん悲しく残酷な展開になり、胸が苦しくなりました。
    運命の残酷さ、遺族達の思い、亡くなった人達の無念・・日航機墜落事故を忘れてはいけないと、改めて感じました。
    搭乗者の測り知れない恐怖、それを考えてしまう遺族・・私が遺族だったら発狂するかもしれないと、色々な思いが頭を離れませんでした。
    考えさせられる良い舞台でした。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    コミカルで夢のような前半から目を背けたくなるような現実に向かっていくとこが、楽しい日常が一気に落ちていくようで恐ろしかったです。幼い頃、長い夏休みで見たヘリ救助映像が今でも思い出されます。退屈でしょうがなかった子供にも印象深く、何でもないようなことが幸せだったと今となってはしみじみ思います。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    よく考えられたシナリオに演出ですね。感情籠もった演技で見応えあり有り。
    小学生の演技も素晴らしかったです。
    内容も演技も素晴らしかったので、涙を流されておられたがちらほら見受けられました。
    ほぽ満席。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    10月11日B観劇。

    ネタバレBOX

    重い話なのに、重くならない感じで良かったです。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    内容的に語弊があるが 面白い、お薦め。
    説明にある「1985年8月12日に起きた日航機墜落事故」のドキュメンタリー演劇のようであるが、それを実体験するようなイマーシブ感が凄い。少しネタバレするが、会場を「日本航空123便」に見立て 観客は乗客といったところ。場内は客室乗務員の制服を着たキャストが案内する。墜落直前は、客席通路で乗務員が非常時対応の指示をする。場内全体がダッチロールするような臨場感そして没入感に驚く、同時に舞台上の情景が…。

    映画撮影の劇中劇のような描き方、そこに集まった人々の想いが違った筋書きへ変えていく。日航機墜落事故から今年で40年、遺族の悲しみは癒えることはない。物語は、遺族や関わった人々だけの問題ではなく、二度と遭ってはならないという警鐘でもある。内容的には重いが、“STRAYDOG”らしい 歌やダンスといったエンタメ性で観(魅)せる。そのバランス感覚のすばらしさ、観応え十分。
    (上演時間2時間 休憩なし)【B】

    ネタバレBOX

    舞台美術は、正面奥に大スクリーンといくつかのパイプ椅子があるだけ。

    物語は 説明にある「とある廃工場に映画の撮影で集まった人々・・和気藹々」といった描き方で、撮影も「ハドソン川の奇跡」のような筋書。しかし 集まっていたのは、日航機墜落事故の遺族。そして墜落の事実 その裏に隠された真実を知るための筋書へ変わっていく。国家機密の隠ぺい説など、いろいろな憶測が飛び交う。

    前半は、123便の乗客の生前の暮らしを点描し、変哲のない幸せな日々が紡がれていく。その狂言回し的存在が 鳥居みゆき さん。客室乗務員だったが、当日非番のため事故に遭わなかった。そんな複雑な思いを抱えたまま生きている。
    後半は、事故現場の様子が凄まじい。自衛隊の救助、医療隊の救護の状況を 早口で実況するように喋る。その姿を 天井からの白銀のスポットライトまたはバックサスで照らし印象的に演出する。その場の緊張感・緊迫感がヒシヒシと伝わる。その後、パイプ椅子を並べ、その上にシーツを被せ遺体収容所を出現する。遺体との対面シーンは悲しみで胸が締め付けられる。その時は暖色照明で、実に巧みに心情を浮き上がらせる。

    墜落状況はスクリーンに飛行映像を映し、舞台上では 乗客が家族などに向けて書いたであろう手記/メモを傍白する。先に記したように乗務員に扮したキャストが通路で身振り手振りを交え 動き絶叫する。会場床が揺れ、本当に機内にいるような錯覚に陥る。その臨場感に圧倒される。
    悲しみは、嘆くだけではなく 抱きしめるもの。ラストは「上を向いて歩こう」の歌。
    次回公演も楽しみにしております。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    やはり、外れはない団体さん。今回も2時間という時間を忘れてしまう物語の運びで、良くできた作品。役者の皆さんのお芝居も心に響く、素晴らしいものでした。観てよかったと思う内容でした。いい時間を過ごせました。ありがとうございました。

  • 実演鑑賞

    二度目のSTRAYDOG。毎回公演の案内を見るに予想がつかないこれも一つ。ただ想像の範疇は一度目に見た「俳優たち」の空気感、年齢層が20代~30代という所(ベテラン勢も若干数は居るのだろうけれど)から来る芝居の質感も固有のそれで、父役と子役を同じ年代のキャストがやるものだから、とりわけ今回のような群像劇は最初は混沌として見える。
    だがそんな「見えにくさ」はやがて溶解し、ドラマがなだれ込んで来る。
    メタ性を遊ぶ感覚(客への意識の顕在化)で軽やかさを出しながら、今作が取り上げるシビアな題材に直裁に語らせるという事がある。少なからず驚かされた。
    観始めて「おや?」と見ると鳥居みゆきであった。異質な存在も包摂して成り立っている芝居。ドキュメントとフィクションの狭間で後者の強い作風にもかかわらず、強烈に芝居に突入してくるドキュメントも包摂される。後日ネタバレ含め追記。

    ネタバレBOX

    日航機墜落事件(1985年)を扱った舞台として思い出すのはNODAMAP「フェイクスピア」(シェイクスピア四大悲劇やイタコと絡めて最後の最後にこの事件がジャンボジェット機の機首が突如顕われるかのように顕われ仰天、震撼となったものである)。公演概要も読まずに観劇に及んだが、「あの事件」を描いた作品である事は序盤で説明され、回帰的に乗客それぞれの前日譚を描く形になっている。つまりはNODAMAPとは真逆のネタバレ先行だが、歴史事実と向き合う正当な順序ではあり、オーソドックスなドラマの構成でもある。冒頭そして最後を客室乗務員役として引受ける客演・鳥居みゆきが独特な演技だが不思議な存在感。そして本編の大部分は坂本九をモデルとした一家を含む五組の乗客家族の「死へと向う」それぞれの人生模様と日常であるが、事故を挟んだ「その後」の姿、証言もある。また予期せぬ要素として、一部で囁かれている救助を遅らせた真の原因=墜落原因は米軍機との接触でありその隠蔽のために時間を要したとの疑惑を取り上げ、語らせる。
    時間を戻して5家族の群像・・九ちゃん一家は音楽畑の妻と娘。父母を離れて初めて三姉妹そろっての大阪旅行、細部は忘れたが家族思いの父を送り出す妻と長男とその妹、老父母が送り出した娘、そして別れた夫も同意で息子を一人で大阪行きの飛行機へ乗せた母(鳥居)。日航123号がついに飛び立つ。機体後部で激突音がする。事態が急を告げ、RED THEATERの縦二列の通路を客室乗務員が右往左往し、劇場全体が緊迫の空気に飲まれる。既に人物たちに共鳴している心がその現場へと同道させる。カウントダウン、地上激突の瞬間(閃光と衝撃音)、そして救助場面へとなだれ込む。その前段に救助に当った自衛隊員の、今まさにヘリから降り立った時点を描写する語り=証言がある。バラバラに散った肉片を見た救助隊員らの衝撃を迷彩服の男らが限界ギリギリの声量と速さで伝える。戦場や災害で衝撃的場面に遭遇した人間は反射的な落涙を経験するというその衝撃を、隊員らは言語化して伝え、観客はそれに共振して落涙に誘われる。作者なりの描写であるが前半思いも寄らない40年前実際にあった修羅場が再現される。
    炭と化した遺体(従って誰のものかも判らない)と対面する遺族の証言と場面から、遺族同士の励まし合う場面、娘らが帰って来る日を待って40年を過ごした(乗り切った)という主婦が、飲酒依存となった姿も。だがドラマは収束して行く。亡くなった娘らが母に言う「帰って来るわけないじゃん。」けど「ずっと傍に居るよ」。五組の家族は一組、また一組死者と出会い、去って行く。最後に残った鳥居の前にも、やがて息子が現われる。人生の意味への問いに直面するのは必ずしも不条理な事故の経験者に限らず、不条理が日常化している人々が今この時にも生きている。その人たちとの共鳴、あるいは連帯というものを予感させる感動を紡いだ所に脚本家森岡氏の骨を見たような。
    出演者多数であったが、場面転換に付随する衣裳の早替え(客室乗務員の制服へ、また迷彩服へ)も中々のもの。歌唱レベルも高く興醒めさせる事がなかった。

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