平和 公演情報 平和」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.8
1-5件 / 5件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    平和とはなんなのか、戦争必要なのかを問いかける作品。
    見ごたえあり有り。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    うーむ チョイ古い感じのする芝居でした
    そりゃーまぁ2500年前の戯曲だしー
    でも面白可笑しく表現してくれてたなぁと
    1時間50分に休憩10分挟み
    アフタートークもプラスされ
    見応えの大きな作品となってました
    10月16日の朝日新聞夕刊に
    演出家さんのインタビュー記事掲載されてます

    ネタバレBOX

    ペロポネソス戦争中のアテナイにて
    戦争の悲惨さと平和の尊さを訴えるために
    書かれた古代ギリシャの喜劇ですけどー
    初っ端から排泄物混ぜ込んで
    空飛ぶフンコロガシを大きくして
    主人公が乗って
    天上界に行って
    戦争の神に閉じ込められた平和の女神を
    侍女ともに救い出して戦争を収めて
    女神と懇ろになれてパッピーエンド
    という荒筋であります

    デカい頭の戦争の神がインパクト凄かった
    処々ミュージカル化したりと
    エンターテイメントしておりました

    チラシではウンコに乗って飛んでますが
    一応フンコロガシに騎乗してが
    作中表現でも正しいのですけども

    アフタートークで東独出身の演出氏の
    徴兵された19歳のベルリンの壁の上で
    西側のヘリコプターに銃口向けられて
    ロックオンされ搭乗兵が笑って
    放送コードに引っかかるハンドサインしたという
    話が強く印象に残りました
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    あ~あ、戦争なんてなくならない、それは人が貪欲で愚かだから。戦争なんてなくならない、それは平和を守るという大義名分で戦争をするから。2500年前だろうが今だろうが、きっとおんなじことが繰り返され、これからも起きていくのかなと感じる、cynicalとcomicalが表裏一体で同居したお芝居でした。舞台の上は常にある種のカオスであり、それを観客席から眺めているのは、きっと神々が天上界から眺めているのとおんなじこと、カオスの中にいれば、各人がとても真面目にかつ真剣に行動していることが全て喜劇であるが気がつかない、極めてお芝居なのですが、それが実は現実を映し出しているように感じて不思議な気持ちになりました。

    とても前衛的な演出でそれこそ演出家の母国であるドイツの小劇場にいるような空間でした。また、舞台だけでなくホワイエまで使っちゃう、劇場は舞台の上だけが劇場じゃない、劇場にいる時はどの時間もどの場所もお芝居の中ですと言われているようなひと時でした~

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     東京公演初日を拝見、尺は途中休憩10分を挟み丁度2時間。お勧めの舞台である。(追記後送)

    ネタバレBOX

     今回の上演作品は、現在普段は九州で活動するうずめ劇場を主宰する矢張り東ドイツ出身のペーター・ゲスナーさんが先ず東京上演の後、ベトナムのニンピンでの上演を予定しているという意気込みからも窺える。
     史実として、大ディオニュシア祭で今作が上演されたのは主たる戦争推進者であったアテネ将軍・クレオンとスパルタの指導者であったブラジダス両名が戦死した後の空僚をアリストファネスは如何にも喜劇作家らしい自由な視座から利用したと考えてよかろう。(この点も当パンに記された観点をベースに記している)近年ではチャップリンがヒトラー全盛期にヒトラーを茶化した「独裁者」を発表したことと似ている。
     喜劇は現実の悲惨、耐え難い苦悩、人々の魂が負った深い傷をも、その原因となる元凶を茶化し笑いで無化する作用を持つ最もラディカルな表現手段である。そして最も大きな害を齎すものこそ戦争なのではないか? 先に挙げた害悪の最たるもの・ことは総て戦争の必然的産物に他ならない。気を付けねばなるまい。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    ペーター・ゲスナー氏は時々凄いものを作ってくれるが、これはまたエライものを。
    もっとも、作風は前作「ニッポン人は亡命する。」に通じ、混沌具合は「地球星人」がその極大版であった。
    最近でこそシアターXがお馴染みの公演会場になっているが、どうしても「喜劇だらけ」(もう10年前)が(良くも悪くも)印象に残るのは、うずめ近年のお家芸(=色んな人を(巧拙にこだわらず)舞台に上げちゃう)、祝祭的舞台の最初であったから。
    アリストパネスと来ればあのワチャワチャ感満載の舞台では?と想像してしまったのであるが、少し違った。否だいぶ違う。闇鍋感は漂うがよく見れば選りすぐられた感あり。
    好みははっきり分れそうでもある。が、自分は強烈に好きである。
    舞台を「作った」というよりは、実験室に籠もったマッドサイエンティストが実験してたら「出来ちゃった」感が強い。これは後藤まなみという自然発火物質のような女優の「演出によって制御されてるようには見えない」風情に大きく拠っていそうである。本作では主役の荒牧氏の周りで八面六臂、観客いじり型芝居のいじり場面でも客の好意的反応をもらっていたが、この荒牧氏も、娘役!の松尾氏も「行っちゃえる」俳優であり、美味しい瞬間が多々訪れる。
    歌も多い。アカペラの合唱(何やら原始的な)あり、楽器はペット、トロンボーン、ドラム、ベース、電子サックス、生ギターなども。混沌の中にうっすらと、そして次第に見えてくる何か(歌も、芝居も)。ギリシャ演劇を上演するという営みの中に、現代秩序を超越し、時代と地域と文明を越境した自由精神の発露がある。
    歌も、芝居も、自由極まりない。

このページのQRコードです。

拡大