実演鑑賞
満足度★★★★
久々に旧タイニィアリス(現新宿スターフィールド)へ、天野天街演出(今回は演出協力とあり、演出クレジットは流山児だったが、天野氏が加わって天野色にならない舞台は考えられない)による、高取英戯曲の上演を観に行った。
流山児事務所は主宰の意向で色々試みをやるが、今回は演出の名前に加えて、最近流山児やPSYCOSISを通じて高取英世界に関心がもたげており、当日思い立って予約無しに訪れた。・・のだが、我らが天才演出家・天野氏は今年夏に亡くなっていたと終演後の挨拶で知る。少なからず衝撃を受ける。(7月に少年王者舘公演を目にした時は既に他界されていた事になる。初日のコール後流山児氏がこれを告げるのを聞きながら顔が歪むのを隠せない俳優に共鳴しつつ胸に刻んだものである。)
今回の舞台は天野演出の王道(?)である繋ぎ(しりとり)台詞、映像・音響等、実は少年王者錧メンバーの協力もあって実現したとの事。また旧月蝕歌劇団メンバーの参加もあり、高取そして天野という両鬼才へのトリビュートの趣きであった。
当劇場の狭い客席に、隙間が出来る程の平日昼の入りであったが舞台はひたすら熱く、(過剰な声量と演技が入って来ない瞬間も正直あったが)天野天街スピリッツに最後にまみえる機会を得、幸運であった。
高取作品は今回で確か3~4作目の観劇になるが、歴史的事件を国、時代を超えて交錯させ、ファンタジックな構成の中で時代精神の共通項を抽出するといったものが多い。今作は3つの相が入り乱れ、中々込み入った筋をかなりバッサリとやって見せていた(と見えた)が、力技でラストへ押し込んだ感である。
高取テキスト的にはもう少し歴史事件の意味を吟味したくはなるのだが、天野氏に掛かると、過剰と欠落の大波のようなうねりの後、ほっと凪いだ波間にたゆたう言葉の破片だけが、恐らく観客の脳裏に残るという案配式(否、言葉さえも、さぁっと舞台袖へと吸い込まれ、何も残らない)。
出来事の嵐の中に生きる人間の手に握りしめるものは小さく、いつしか手元から消え去っている。それでも何かは残るのであり(その次元では人は魂というものをおそらく信じている)、己の生が儚く消えようとする時にそれを存在の証として抱きつつ眠りにつく。「意味」を超越した天野的世界であるが、ご本人はどんな世界を見ながら旅立ったのだろう。
少年王者錧という集団はその創造精神を継いで何らかの活動をして行くのだろうか・・。今後を見守りたいが今は故人の冥福を祈り、かのめくるめく時間を反芻する事にする。