アテルイ ―北の燿星 公演情報 アテルイ ―北の燿星」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 2.5
1-4件 / 4件中
  • 満足度★★★★

    熱いテーマ性
    土着的ミュージカルとでも言えばいいのだろうか。精緻さやしたたかな計算にはかけるが、幸運にもアンテナがあい、純朴な演技や家族をテーマとした脚本に心を打たれた。

    ネタバレBOX

    特に、いつまでも踏みにじられるという訴えは、東北大震災で東北のおかれた立場と重なって、思うものがあった。

    http://sakuteki.exblog.jp/15387585/
  • 満足度

    阿弖流為の叫びは聞こえるか
     なぜか、わらび座には縁があって、いろいろなツテで観劇する機会が多いのだが、興味深い題材に惹かれ、意欲的な舞台作りに感心はしても、心の底から満足できる舞台に出会ったことは一度もない。
     それは、俳優たちの演技が古臭く単調な(キャラクターの描き分けができておらず、みんな同質の芝居をする)せいかと思っていたのだが、『アテルイ』を観ると、そもそも原作を咀嚼する能力(即ち「モノガタリの魅力とは何か」を読み取る力)自体、わらび座には欠けているのではないかという疑念が湧いてきた。
     映画に比べて、時間と空間の制約が大きい演劇は、逆にその制約を利用して、いかに観客のイメージを増大させるか、「無から有をいかに生み出させるか」が成功の鍵となる。しかしともすれば舞台は「あれもできない、これもできない」という「引き算の法則」でイメージを貧困化させることになってしまう。
     結局、この舞台は、長大な原作を消化しきれず、ぶつ切りのダイジェストに収めることになってしまった。歴史のロマンも、まつろわぬ民たちの魂の叫びも、英雄アテルイの勇気も感じられない。今はただ「私はここで何を観たのだろうか」という寒々しい思いだけが胸に去来しているのである。

    ネタバレBOX

     高橋克彦の原作『火怨 北の燿星アテルイ』は、文庫本にして上下巻、千ページに及ぶ一大長編である。主人公の「阿弖流為(跡呂井)」および「母礼」は八世紀に実在した蝦夷の棟梁たちだが、『続日本紀』ほか、いくつかの資料に坂上田村麻呂によって降伏させられた記載があるが、それ以上の詳細は詳らかではない。人物設定や物語は、殆ど高橋克彦の創作によるものである。
     一部の著作で、UFOや終末論を信じている旨、トンデモ発言を繰り返している高橋克彦のことであるから、考古学的な考証はかなりいい加減なのだが、その是非はとりあえず置いておく。原作のキモとなっているのは、東北の蝦夷たちはもともと出雲族、大国主命の末裔であって、日本の先住民族であると設定されていることだ。大和朝廷、つまり天皇家は渡来系であって、蝦夷たちを東北に追いやった「侵略者」であるという認識である。原作にはその「反天皇」の思想が色濃く描き出されている。
     かつて蘇我氏によって滅ぼされたはずの物部一族の末裔・天鈴が、蝦夷に内通して生き残っているのは、その「まつろわぬ民」たちのネットワークが未来においても決して滅びることはないという思いを込めているからだろう。東北出身の高橋克彦の魂は、未だに過去の蝦夷たちの地の底からの叫びを感じ取っているのである。

     一応、そのこと自体は、舞台でも語られてはいる。説明的な台詞が多すぎて、小説ならばともかく、ドラマとしては「もたつく」ばかりなのだが、原作にできるだけ忠実に、という姿勢がそこにはうかがえる。
     ところが舞台版は、原作ではにぎやかしの脇役に過ぎない阿弖流為の妻・佳奈(もちろん原作者のオリジナルキャラクター)をクローズアップする。その恋模様を前面に押し出したせいで、原作のテーマがどこかに吹き飛んでしまっているのだ。
     田村麻呂との三角関係を描き、更には阿弖流為を慕う女戦士・滝名を登場させて、四角関係にまで仕立てる。おしとやかな姫様である佳奈と、男勝りの滝名、なんて、ありきたりなゲームキャラクターそのままで、原作はそこまで露骨ではない。
     そんな色模様を描かなければ、物語が持たないと脚本の杉山義法は考えたのだろうか。思い返してみれば、杉山はテレビ時代劇スペシャル『忠臣蔵』でも『白虎隊』でも、お涙頂戴のベタなドラマばかり書いていた。過大な期待を寄せる方が間違いだったのである。
     つまりは「観客への媚び」である。これは観客に感動を与えたいという意識とは似て非なるもので、「このツボを押せば客は泣く(=人が死ねば客は泣く)」という安易な手法に過ぎない。それでも客が感動できるのならいいじゃないか、というご意見もあるだろうが、たとえば懐かしアニメの番組などで、『フランダースの犬』の最終回だけを観て涙をこぼすタレントらを見て、あれがマトモなドラマの鑑賞の仕方だと言ってもいいものだろうか。それまで50話に渡って積み重ねられてきたドラマを一切無視して、ただ主人公が可哀想な死に方をしたという、それだけでゲストも視聴者も泣いてしまうのである。

     阿弖流為と田村麻呂との恋のさや当てなんて、たいして掘り下げて描かれているわけでもない、佳奈は「田村麻呂様のことは尊敬しているだけです」であっさり終わり、タキナも敵の矢を受け阿弖流為に抱かれて「お前に抱かれて死ねるのが嬉しい」とベタな台詞を口にして退場する。こんなん、わざわざ原作の英雄的な漢(おとこ)のキャラクターを削りまくってまで挿入しなければならないエピソードなのかと訝しむが、客なんてその程度でもオロロンオロロンと泣くものだと、作り手側から舐められているのだ。で、実際、泣いてる客もいるしな。
     この「ツボ押し効果」は、手塚治虫がやっつけで仕事をする時に多用した方法である(たとえば映画『西遊記』では、手塚が無意味にヒロインのメスザルを死なせようとして、宮崎駿らの大反対に会い、撤回するハメになった)。そう言えばわらび座は『火の鳥鳳凰編』や『アトム』でも、この手塚式の安易な手法をしっかり「継承」していたのであった。
     フツーの感性があれば、この適当さは怒っていいレベルだと思うんだが、わらび座ファンは、この程度のお話で満足しているのだろうかね。

     何とか「見られた」のは、和太鼓を伴奏にした「剣舞」だが、これにも難点はいくつもある。
     古代の土俗的な音楽でミュージカルを作ろうとする意欲は理解できるのだが、太鼓だけでは「鼓童」の勇壮さには敵わない。そして我々は既に、映画『日本誕生』や『わんぱく王子の大蛇退治』などで、古代のイメージを和洋折衷のオーケストラによって表現し、世界的な名声を得た伊福部昭という巨匠の存在を、財産として持っているのだ。甲斐正人の音楽は、それよりも一段も二段も劣るものとしか聞こえない。
     その「剣舞」もまた、舞台上で殺陣を繰り広げるだけの余裕がない(そもそも俳優たちにろくな殺陣ができない)ための、やはり「引き算の手法」による苦肉の策だろう。しかし、敵が誰一人いなくて、ただ剣を振り回し、飛んだりのけぞったりするだけで敵がいるように見せようというのは、相当なマイムの技術が必要になる。その技術がないから、「何を“エア殺陣”やってるんだ、『血がだくだくと出たつもり』かよ」と失笑するばかりなのだ。
     それでもこの剣舞のシーンがミュージカルとしては一番マシで、あとの合唱のシーンは普通の現代音楽、と言うかただの歌謡曲である。人間だものとか自由がなんたらとか、現代の感性を描きたいのであれば、古代を舞台にする意味がどこにあるか。これが再演、再々演を繰り返しているわらび座の代表作で、しかもミュージカルファンが相当数付いているというのであれば、日本のミュージカル全体のレベルは欧米に比べて著しく低いと言わざるを得ない。
     実際、わらび座に限らず、劇団四季も東宝ミュージカルも、海外のミュージカルをそのまんま持ってきているだけで、モノマネに過ぎないんだけどね。オリジナルで勝負し続けているわらび座の方がなんぼかマシと言えなくもないが、五十歩百歩である。

     もう一つ、細かいことではあるが、阿弖流為の息子・星丸役で、東日本大震災に被災して、福島から福岡に非難してきた子供が出演している。それを記事にするか記念にするかなのだろう、出演シーンでやたらフラッシュを焚いて写真を撮っていたが、これは予定されていたことだったのか、家族が勝手にやったことなのか。
     そもそも東北救済のための公演であるから文句が言いにくいのだが、事前に何らかのアナウンスがあって然るべきではなかったのか。被災のことは被災のこと、観劇のマナーとは別問題だと思うのである。
  • 満足度★★★

    ミュージカル
    といえば四季と思っているので、どうしても受け入れにくい。
    ストーリーはなかなかおもしろかったし、アテルイとカナの恋愛は
    力強くて良かったと思う。
    しかし、ミュージカルの一番のポイントの歌とダンス(ここでは剣舞?)が
    もうひとつかな~

    ネタバレBOX

    芝居とは関係ない部分でちょっと興ざめした。
    大きな声でしゃべる子どもとそれをたしなめない親(観客です)
    フラッシュをたいて舞台の写真を撮る観客。
  • 満足度★★

    ミュージカルなのに歌に魅力がない。
    わらび座は結構数を見ていると思うが、面白いと思ったことがない。
    ミュージカルなのに毎回歌に魅力がないのはやはり大きなマイナスだと思う。

    せっかく、文献も無く時代考証もほとんど不可能な「蝦夷」という題材を使っているというのに、ありきたりな物語にしてしまい残念だった。

    太鼓やそれに合わせての殺陣(ダンス)はそこそこ楽しめたが、肝心のストーリーと歌がダメでは評価できない。

このページのQRコードです。

拡大