藤戸 公演情報 藤戸」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.8
1-8件 / 8件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    team奏を観劇。
    迫力があり、素晴らしかったです。

    ネタバレBOX

    盛綱の罪の意識に苛まれる様が、よく描かれていました。
    オープニングの映像、生演奏、エンディングの歌も、素晴らしかったです。
    藤戸まんじゅう…美味しかったです。
    倉敷方面へ行った際は、立ち寄りたいと思います。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    いつもながらとても素晴らしかったです。生演奏とお芝居見どころたくさんでした。内容も人の内面をとてもよく表現されていて、見ていてこちらも心が苦しくなるような真に迫ったお芝居だったと思います。演出もオープニングから良かったです。次回も楽しみにしています。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2025/02/01 (土) 18:00

    能の「藤戸」。藤戸の戦で平氏に勝利をおさめた佐々木三郎盛綱が、児島の国(現在の岡山県倉敷市)の領主に着任した場面から始まる物語というCoRichに書かれたあらすじを読んだ感じだと、どんな感じか全容が分からなかった。
     なので観始めた時はどんな感じか分からない不安の方が大きかったが、観ているうちに現代音楽や映像、不気味な程に薄暗く、時々俳優に絶妙に当てられる照明の向けかた、多少の能の所作が組み合わさって、夢幻能的な幻想怪奇な独自な世界観の現代劇で、思わず現実世界を忘れその世界観に引き込まれていた。

     源平合戦の中で海上合戦が得意で児島周辺を支配していた平家と藤戸海峡を挟んで舟を持たない源氏軍が対峙する状況。
     そのなかで、源氏の武者「佐々木三郎盛綱」が先陣切って藤戸海峡を馬にて一気に児島に向かってかけ渡り源氏の状況を打破する。
     だがその為に、藤戸海峡から児島までの距離を測る為に児島の村人を水先案内人に児島の浜辺まで案内させ殺害するという衝撃的な残虐ピカレスク劇で、劇の前半から中盤に掛けての殺害再現場面や村人の母親の老婆の責められる場面、自分が殺害したことをいつまでも後悔と今を生きようとする心の狭間での葛藤でもがき苦しむ人間臭い佐々木三郎盛綱が、児島の国の領主となった際眼を失ったことからもギリシア悲劇『オイディプス王』における父殺しで実母と分からず結婚して犯し、眼を失うという同じではないが似通っており、日本版『オイディプス王』と言っても過言ではないと感じた。
     しかし劇の中盤から終盤にかけて、眼を失った上で水先案内人の村人の母親が佐々木三郎盛綱を刺殺しに来るというような安易な復讐ではなく、水先案内人の村人の亡霊によってか、佐々木三郎盛綱自身の懺悔の念が呼び起こすものかは知らねど、悪夢のように村人を殺害した後の島に上陸直後の同じ日を気付いて起きると何度も繰り返し、不死身の身体となり、無限にループし続ける、これこそが悪戯に殺された村人の怨霊によるある意味どんな呪いや復讐よりも、佐々木三郎盛綱を精神的にも肉体的にも窮極に追い詰める手段としての最大限の復讐だと考えると、スーと背筋が凍り付き、恐怖に慄いた。何より、いつの時代でも永遠の時間というものに対する恐怖と憧れは変わらぬものだと感じた。
     どんな恐怖映画やお化け屋敷にも匹敵するものを感じ、『藤戸』という能がもはや古典と化しているものの、全然忙しい現代でも通じるものを感じた。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    オープニングの波や蝶の映像の美しさが圧巻です。
    祝の楽しげな始まりから恐ろしい場面へと変換される音と照明が演者さん達の迫力ある演技に合っていて魅入ってしまいました。
    エンディングの音楽のカッコよさが映画のようでした!

    ネタバレBOX

    藤戸まんじゅうが美味しかったです!
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    面白い、お薦め。
    「藤戸」は、能・謡曲の演目として知られているらしいが、この公演では現代語訳を礎に上演しており分かり易い。そして演奏舞台ならではの臨場感溢れる生演奏が心情を揺さぶる。また今回特筆すべきは、生演奏とともに照明・映像(プロジェクションマッピング)が美しく抒情的な雰囲気を醸し出し、意味合いは違うが 能の様式美のようなものを感じた。

    謳い文句であろうか「夢か現か幻か…」、この言葉が公演の肝。時は平安時代末期、登場人物は4人で それぞれの立場は明確に描かれている。この観える人物と観えない人物、それを肉体的・精神的な対比として表出していく。そして新領主と領民、母親と息子といった関係性、さらに主人公の心の有り様といった情感が実に巧みに立ち上がる。誰も為政者を罰することが出来ない、そして恨みを抱くものを懐柔しようと…。その如何ともしがたい気持がじっとり纏わりつく怖さ。合戦における生死とは別の生々しさ、それが力のない老婆と亡霊によって脅し迫られるという皮肉。卑小だが気になることが1つ。
    (上演時間1時間10分) 【team奏】 2.3追記

    ネタバレBOX

    舞台美術は中央に白い菱形を重ねたような幾何学衝立、左右にも同型のもの。天井部には照明を房付きの赤い板枠(フレーム)で囲ったもの。シンプルだが、この色彩は源平をイメージさせるもの。また白色は、そこへのプロジェクションマッピングによる効果的な演出を狙っている。この映像が秀逸で、抽象的なものから左右への遠近法を用いて立体的に館(ヤカタ)内を映すなど巧み。狭い空間が一気に広がりを持ち、同時に世界観も豊かになる。途中に床几を持ち込み、武者の立ち 座りといった動作が静かな舞台に動きを現す。

    物語は、源氏の武者 佐々木三郎盛綱が先陣をきって藤戸海峡を渡り 平家に勝利した。その功績としてこの地 児島の国の領主になった。領民を前に公正な裁きと安寧を約束した。盛綱は 馬で海峡を渡る際、地元の漁師に浅瀬の場所を教えてもらい、手柄を我がものにするため口封じに漁師を殺した。盛綱の前に漁師の母が現れ、息子は殺されたと訴える。公平な裁きをするためには自分自身を罰せなければ…その苦悩が肝。殺されたところを村人が見ていた、その抗えない事実。しかし その結果手に入れた領主という地位も事実。その相反する行為と結果によって自縄自縛する真情と信条。その葛藤が実によく表現されていた。

    一方、従者の謹厳実直で世故に長けた話しぶり、その現実を見据えた対応こそが盛綱の苦悩を一層際立たせる。何の迷いもない、そして最後の判断(裁き)は領主自ら行うものと突き放す。また息子(漁師)を殺された老婆は、息子の無残な死を悲しみ、その下手人を裁きたい。そして殺された息子が亡霊となって…。老婆曰く、この世は仮の宿、その一時でも親子の契りを結んだからには情がある。それに対し、盛綱は瞍となっても心に見えるのは恐ろしい亡霊だけ。これからの人生は、その陰に怯えて暮らすだけ。その孤独・懊悩が老婆や亡霊の対になっているよう。救いは、鮫に殺されたという村人たちの話、犠牲になった人の霊を永さめる供養が…。これらの話の流れが、夢か現か幻か…。

    卑小だが、気になったのは盛綱の衣裳。その時代の領主の衣装かどうかは分からないが、従者のそれらしい出で立ち、それに比べると羽織りなどは色鮮やかだが 紐の帯に太刀を差すなど違和感があった。その軽い外見と内面の苦悩する姿のアンバランスが気になった。勿論、役者陣の演技力は確かで観応え十分。
    次回公演も楽しみにしております。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    盛綱の苦悩が深く描かれていると感じました。あと、役者陣の迫力の演技とセリフ間の呼吸の間合いが素晴らしいです。演奏との相乗効果もあり、至れり尽くせり、丁寧な舞台でした。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     team奏を拝見。圧巻、ベシミル!! 凄い迫力、脚本の態と少し飛躍して演者たちの想像力を刺激する方法や、それに応えて為される役者陣の力、舞台美術にマッピングされるイマージュの美しさ及び的確さとこれまた見事に呼応する生演奏。華5つ☆ 追記2.19

    ネタバレBOX

     物語は平安末期源平合戦の最中、主人公・佐々木三郎盛綱が現在は埋め立てられ消失したが岡山県倉敷に在った『藤戸海峡』を馬に乗ったまま渡り先陣を切って武勲を立て児島の領主となった際、何故海上合戦を得意とした平家に対し挙げたような戦法を採って先陣を切ることができたのか? この時点で船を持たなかったと伝えられる源氏がこの合戦に勝利し得た根本的理由即ち騎馬で海を渡るということが何故可能だったか? 
     板上、展開としてはこの合戦で盲いたものの新領主となった佐々木着任の模様から描かれる。能の方は拝見しておらず、その脚本も読んでいないので形式・内容を知らないが、一般論で言うなら複式夢幻能の常として前場と後場に分かれているのだろう。今作の肝は、前場のシテ役、老婆が上段で挙げた疑問の理由を告げ、その理由故に殺され子を失った母の慟哭を切々と訴える。新領主盛綱は船で着任時信頼する従者から領地の民が集まっていることを告げられ、その理由を訊ねる。従者は新領主佐々木の新たな布告即ち‟新たな掟を知る為“、また新領主を拝する為に集まったのだと答える。そこで盛綱は民の面前で新領主としての布告をする。「最大の罪は殺人である。その他、人としてあるまじき行いに対しては厳正に対処する」という極めて倫理的に真っ当な布告をした。
     民らが引き上げると従者は献上された島で最も熟成された酒で領主をねぎらうが、盛綱は浮かぬ風情。暫く後、一人の老婆が現れる。これに応じた盛綱は、図らずも村で狂人とされる老婆が一人息子の惨殺の有様を事実通りに語る相手となった。結果、己の為した所業と着任時に行った布告の矛盾が齎す匕首を自らの魂に突きつけられることとなった盛綱には、騎乗のまま海を渡り先陣を切ることができた理由、更に他の源氏武者に情報が漏れ手柄を横取りされることを恐れた盛綱自身が浅瀬を案内した息子を惨殺したことも、ありありと再現される。結果懊悩が彼を迷妄・幻影の時空に導いた。
     後場で老婆の語る話は息子は鮫に食われたという村人たちの話を踏襲する嘘に変じている。代わりに怨霊の真打として惨殺された息子自身の幽霊が登場、生きている限り盛綱に取り憑き苛む。即ち苛む者が前場と後場では異なるのである。ひょっとするとこの部分が能と現代劇として演じられた今作の大きな違い、演奏舞台の脚本家が最も工夫した点なのではあるまいか?
    ところで今作を観る者にひしひしと迫る迫力は、盛綱の狂乱のシーンが恰も「東海道四谷怪談」に登場する元赤穂藩藩士・民谷 伊右衛門が妻・岩を惨殺後化けて出られ狂乱を呈するに至った場面を彷彿とさせるし、任地到着直後に行った布告に真っ向から対立する矛盾を突きつけた老婆の真実に己の領主としての存在意義及び人間性の総てを打ち砕かれ裸形を突きつけられて苦悩する盛綱の姿が映し出される。この場面の持つリアリティーは「マクベス」一幕五場でマクベス夫人が王の使者からマクベスの居城に王が宿泊するとの知らせを告げられたあとの台詞。殊に・・・死をたくらむ思いにつきそう悪魔たち、この私を女でなくしておくれ(小田島雄二訳)云々以下の決意表明を想起させることで「マクベス」という作品そのものをも今作観劇中に同時に観る者の想念に嵌入させた。
    無論、老婆の最初の登場は前シテとして二度目の登場は後シテの先触れとして機能しており、自分の想像では能でもこのような前シテと後シテの違いはあるかも知れないとは考えるが無いと考える方が今作の脚本が如何に練られたのかを考える上では面白い。
     作品の三大要素は世間体を意識した従者の冷静な対応(世間)と盛綱の狂乱が見事に対比される点。その原因となる異界の者(惨殺された息子の幽霊)と仲立ちをしたその母の念(情念の凄まじいエネルギー)が三つ巴の展開をダイナミックに遂げることだ。が、その各々を舞台上で表現してみせた役者陣の力量が素晴らしい。殊に従者役・鈴木浩二さん、盛綱役・森田隆義さんお二人の演技は格段であった。無論、あやかしである念の権化・老婆を演じた岸聡子さん、息子の幽霊を演じた典多磨さんのアモルフな感じもグー。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    多くの血を流し我がものにしたトップの座
    勝ち得た特権とは裏腹に巣食う苦悩の姿はどこか「マクベス」を彷彿させ、やがては日本特有の情念がどっと押し寄せてきて、もう圧巻でした
    怪談にも似た怖さはパンチが効いていましたが、それをドラマチックに彩る音楽、演出のおかげでエンターテイメントとしての余韻が残り、更には劇団さんのおもてなし精神のおかげで気持ちよく劇場をあとにする事ができました

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