6月26日/生きてみれば 公演情報 6月26日/生きてみれば」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.7
1-4件 / 4件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    韓国チーム、日本人チームともよく考えられたストーリーで見応えあり有り。また、考えさせられました。
    両チームとも汗びっしょりになって演技で凄いな感じでした。

  • 実演鑑賞

    良かったです。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    面白い、お薦め。
    FUTURE EMOTIONの公演は、期待を裏切らない。
    物語のテーマ性が明確で訴えたいことが 犇々と伝わる。「『異邦人だったが美しかった人々』をテーマに日本と韓国の作家が保有する作品を交換して発表する演劇交流プロジェクト」。上演は「生きてみれば」(韓国チーム) 「6月26日」(日本チーム)の順で観たが、自分の捉え方が違っていなければ、その世界観は共通している。

    両作品は、「人間」と「国家」の在り方をどう捉え、どう生きるかを問うている。そこに<生>への根源的な思いが描かれている。シンプルな舞台装置 というか ほぼ素舞台だが、そこに自分という存在と国家を通してのアイデンティティ(自分は何者かという自己認識)を突き付ける。しかも戦争という最悪の不条理を通して見つめるもの。
    演劇的には、韓国チームは女優2人による心/記憶の彷徨、日本チームは男優2人の極限状態における濃密な会話で紡ぐ。至近距離での演技は、その臨場感に圧倒される。
    (上演時間2時間5分 途中休憩15分) 

    ネタバレBOX

    舞台美術は、両作品とも暗幕で囲い箱馬があるだけで、違うのはその配置。どちらも色彩は黒と白のみ、それは鯨幕ー死後の世界を連想する。

    ●「生きてみれば」(韓国チーム)*字幕あり
    四方に箱馬を置き テープで菱形に囲った空間(手前だけが低い)。
    説明では、大戦末期 朝鮮人と結婚した日本人女性タミエ、彼女が終戦を迎えた韓国で生んだ娘ミジョンの物語。2人はデザイン違いの白い衣裳。タミエは白い軍配のようなものを頭飾りにしている。
    冒頭はミジョンが溺れているようなところをタミエに救われるところから始まる。出会った時は 2人ともお互いのことを知らない。終戦の混乱時、タミエはミジョンの手を引いて離さないよう言うが、いつの間にか逸れた。タミエは夫と別れ1人。ミジョンは成人し結婚した。その夫は争議で検挙され 亡くなり、ミジョンの娘も亡くなり、こちらも1人。タミエはミジョンの手が離れた時に、娘から捨てられたと思い、一方 ミジョンは母(タミエ)に捨てられ 自分の娘からも(亡くなったことで)見捨てられたと。

    2人がいるところは 現世と来世の狭間。タミエは既に亡く、ミジョンが入水自殺を図って此処にいる。2人のそれぞれの軌跡を辿り、お互いの思いを綴る。生きることで必死だったが、母娘の情愛はどこかで繋がっていた。生きることが辛い、しかし 母タミエはミジョンに生きてほしい。生きることに迷っても、生きていればいいことがある。タミエはミジョンを現世へ戻そうとするー「生きてみれば」…。

    ●「6月26日」(日本チーム)
    暗幕で囲い、白い箱馬が3つと布を巻いた銃が二挺(布で銃口を覆う=反戦の意か?)。
    2人は 薄汚れた黒っぽい衣裳。転戦するごとに その国の戦闘帽を被る。韓国江原道出身の2人の悲惨な戦争体験物語(1938年11月~1950年6月)。
    説明では、朝鮮人だったが 日本軍として大戦に参戦し捕虜となりながらも生き抜き、朝鮮で再会を果たす2人の男の物語。今でも江原道は朝鮮民主主義共和国との軍事境界線を挟んだ行政区画にある。自分は20代の時、韓国に研修・視察に行ったことがあり、板門店にも訪れたことがある。その緊張感は今でも忘れられない。

    冒頭、この場所はどこか。チリリンとなる音に向かって語り掛ける2人。そして(亡くなったであろう)母に会わせてもらうため、辛かった戦争体験を話し出す。日本に徴用された2人が ロシア、ドイツ、アメリカの捕虜として転戦するうちに築く友情。そして再会したのが朝鮮戦争で南北に分かれての敵同士という皮肉。転戦は、役者がロシア(スターリン万歳)、ドイツ(ヒトラー万歳)、アメリカそして自国での朝鮮戦争の情景は曖昧にしている。逆に言えば場所(転戦)は事実であるが、重要なのは戦争そのものの不条理を鋭く批判しているところ。同時に、生きるため捕虜になってもその国のために戦う、アイデンティティなど関係ない。根底にあるのは人間としての「生」への執着。ちなみに ロシアの極寒の情景にも関わらず、役者の額(ひたい)には大粒の汗がひかる。
    この世界観は死後、それでも母に会いたい親子の情(読み書きできない母が独学で学んで手紙を書いてくれた)。
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    日本に徴用されるまでの経緯が分からず、又は自分の生い立ち、貧困等の事情があるならば、当時の朝鮮という国の置かれた状況など、そのものを捉えているのではあるまいか。作はチャン・テジュン氏で、彼らの視点で作られた作品を日本人が観て感じるには正直難しい。表面的な理解に陥りそうで少し怖い気もするが…。両国の演劇を交換して発表することは、お互い「感覚的」に解り難いところを 作品(物語)の世界を通じて追体験することによって、少しでも分かり合えるように を意図しているようだ。そこに異邦人としての観客(自分)がいる。
    次回公演も楽しみにしております。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     「生きてみれば」「6月26日」2作品を上演、途中15分の休憩を挟み、尺は2時間から2時間5分。(追記後送)

    ネタバレBOX


     仏語の名詞にdépaysementという単語がある。今作の内容に合致する訳をあてはめてみと凡そ以下のような意味を持つ:異なった環境や習慣の中に身を置いた者が、その環境や習慣になじむことができず異和感や居心地の悪さ、戸惑いなどに悲哀を感じて苦しむこと、という意味を持つ単語であるが、古くは異国への追放を意味した。今回、上演される2作品の何れにもこの単語の意味する処が根底に流れている気がする。2作品に共通するのは歴史に翻弄される人々という点であろうか。

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