恒例!! 第32回 新春爆笑寄席 公演情報 恒例!! 第32回 新春爆笑寄席」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.0
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  • 満足度★★★

    安心
    落語は詳しくないが、小三治さんが好きで観に行った。
    メインのお三方は、大当たりとまでは行かなかったがなかなか楽しませて貰った。
    前座のお二人も、酷い、ということもなくなかなか。

    だが、歌丸、小三治のお二方の体力の衰えが心配。
    この会もいつまで続けて貰えるだろうか。

  • 満足度★★★

    来年はあるのか
    柳亭小痴楽「湯屋番」、小痴楽を襲名してさほど経ってはいないが、語り口に淀みもなく、若旦那の痴態ぶりも悪くない。湯屋の客の反応の間にやや“もたつき”を感じたが、真を打つのもそう遠くはないだろう。
    柳家ろべえ「もぐら泥」、小痴楽に比べると、今ひとつ観客の反応を待てず、多少急くところがある。笑わせどころの難しい噺を選んだのも失敗か。
    桂歌丸「紺屋高尾」、もう何十年、この人の高座を観てきたか分からないが、語り口にこれだけ変化のない人も珍しい。若いうちに老成してしまったと言うべきか。それほど笑えないのだが、骨董品に文句をつけるのも憚られる面はある。
    柳家小三治「お化け長屋」、昨年はかなり調子を落としていたが、今年はやや持ち直した印象。絶妙な間、ちょっとした仕草で笑わせる腕は、当代、敵う者がいない。それでもマクラが長すぎて、肝心の噺がサゲまで行かずに「中程」だったのは残念(もっとも元々長い噺なので端折られることはよくある)。
    柳家三三「試し酒」、トリにしては軽い噺だが、酔っ払いの仕草の巧さで充分に笑わせてくれる。しかしこの会で、小三治、歌丸師匠以外の噺家がトリを務めるのは稀で、もしかしたらこれは「引き継ぎ」なのだろうかと、不安な気持ちにもさせられたことであった。

    ネタバレBOX

     毎年、この会を観に行っているのは、小三治師匠の噺を聞きたいのが第一だ。
     小三治は当代一の名人と謳われてはいるが、長年のリウマチに加え、昨年は東日本大震災のショックで、一時期、落語を全く話せなくなったと伝えられた。

     今回の噺のマクラでも、東日本大震災について触れて、「でも、あれから人がみんな優しくなったような気がします」と結んだ。
     毒を吐くのが商売の落語家が、こんなに穏やかで、悪く言えば「差し障りのないこと」を口にするのはやはり元気をなくしているのかなといったんは思った。しかし、その口で「さらに昨年は談志が死ぬという喜ばしいことも」とやったので、ああ、結構「快復」されていると嬉しくなった。不謹慎だと怒る客もいそうではあったが、落語はそもそも不謹慎なものなので、そこに腹を立てるのは勘違いも甚だしいのである。

     まくらが長いことで有名な小三治師匠ではあるが、今回は特に長かった。
     爆笑寄席を初回から通して出演し続けてきたのは、もう小三治だけである(第1回は談志、円楽、小三治の3人)。市民会館のぼろっちさや、円楽への悪口(を何も口にしないが、「円楽は・・・・・・」と「沈黙の間」でもって笑わせてくれる)など、これまでの思い出語りで時間を費やし、同じ福岡音楽文化協会主宰の「寄席囃子の会」の宣伝でまた時間を費やす。おかげで、「お化け長屋」を中程で切り上げたにもかかわらず、終了したのは終演予定の9時の7分前。トリの三三師匠が、「お帰りの電車の都合のある方はどうぞお立ちになって」と言う羽目になった(そのあと「落語家に背中を見せると7代祟ると言われますが」と、しっかり落としてくれたが)。

     三三師匠がトリを務めることになったのは、小三治師匠が歌丸師匠に頼み込んでのことだったという。
     小三治の弟子も数多いが、「小三治」の名を継がせるだけの実力があると師匠は見込んでいるのではないだろうか(兄弟子が多いので、「気持ちの上で」ということではあろうが)。仕草の巧さは確かに小三治直伝という印象である。映画『小三治』の中で、入船亭扇橋が小三治の仕草について、「声を変えたりするわけでもないのに、すっと顔の向きを変えると別人になっている」と評したが、簡単に言えば「雰囲気そのものを変えてしまう」から別人に見えるのである。
     巧いとは言っても、三三はやはりまだまだ小三治のその粋にまでは届いていない。しかし、その事実を認めた上で、トリを余裕で務めているのがよい。師匠の「風格」はそのうち身についてくるだろう。

     けれども、小三治師匠が来られなくなってしまえば、この会を観に行くこともしばらくはなくなってしまうだろう。円生、志ん朝、談志らの全盛期を観てきた身にしてみれば、それ以下のクラスの落語家の会をわざわざ観に行く気にはなかなかなれないのだ。「名人」の名に値する落語家が本当に減ってしまったのだと、寂しさも覚えた「初笑い」の席であった。

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