満ちる 公演情報 満ちる」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 2.8
1-4件 / 4件中
  • 満足度★★

    ホンがつまらない
    これに尽きると思いました。毒気がなく、MODEらい不条理でシニカルなテイストはすっかり鳴りをひそめていました。すまけいの演技が見られたことが唯一の収穫。

  • 満足度★★★

    なかなか良い戯曲
    MODEにとって、14年ぶり(!)の新作書き下ろしということだ。

    物語の展開、台詞、そういうものに込められた内容がとても素晴らしいと思った。

    思ったのだが……

    ネタバレBOX

    思ったのだが、楽日が近いから皆さんお疲れなのかどうかはわからないが、役者間のリレーションとか、台詞の間とか、なんかそんなのがイマイチ。

    ベテラン勢は別として若手の中の何人は、「台詞を言っている」にしか聞こえず、客席で唸ってしまった(いや、本当に唸ったのではないが・笑)。
    初日だったら、「固いかな」と思ってしまうところだったが、もう明日は楽である。そんなはずはないのだ。

    ベテラン勢の方々は、とても自然で、物語を支えていたと思うし、もし、そういう役者さんたちばかりだったら、相当面白かったのではないかと思ってしまった。

    奇才と言われた老映画監督を演じたすまけいさんは、MODEのHPによると当て書きのようで、もう演技なのか、本当にそうなのかわからないほどリアルだった。
    本当に言葉(台詞)が出てこないのか、演技なのかがわからないが、まさに舞台上の設定にドンピシャで、一体撮影中の映画はどうなるのだろうと思わせる。

    モノ作りに対するこだわりと親子の微妙な関係がうまい具合にミックスされ、言わなくても伝わったり伝わらなかったりするあたりや、娘の満ちるをめぐる男性たちの感じ(老監督との血縁疑惑も含め)、老監督の人間模様も垣間見える素晴らしい戯曲だった。

    台詞の感じもいいのだが、どうもタイミングなどの悪さで、本来は笑いが起こるはずであろうシーンが笑えない。空回り感がある。
    そこが辛い。
    もう少し腰を落ち着けてやってほしかったなあ。

    観劇後は相当いい感じになれるであろう内容だけに、役者たちのあの感じは残念。

    開演前に『キューポラのある街』の東野英治郎演じる父親と娘の吉永小百合のやり取りの台詞は、この舞台の内容を示唆しているようで面白かった。
    ただ、映画監督ということでの、映画へのこだわりが、古き時代を懐かしむ、で止まっていたようなのがもうひとつだったかな。
    老監督は過去の人になっている、という悲哀なのかもしれないが。
    だから「奇才」「奇才」と周囲が連呼するのは、年老いて現役ではない監督への皮肉のようにも聞こえてしまったのだ…。

    セットは、舞台の前面に映画のスクリーンを模したような枠があった。
    しかしそれは「舞台の上はつくりものである」と、ずっと言われているようだったし、なにより正面の席じゃなかったから、いつも視線に入り鬱陶しい。
    また、映画というテーマから、暗転のときに必ず映写機の音が入るのも、「つくりものです」と宣言しているようで、これもマイナス効果ではなかっただろうか。

    それと何より、セットがここの舞台のサイズに合っていないため、左右に役者が出たり入ったりするところがやけに見えすぎで、その距離が長いのでスピーディさに欠け、役者の登場が早めにわかってしまうのも、なんだかなー、ではあった。

    特に下手の2階に通じる階段は、上ってから半分は黒く塗ってあるものの、下り階段になっていて、役者が2階に上がったと思ったら、下がっていくのが見えてしまうのが、(もちろん舞台のルールとして見えてないことにはしようとするのだが)イマイチ。
    だから、2階から勢いよく降りてくるシーンは、役者が舞台袖から階段まで来て、ゆったくりと黒く塗ってある階段を上ってから、やおら勢いよく降りてくるという演技になるわけなのだ。それはないよな−。
    これもまた「つくりものです」と言われているようで、「舞台のウソ」が見えすぎて興が冷めてしまうのだ。

    単純にその部分は隠せばよかったのではないだろうか。
    セットのサイズ的にはスズナリあたりだとぴったりしそう。

    戯曲がよかっただけに、そういったことはなんとかならなかったのかなー、と思った次第である。役者ではなく演出の問題かな?
  • 満足度★★★

    父と娘
    お互い素直になれず距離を置いてしまう父と娘の姿がしっとりと描かれた作品で、とてもベタな泣ける演出にすることも出来そうなところをそうせずに、クールな質感が所々に感じられました。

    かつて奇才と呼ばれていた年老いた映画監督が久々に映画を撮っていたところにトラブルが発生して中断し、小説家であり映画監督としての活動も開始した娘が脚本を書き換えるために、とある島の寂れた民宿に呼び出されることから始まる物語で、お互い我の強い父と娘の相入れない様子や、それぞれ満ちたりなさを抱えている周囲の人達の様子が淡々とした調子で描かれていました。

    舞台全面は用いず、中央に1段上がった民宿の食堂のセットがあり、舞台手前には窓を表す巨大なフレームが吊り下げられた美術が、民宿の素朴さを感じさせつつ洗練された趣きもあって良かったです。
    手前に窓がある設定にすることによって、全員が正面を向いているという小津映画的な人物配置を違和感なく見せていたのが巧みだと思いました。

    映写機がフィルムを送る音が客席背後から聞こえ、吊り下げられたフレームが映画のスクリーンに見立てられる冒頭が素敵でしたが、棒読み的な台詞回しだったりオーバーな大声や動きだったりと、役者間・役者内での演技のテイストが一貫していなくて、もどかしく感じられ、なかなか作品の世界観に浸れませんでした。
    終盤のすまけいさん演じる父と山田キヌヲさん演じる娘の対話のシーンは言葉に表さない感情が表情や会話の間から伝わってきて、素晴らしかったです。すまけいさんは台詞が聞き取りにくい箇所はありましたが、役と本人が重なって見え、圧倒的な存在感がありました。

    役者達が喋ったり動いたりしているシーンよりも、むしろ誰も話さずに静かにしている時や、わざと見せる演出になっていた転換が絵として美しく、印象に残りました。

  • 満足度★★★

    前半、新劇調
    久しぶりに、すまけいさんの舞台を拝見したくて、行って来ました。

    相変わらず、落ち着いて観られない劇場に不満は残るものの、最後まで観ると、行って良かったかなと思える舞台でした。

    ただ、すまけいさんが登場されるまでは、どうも演技が押しなべて、新劇調で、あまり世界に入って行けないもどかしさがありました。

    竹内銃一郎さんの脚本は、台詞を途中で切るのが特徴なのか、役者が喋る台詞がそこまでしか書いていないから、仕方ないのですが、相手が被せて自分の台詞を言う構成でないため、その度、芝居が止まり、変な間が空くので、違和感を感じました。
    小説ならこれでも良いでしょうが、演劇だと不自然に感じます。

    ネタバレBOX

    往年の鬼才と言われた映画監督と、かなり年齢の若い、その娘の映画監督。

    周囲の人間達が、この二人の合作を画策しますが、なかなか事はうまく進みません。

    落ち着いた舞台進行で、派手やかさはないものの、一定の舞台基準は満たした作品だとは感じました。

    ただ、前半、鬼才役のすまけいさんが登場するまで、外野の人間に、この鬼才の人となりを語らせる部分が長く、ちょっと退屈になりました。

    雅史と大地が将棋をさすシーン、雅史の長台詞の間、彼が将棋の手を考えてる風もないまま、ただ仕草のみで、駒を進めるのは、如何にも演技じみて、嘘臭く、なかなか舞台の世界に身を委ねる準備が整わない苛立ちを感じて歯痒くなりました。

    すまけいさんの台詞は、その点、聞こえとしては明瞭ではないものの、鬼才の人格をいとも自然に表出されてお見事でした。
    途中、台詞を忘れて、やり直しをしたと見えたのが、実は、あれも演出の内なのかは判断に迷いました。演出なら、不要な感じだし、事実なら、むしろやり直しは、それほど、汚点にはならなかったと思います。

    ただ、身内が「鬼才」と連発する台詞にはちょっと鼻白むものがありました。

    とにかく、すまけいさんのお元気なご様子を拝見できて、感無量でした。

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