自分の向き不向きがわかった。
最近、こういうタイプの芝居、いくつか観てやっと、自分にはわからないみたいだということがわかりました。
疲れてしまうから今後は同タイプは避けます。
ごめんなさい。
もうほんと、自分の側の問題だと思う。
満足度★★★
個人的には前回の方が好み
前回と比べて「ことば」が大幅増量で「コラージュ演劇」(?)の度数アップ。
一方、相対的に動きなどの動的要素が減じて全体がスタティックな印象となり、個人的には前回の方が好みか。
使われた原典をよく知っていたらまた印象が異なったかもなぁ?
満足度★★★★
shelf「[edit]」観ました。
役者の体内で練られた言葉が、そのまま役者の形をして舞台上に浮び出たかのよう。言葉に脳を揉みほぐされる気分。役者がそのままじわじわと、SENTIOの白い壁の中に消えていくと理想的なのかも(無茶振り)。引用したアンティゴネもそうだけど、表現スタイル自体も既成概念の際々を攻めているのが、静かに祈りつつ挑戦的にみえる。静岡・アトリエみるめで観た「幽霊」と好対照の、神殿の神託を思わせる神々しい舞台でした。終演後退出する時に、靴を脱いでいる足で舞台の面の触り心地を確かめてしまった…。
満足度★★★
存在感のある言葉と体
様々な文章の引用で構成された台詞を語るパフォーマンスで、役を演じて台詞の積み重ねで展開する一般的な演劇とは異なる作品でした。
開場して中に入ると金色に鈍く輝く衣装を身に付けた7人の役者達が既に立っていて、開演までの20分間静止したままで、始まるとまずアーシュラ・K・ル=グウィンさんによる『左ききの卒業式祝辞』が語られ、「男女の言葉」というテーマがその後に続く『アンティゴネ』で「公私の言葉」という形で受け継がれ、権力や騙す/騙される責任について、社会システムの問題点についてのテクストが時折声を重ねつつも基本的にモノローグとして語られました。
終盤は再度『アンティゴネ』の同じ場面が演じられ、今までずっと薄暗かった照明が明るくなり、冒頭と同じ立ち位置に戻って再び『卒業式祝辞』が語られ、全員が床にしゃがみ込んで暗くなって終了する、シンメトリックな構成でした。
丁寧な語りと緊張感のある緩慢な動きが、無音あるいはアンビエント的な音楽の中で強い存在感を打ち出していて、ドラマ性がないながらも美しく密度の高い65分間でした。
『アンティゴネ』のパートでの王を演じていた人の演技がオーバーで戯画的に見えてしまっていたのが残念でした。
満足度★★★★★
堪能しました
個が吐き出す言葉は、個それぞれが持つ色に染まったもので、当然に波長も異なる。それは、本来的に個が相互に分かり合えるものではないが、それを乗り越えようとする努力も個別の働きかけが素になるところから、絶望が立ちはだかるものの、感動や怒りなどの情動によって小刻みにでも重なり合えることをベースにして通じ合えるものだ、というメッセージと受け留めました。人間相互関係の核になるものの掘り下げは、演劇の深遠で基本的なテーマで、答えが無数にあり、どこにも存在しないともいえるものだと思います。このような試みは素晴らしいの一語に尽きると思いました。
満足度★★★
劇としての展開がほしい
劇場内に入ると白い空間に7人の男女がいる。立っているものもいれば、座っているものもいる。みな白と金のグラデーションの入った衣裳。白い砂山には仄かに明かりが灯っている。シンプルだがセンスある舞台。
満足度★★★★★
緊張の末
見ているだけで、息を飲み、汗ばみ、背筋を正し、凝視して、集中を強いられるような空間。その居心地の悪さは次第に楽しくなり、達成感へとつながっていく。役者達の動きは在ることで成立するような圧倒的な出で立ち。引用された言葉そのものの力強さは、役者という肉体を通して強度を増す。動きも言葉も最小限に削ぎ落として、最大限の効果を求めるように練りこまれている。そして「編さん」されることで見える、引用元の違う言葉同士のつながりが世界を深化させる。そうか、これも演劇か。