現代韓国演劇2作品上演「最後の面会」「少年Bが住む家」 公演情報 現代韓国演劇2作品上演「最後の面会」「少年Bが住む家」」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.2
1-6件 / 6件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    「最後の面会」。
    「少年B」と立て続けに観た。こちらもズドンと打って来るものがあった。オウム事件をなぜ韓国人作家が?という問いには答えがあった。実行犯林泰男に面会に来る主人公の女性役が終始、相当量の熱とテンションをもって演じる。彼女を支えて来たものを次第に理解する。その彼女に最後に突きつけられる真実を、観客も彼女自身のように受け取らせられる。「少年B」と通底するモチーフが浮上する。両者の違いを考えようとする自分と、等しく見なければならないと諭す自分がいる。
    両作品とも、人をある生き方の態度へと促すものがあり、それは人を裁く懲罰システムの根本の危うさをも示唆しているのだが。
    オウム事件において抜かせない問いは、世界を救う事と、殺戮を結びつけていた麻原及び実行犯らの認識だが、劇中に直接的な答えはない。だが理想を目指しているという自負(主体的関わり)と、流れに抗えない空気(受動的関わり)、後者が根本だが認めるには抵抗がある。
    林は忠誠を証する必要性を強く自覚する。それはあたかも日本人以上に日本人たろうとする他国人の精神構造に似る。韓国人劇作家がこの作品執筆に掛かる着眼はそこにあったか。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    鑑賞日2024/10/19 (土) 14:00

    「少年Bが住む家」を観劇。少年殺人事件を起こした加害者家族の苦悩と少年の闇。家族がいくら悩んでも問題は解決しない。少年本人が苦しみ悩み、そこから光が見えてくる。姉が済州島へ行くよう進めることにすべてがある。暗転が多く時間が長く感じたが余韻を残すためか。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    「少年Bが住む家」。
    座高円寺での韓国現代戯曲リーディングでの上演は2019年、まだ5年?という感覚だが(コロナが作った時間的空隙は大きい)、その実演を名取事務所がやった初演(2020年)を見逃しており、今回の再演でどうにか観劇に漕ぎつけたが、圧巻。
    行間が凄い。脚本の導く所大ではあろうが、何処までも深く刺さって来る舞台のベースとなったに違いない初演の陣営を後で確認すると、出演者の一部(母役・鬼頭典子と姉役・森川由樹)以外は役者が変わり、しかも演出も異なっていた。
    重苦しい物語の展開であるにも関わらず見入ってしまうのは、人(びと)が生きる瞬間を為す人の感情の襞、もどかしいながらの愛らしさ、殺伐の中の微かな潤いが、舞台に刻印され、観る者を満たすゆえだ。
    ふと今思い出したのが聖書にある五つのパンと二匹の魚が数千人を満たしたという逸話。
    芝居のテーマを思いめぐらすにも聖書が過ぎる。
    イエスの逸話や喩え話でしばしば言及される「罪人(つみびと)」の概念が、年々リアルに像を結んで来るのだが、イエスの論的・政敵である律法学者と罪びとの関係の構図は人類普遍の業について考えさせられる。
    律法学者自らはそれをひたすら守り続けている事をもって身分を保障されている「律法」が、それを厳密に守る事の出来ない庶民との間の境界を作り出している。
    例えばローマ支配下の(属国的な身分の)イスラエルでは徴税人は罪びととされる。だがイエスは彼らを食事の場に招き入れる。また姦淫の罪を犯した女が石撃ちの刑に処せられようとした時イエスは「一度も罪を犯した事のない者だけが彼女に石を投げる事ができる」とし、人々を帰らせる。
    そこで問題とされているのは彼らが人を裁く根拠とするルール(律法)が果たして適切なのか、であり、神が統べる国の本当のルールと全く相容れないルールを破ったか破らないかをもって人を抑圧し、支配し、マウントを取る馬鹿らしさである。

    さしずめ、年始に起きた能登大地震に「道路事情に鑑み現地入りは控えるべし」と官房長官が発信したが、道路事情によって幾らでも変容し得る過渡的なルールとも言えないルールを「破った」として一人の国会議員の現地入りがバッシングの対象となった。
    これを思い出せば、「ルール違反」と称して人を裁く事の本質が分かる。
    能登の災害を最優先で考えているのではない、「悪」にカテゴライズして叩く事の快楽、安心、保身と、災害に積極的な支援を為さない自らの正当化。最も醜い人間の姿を拝んだ今年の年頭であった。
    犯罪報道に触れて無為に人を殺した者への怒りが湧く。自然な感情だ。だが一方でそうした「怒りの対象」を欲している自分がいないかどうか、自分が良き社会を「本心から願っている」のかどうか、常に自問すべき一つのテーマだと思う。

    さて本作はそうした日本社会へのもどかしさを抱える自分に、「人を裁く」偽善と訣別して違う道を見出して行く人たちの物語を見せてくれ、しこたま溜飲を下げさせてくれた芝居であった。深い感動へと導くのは彼ら(加害者として針の筵を歩くように生きる)が、心ない他者に一矢報いる事によってでなく、乗り越えて行く姿を描いているからに他ならないが、ハッピーエンドがご都合主義とならない稀有な舞台である。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    『最後の面会』を鑑賞。接見のシーンだけかと思っていたが、回想シーンなどもあって変化が付けられていた。ストーリーとしては興味深いフィクションに創られていたが、ただ、ナオコの言動がどうも違和感があるというか現実的でなさ過ぎる気がした。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    『少年Bが住む家』

    ある韓国の田舎町、自動車修理店を営む家。母親(鬼頭典子さん)、父親(横山祥二氏)、20歳の息子デファン(八頭司悠友〈やとうじゆうすけ〉氏)が朝食を囲んでいる。変に気遣った妙な雰囲気。向かいの家に引っ越して来た妊婦の奥さん(横幕和美さん)が挨拶に訪れると、慌ててデファンは屋根裏に隠れる。奥さんの職業は講師で父母教育のワークショップの勧誘をする。家族がより良く在る為にはそれぞれの役割を改めて学ぶ教育こそが必要だと。その話に目の色を変えて食いつく母親。胡散臭く思う父親は話を打ち切って帰らせる。ソウルに暮らす28歳の娘ユナ(森川由樹さん)から電話、「サプライズがあるの!」と。帰郷して来るらしい。

    韓国のチープな歌謡曲が場面転換ごとに流れる。日本だと昭和50年代位の雰囲気。

    少年凶悪犯罪を犯した息子を持つ家庭。地元では白眼視され陰口を叩かれているが父親は意地でも引っ越さなかった。被害者遺族に謝罪したいものの面会を拒否されてそのままに。

    鬼頭典子さんは流石の芝居。かんのひとみさんとがっぷり四つで絡ませた芝居なんか観てみたい。
    猫背でおどおどした吃りのデファン役、八頭司悠友氏は元弾丸ジャッキーのオラキオっぽい。
    横山祥二氏もリアル。生活に疲れ果てた悲愴感。
    森川由樹さんは韓国人女性っぽい。パックのシーンが良い。
    横幕和美さんは有能なコメディリリーフ。
    厳しく冷徹な保護観察官役の藤田一真氏は松岡修造と秋山成勲のブレンド。実にいいムードを作っていた。
    少年B役の中田翔真氏は衝撃的なシーンを刻み付ける。デイヴィッド・リンチ作品やラース・フォン・トリアーの『ハウス・ジャック・ビルト』を連想させる狂気。

    是非観に行って頂きたい。

    ネタバレBOX

    作者はイ・ボラム。T-ARAにチョン・ボラムという娘がいて、Bo-Ramという名前は出生当時ヒットしていた『ランボー/怒りの脱出』(Rambo)から父親が名付けたと昔聞いた。他にもボラムという名前はよく見るのでそれか本当だったら凄い話。

    14歳、中学生の時に同級生をリンチ殺人したデファン。穴に死体遺棄して少年院に懲役7年。模範囚として一年半早く仮釈放、自動車修理店を営む実家に戻る。毎週保護観察官(藤田一真氏)が面談に来る。父親は自分の仕事を手伝わせて一人前の修理工にしようとする。母親は息子がこんな事件を起こしたのは自分の育て方に責任があったのだとずっと自身を責め続けている。姉は被害者家族が済州(チェジュ)島で暮らすことをFacebookで知り、謝罪の機会を設けようと考える。デファンは事件当時の自分、少年B(中田翔真氏)の幻影に今も悩まされている。少年Bは親友を殺めたデファンを許さない。死んで詫びるしかないと責め立てる。自殺以外に罪を償う方法はない、と。到頭デファンは首を吊る。

    詳細がハッキリしないリンチ殺人。仲間達のルールでは家族の話が御法度だった。家族(ヒューマニズム)への愛憎がより残虐な行為を生む。強く在る為には弱い奴を残酷に踏み躙らなくてはならない。ヒューマニズムを克服せねば。

    保護観察官の語る、旧約聖書の「ヤコブの相撲」のエピソード。双子の兄を裏切り故郷を捨て社会的成功を収めたヤコブ。数十年後、兄に謝罪して和解する為に故郷へと戻る旅につく。苛まれる罪の意識の恐怖に怯えながら。夜、川の畔で眠っていると突然神の使いに襲われる。夜明けまで一晩中格闘したヤコブは決して諦めず負けなかった。神の使いは「お前の名前は今日からイスラエル(神と闘う者)だ」と天啓を授ける。
    ここでの「神」とはどうしようもない「宿命」のことだろう。自分ではどうにも出来ない運命を「これこそが自分の人生である」と受け入れて生きること。それが「神と闘う者」の意味なのだろう。

    筋肉少女帯の『戦え!何を!?人生を!』が脳裏に流れ出す。人を殺して服役していた男が出所。絶望の果てにふと灯りが点くように気付く。この全ては自分に与えられた運命だ。何も選びようがなかった。これこそが自分に与えられた役割だ。否も応もなく世界でただ一つ、これが俺の人生だ。自分に割り当てられた宿命を受け入れた時、人は心から自由になる。やるべきことが見える。

    デファンは死にきれず病院に担ぎ込まれる。退院後、被害者遺族に謝罪に行きたいと家族に告げる。ただの自己満足か?遺族の心は癒えないよ。それでもデファンは謝罪したいと言う。許されない罪を許して貰おうとは思わない。ただページをめくらなくてはいけない。

    いろいろ考えさせられる作品であったことは間違いない。だが作品の完成度としては疑問が残る。それぞれの役に対する役者の作り込みが凄いのだが何か作品全体としてはバラバラに見えてしまう。皆独り芝居で勝手に自分語りをしているような。最高の食材を用意したのだがただ鍋に突っ込んでごった煮にしてしまったような勿体無さ。何か最後までこの家族の物語にのめり込めなかった。一つ一つのエピソードがバラバラにばら撒かれているような。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    『最後の面会』

    流石の傑作。これを日本人ではなく韓国人が記したことが文化の強度を物語る。日本人はこんな話、もう誰も求めてはいない。日本人が欲しいのは手が届く恋愛物語と成功物語だけ。この国の教育はきっと完成されたのだろう。支配層の理想通りに。

    刑務所の面会室、机の上に仕切りのアクリル板のみ。死刑囚と面会人はシーンによって位置を入れ替えもする。客席に背を向けて座る手前側の者の表情は板に反射して映る。ステージの角の隅に丸椅子が一つずつ。二人の刑務官はかつての父親になったり、事件を起こす前の自分になったりする。

    オウム真理教、死刑囚林泰男(山口眞司氏)。
    長文の熱意溢れる手紙を送り面会に漕ぎ着けた女性ルポライター(佐藤あかりさん)。
    若き日の林泰男を演ずる奥田一平氏。
    国鉄職員だった生真面目な林泰男の父に髙井康行氏。

    大学を卒業しバックパッカーとして世界中を放浪。帰国後、「オウム神仙の会」(後のオウム真理教)と出会う。自己の救済の為に解脱を果たし、その上で衆生(全人類)の救済に至ろうと考えた。最終的にはこの道こそがこの世の全ての人間が苦しみから解放される唯一の方法だと信じた。幾多もの事件を重ねたオウム真理教、教団本部への強制捜査が間近に迫り、捜査の撹乱を狙って大きなテロを計画。1995年3月、5人の信者が走る地下鉄車内で神経ガス・サリンを散布。霞ヶ関駅に勤める官僚の通勤ラッシュを狙って午前8時、サリンの入ったビニール袋を床に置き、先端を削った傘で穴を開けて逃亡。死者14名、負傷者6300人。林泰男だけサリンを3袋持ち込んだ為、逃亡指名手配中に「殺人マシン」との呼び名が付く。麻原彰晃奪還の為に手段を選ばない狂信的テロリストのイメージ。

    この世を良くしたいと思った。苦しんでいる人達を救いたいと思った。誰もが公平に平等に生きる喜びを享受出来る世界に。その為には自分を犠牲にしようと。

    山口眞司氏は今一番旬な役者。出演する作品全て見逃す訳にはいかない問題作ばかり。こんな凄い存在をリアルタイムで味わえる幸福。
    是非観に行って頂きたい。

    ネタバレBOX

    韓国人作家が林泰男に注目したのは彼が在日朝鮮人だったから。高校受験の為、戸籍謄本を取り寄せるまで彼はその事実を知らなかった。

    麻原彰晃は自衛隊にいる在日朝鮮人、被差別部落出身者のリストを入手して個別に勧誘したという。その時の殺し文句は「私は盲で朝鮮人の血と部落出身の三重苦を背負って生きてきた。お前の苦しみは一番私が理解してやれる」だった。(『新潮45』で読んだ)。

    当時の感覚を伝えたい。
    1994年6月、長野県松本市で「松本サリン事件」が発生。謎の毒ガス「サリン」の散布により住宅街で7人死亡。付近で731部隊の展示会があったことからそれとの関連性が指摘された。当時の感覚では何かよく分からない時事ネタ。「魔法使いサリン」なんて普通にネタにされ、忌野清志郎率いるTIMERSは「バラ撒けサリン」と武道館で大合唱させていた。みんなそんな感じ。オウム真理教はふざけた宗教団体のイメージで織田無道とか「こんなん出ました」の泉アツノ・ライン、バラエティー枠だった。
    明けて1995年1月、阪神・淡路大震災が発生。それも東京ではリアリティーがなく、どこか遠くの出来事のようにブラウン管を眺めた。3月、地下鉄サリン事件が発生。職場でテレビを見てすぐに『太陽を盗んだ男』を連想。原爆の代わりにサリンを撒いたんだと思った。こんな世の中、ぶっ壊しちまえと皆思っていたので周りはただ面白がった。二日後、ガスマスクを着けカナリアの入った籠を下げた捜査員がオウム真理教の施設を強制捜査。その辺から現実感が失せ、何だか誰かの妄想の中に取り込まれたような感覚。新聞TV週刊誌、プロレスの煽りのような刺激的な惹句が躍る。じゃあ今まで自分達が握り締めていた筈の現実感とはそもそも何だったのか?夢の中で茫洋とする感覚。何が正しくて何が間違っているのか?オウム真理教関連の書物を貪り読み、自分は入信していた可能性があると気付いてゾッとした。

    オウム真理教絡みで一番衝撃を受けた作品は山本直樹の漫画『ビリーバーズ』。(映画化されたらしいがそれは観ていない)。今作の作家、キム・ミンジョンさんにも是非読んで貰いたい。

    ラストが要らない。こんな話が欲しい訳ではない。他国ではオチが必要なのだろうが、日本ではそんなものは不必要。日本なら麻原彰晃を肯定する話の方がよっぽどショッキング。ラストは観なかったことにした。

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