八月納涼歌舞伎 公演情報 八月納涼歌舞伎」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.5
1-2件 / 2件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    「21年ぶりに生まれ変わった傑作」

     木村錦花の原作をもとに2001年に初演され05年に5代目勘九郎改め18代目勘三郎襲名披露で再演された、野田秀樹作・演出の話題作の三演である。今回は当代勘九郎が勘三郎が演じた守山辰二を継承した。

    ネタバレBOX

     赤穂浪士の討ち入りの報に湧く粟津の国の城内で、研屋から侍になった守山辰二(勘九郎)はひとり討ち入りがいかに愚かであるかと喧伝して皆から総スカンを喰らっている。家老の平井市郎右衛門(幸四郎)にさんざんやり込められ大恥をかいた辰二は夜更けに職人仲間の協力をあおぎからくり人形の仕掛け(片岡亀蔵)で市郎右衛門を驚かすのだが、その勢いで市郎右衛門が死んでしまう。その場から逃げた辰二の後を追う市郎右衛門の息子九市郎(染五郎)と才次郎(勘太郎)は、たどり着いた道後温泉の宿で偶然にも辰二を見つけるが、辰二は言葉巧みに平井兄弟こそわが仇と皆を言いくるめていた。敵討ちを巡るドタバタのなかで浮かび上がってくるのは、現代に通じる大衆心理の恐ろしさである。

     21年ぶりの再演による世代交代によって今回は新歌舞伎の古典再演という趣がより強くなった。勘九郎の辰二は父勘三郎に比して口跡がよく身体がよく動くため、大量のセリフを淀みなく発し所狭しと動き回って喧しい。勘三郎のように柔らかさや愛嬌で会場を湧かせるというよりは、戯曲の役柄を深く掘り下げている。ただ終盤で辰二が刀を研ぐ場面で「生きてえよ」と涙声で発するくだりは、やはり年の功なのか勘三郎のほうがより印象深かったように思う。前回までは三津五郎がときに舞台を締め、ときに洒脱に楽しそうに演じていた市郎右衛門は幸四郎である。家老の風格は足りなくとも勘九郎と対等に渡り合う好敵手という絶妙な配役であった。辰二を甘やかすやや間の抜けた奥方萩の江と後半宿屋で辰二に求愛するおよしの七之助は、こちらも初演・再演を担った福助同様にうまく演じ分けながら、特におよしの場面で何度もバック転をして会場を湧かせた。父たちから平井兄弟を受け継いだ染五郎と勘太郎は若々しく、初演・再演にも出演していた扇雀が追い詰められた辰二を諭す僧良観を演じ舞台を締めた。

     平井兄弟に斬り殺された辰二が大量の紅葉に囲まれながら「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲を背景に絶命する最後を観ていて、この20数年に起きた出来事に思いを馳せた私は何度も胸が熱くなった。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    ネタバレ

    ネタバレBOX

    八月納涼歌舞伎『野田版・研辰の討たれ』を観劇。

    あらすじ:
    守山辰次は元は刀の研屋で、殿様の刀を研いだ縁で侍に取り立てられたものの、武芸はまったく駄目。家中の侍に打ちのめされた辰次は家老へ意趣返しをしようとします。ところが、仕返しのために仕掛けたからくりが元で家老は死んでしまい、辰次は家老を殺した敵として追われる身となります。仇討ちの旅に出た家老の息子二人に追われて、諸国を逃げ回る辰次でしたが……(チラシより)

    感想:
     今作を観る機会はシネマ歌舞伎しかないと思っていたが、息子たちで再演で観れたのは嬉しい限りだ。
     20年ぶりの再演ながら、時代は初演当時とかなり変わってきている。世界では戦争が至る所で行われ、混沌としている。
    舞台では、赤穂浪士たちの仇討ちで街は湧き上がり、やられたらやり返すという『義』がまかり通っていた当時と同じような事が、現実に起こっている世界情勢と重ね合わせている。
     今や野田秀樹の芝居は「夢の遊民社」の頃とはかけ離れ、悲惨な出来事を受け止め、己の舞台で描いているが、歌舞伎でもブレることはない。歌舞伎界隈の時事ネタや見立てはもちろんだが、歌舞伎特有の華やかさを借りながら、仇討ちに逃げ惑う守山辰次の「死にたくない!生きたい!」という叫び声は現代に至るまでの戦争犠牲者の叫び声だ。
    華やかさと軽さが相反するように闇が迫ってくるラストには唖然とし、「町民・守山辰次の叫び声は永遠に誰にも届かないのだ」と訴える劇作家の願いは絶望に等しく、終演後には座席から立ち上がれなかったほどだ。

     再演とはいえ、見過ごしていけない。
    料金が高いので、歌舞伎シネマで済まそうなんて思ってはいけない。
    歴史的傑作なのだから…。

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