『アネモネ、誰の為に咲く?』 公演情報 『アネモネ、誰の為に咲く?』」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.8
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  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    上演時間が約50分でしたが、殆どが観客参加型で、舞台ではなく実験的なイベント?という印象でした。
    役者さんに話しかけられると、その真っ直ぐな眼差しに吸い込まれそうでした。
    主人公が、どんな状況なのか、様々な捉え方が出来るので、終演後も頭の中が謎でした。
    不思議な時間を体験しました。

  • 実演鑑賞

    良かったです。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    劇団初見。会場も初めて。窓から緑が見えていいロケーションですね。芝居の方は前半が観客との交流会のようなメルヘンチックな世界。自分には場違いかなと思った。衝撃音とともに始まる後半ではああそういうことなのかと。かなりシリアスで、前半とのギャップが大きいな。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    少女が人形遊びに夢中になる理由。ヌイグルミとして、がっつり観客参加型。おっさんには少々ガーリーが過ぎる。話しかけられても、世界観を壊さない受け答えができず難儀する。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

     初日を拝見。

    ネタバレBOX

     Galleryでの公演なので演じられる空間は、通常の床を観客用の椅子で囲んだほぼ楕円形。楕円形の上手下方に電子ピアノ。フライヤーに記されているように“映画でもない、演劇でもない、気がつけば隣人”と言い得るような内容である。表現としてはほぼ一人芝居。演者は独りの少女。小ぶりで白い熊のぬいぐるみが唯一の友達。ぬいぐるみは名前を持つが古武士のような名である。他に恐らく病を患っている母。生演奏をしているピアニストに誘われて少女がピアノを弾くシーンがある。印象的なのは少女が裸足であること。
     フライヤーに記されている“映画でもない、・・・云々”のコピー通り通常のストーリーテリングな展開は排除されており、少女の暮らしについての独白、たった独りの生活の中で繰り返されるぬいぐるみとの自作自演「対話」、観客を巻き込んだしりとりや記憶力ゲーム、独白、動物の形態模写等がランダムを装って演じられる。かなり抽象度の高い作品なので上に挙げた様々なアクションがどのように繋がり、何を示唆しているのかについては様々な解釈が可能な作品であると言えようが、フライヤーに記されていたコピーのラスト“気がつけば隣人”は確かに現在日本人の多くが陥っている或る精神状態或いは精神疾患と無縁ではないと解釈した。またアネモネの花言葉も顧慮する必要があろう。一応おさらいをしておくとアネモネの花言葉に哀しいものが多いのはアフロディテが恋したアドニスが不慮の事故で亡くなりアフロディテが流した涙やアドニスの流した血からアネモネが咲いたとされる話が人口に膾炙したからではあるが、花の色によって花言葉が異なるので自分は、この説を重視し哀しみに纏わる花言葉を選んでいる。
     今作の本質的メッセージが最も濃く表れるのは、動物の形態模写場面からであろう。兎や蛙など幾種類もの動物を演じていた少女は、突然起こった銃撃に倒れる。自分はこのシーンで「ごんぎつね」を想起した。新見南吉の有名な作品だから内容はご存じだろう、省略する。ごんの哀れな末期に深い哀しみを覚えるのである。今作ではこの動物形態模写とどうやら病んでいると思しき母の登場、母から身を隠す“かくれんぼ”によって自らのアイデンティティー不成立の根拠からも、母という自らの創造者との二人称関係からの脱却にもチャレンジし得ない結果抱えたアンヴィヴァレンツからも、逃げてばかりいる少女の、非主体的生き方の齎した諸状況を感得した。
     このような精神状態を持つ日本人が増加しているという意味で“気がつけば隣人”即ちSome one like youなのである。父の不在とぬいぐるみの名からは、第三者性の欠如があからさまに見え、結果、実存レベルで己を客観化し得ない主体のamorphousが自ずと見えてくる。

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