わたしたちは生きて、塵 公演情報 わたしたちは生きて、塵」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.3
1-3件 / 3件中
  • 満足度★★★★

    きらきらと舞う塵
    酒井幸菜の内面を覗き込む様な感覚。いいダンサーが揃った。

  • 満足度★★★★

    孤独と再生
    女性6人によるタンツテアター的作品で、笑いのない真面目な作風ですが、重苦しいわけではなく、清らかな雰囲気があって魅力的でした。

    会場の中央に吊り下げられた裸電球が1つずつ過剰な電圧が掛けられ眩しく輝いた後に切れるのが繰り返され、6つとも切れて真っ暗になり、明るくなると6人のダンサーが立っているオープニングが圧巻でした。
    ポリビートの音楽と多彩な照明の中でクールに踊りまくった後は静かなシーンが続き、口に指を入れて引っ張って顔を変形させたり、バケツに注いだ水を床にぶち撒けて、それをモップで拭き取ったり、顔を衣装で覆っておぼつかなく歩いたりとネガティブな雰囲気の後に、宗教儀式を思わせる手の動きが反復され一時の平静を得た感じでした。
    その後にあった、1人が他の5人に「来て」と優しく呼び掛けるものの無視されてじたばたしながら絶叫するシークエンスは表現が生々し過ぎて、他の部分から浮いて見えました。
    ベートーヴェンの『運命』第4楽章が大音量で流れ、金銀の紙吹雪が送風機で巻き上げられる中、バドミントンをするペアがいたり、フラッシュを焚きながら写真を撮ったり、それまでに出てきたムーブメントが回想されたりと混沌とした祝祭的な高揚感が印象的でした。
    終盤は冒頭の立ち位置に戻り、再び宗教的な手のダンスが踊られ1人が取り残され、紙吹雪を掻き集める中、外の部屋から送風機を持ったダンサーが近付いて来て、隣り合った瞬間に暗転して終了という終わり方が不思議な余韻を残していました。

    しなやかなムーブメントが美しく、群舞の時には目まぐるしくダンサーが入れ替わり、見応えがありました。水にまつわる小道具がいくつか使われていましたが、あまり効果的に見えなかったのが勿体なく思いました。

    映像を照明的に用いたり、様々な色彩や照射エリアがあったりと、照明が効果的で素晴らしかったです。

  • 満足度★★★★★

    なんか、
    LIFTのときと同じような感覚でいると、とんでもないことになりそうだった。
    やはりチケットはきちんと予約した方が良いです、危ないところだった(苦笑

    根っこのところは、昔と変わってないんだろうけれど、
    映像や音楽でいろんな人に支えられたのかな・・?
    作品としては、年を追うごとに目覚ましい進歩を遂げているような。

    若い人が目覚ましい勢いで成長していくのを視るのは、
    自分には既にある芸術的な構築物を、腕を組んで眺めるよりも
    ずっと素敵な経験であるのは間違いないな。

    ・・いや、この場合は、成長というよりかは、
    色んな味方を得て、
    自分の世界を凄まじい勢いで広げていっているとでも言うのかな・・?

    いろんなこころのなかに書き溜めたデッサンを、
    海に照りかえされた月の光の中にいるみたいにしたダンサーたちが、
    ぽつりぽつりと描くように、吐き出すように、
    踊りながら形にしていくのをみるのは
    それこそキツネにつままれるみたいにフシギで
    静かな夢の中にいるみたいな・・。

    ネタバレBOX

    ・・・そういえばきのうの晩、
    お袋が仏壇に向かってにこにこして言ってた。
    「お父さん、おやすみなさい。でもそういえばお父さんはずっと寝たままね」
    自分はお袋に言ったなぁ。
    「なんでそんな寂しいこと言うの?オヤジは寝たままかどうか分からないじゃ?」
    自分は穏やかに眠るようにして死んだ父親のことを思い出していた。
    ・・眠るようにして死んだ人は、灰になった後も眠ったままなんだろうか?

    母親は言った。
    「そうね。眠ったままかなんて分からないわね。今はもう起きて、私たちの周りをまわってるのかな・・?」

    「俺たちの周りにいるってことは、俺らを心配してるってことなんじゃ?大丈夫、オヤジは笑いながら死んだから、もう魂も天国にいったよ・・」
    自分はそう言いながら、母親を安心させるつもりでそういったけれど、
    オヤジの魂がもうそこにはないだなんて、お袋には残酷なことを言ってしまったな、と思って後悔した。

    ついこの前まで生きていた人間が、灰になるとは、どういうことなんだろうか・・?
    あるいは、目の前の人もじきに灰になるということについて。
    自分もやがて同じ道を歩むことについて。

    歴史上の、既に塵芥になってしまった人物たちの熱い魂の軌跡に思いをはせながら、想像する。

    そもそも踊ることになんの意味があるのか?
    やがては動かなくなり、塵になるというのに。

    別にそんなことに答えなどありはしない。

    ・・自分はふたたびお袋のことを考えてみる。

    舞台を観終わったあとで帰る家を。
    オヤジが死んでから、自分がなんど「疲れたら作らなくてもいいよ」といっても、帰ると毎晩かならずご飯が出来ていることを思い出す。

    ・・そうなのかもしれない。

    人は誰かに栄養をあげるために生きているのかもしれない。

    それはご飯であったり、なにか、思い出のようなものであったりもするかもしれない。
    あるいはダンスのような、動きの中から紡がれるなにかの感情であったりするのかもしれない。
    歌かもしれない。
    お金しか無ければ・・それはとても可哀想な気もする。

    何もなければ・・・大阪の事件をふと思い出す。

    塵は塵でしかありえないけれど、
    「あの人の塵はきらきらしてるね」
    なぁんて、火葬場ででも讃えてあげられるなら、
    自分はそれこそ、死者に対する最大の賛辞なんじゃないかな、なんて思ったりもする。

    人は所詮死んだら、塵になる。

    でも、だから苦しみを避けて生きようだなんて思う人間を自分は尊敬できない。

    好きに生きて良い。
    その道はきっといばらの道。
    苦しくても血にまみれながら歩き抜けば、きっとあとに続く人の道しるべになる。

    人に勇気を与えて死んだひとたちの塵こそが、
    世界を美しく照らすのではないのかな・・。

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