デンギョー! 公演情報 デンギョー!」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
1-4件 / 4件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    う〜ん、仕事に対する考え方が違ったり
    私は特にこれを今の時代に見る必要がないと感じたので
    あまり合わなかった

    ネタバレBOX

    設定がよくある話だった
    昭和っぽい
    鈴木を含めて登場人物がいい人ばかりなので
    興味がわかなかった
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2024/06/05 (水) 14:00

    座席1階

    小松台東で作・演出をする松本哲也は宮崎県の出身。パンフレットには電気配線工事会社の広告がさりげなく載っていたりして、これと松本の関係が気になる。彼はここで今作の取材をみっちりしたのだろうか。全編宮﨑弁で構成された今作は3度目の再演。小松台東のヒット作だ。

    宮崎県にある小さな電気配線工事会社「宮崎電業」。現場に出る作業員たちの控室が舞台だ。冒頭、ここに現場上がりの営業部長が背広の男を連れてくる。東京で銀行に勤めていて故郷に戻った男だが、執行役員として迎えるという。下請けを含む作業員たちは「聞いてないよ」というけげんな表情で険悪なムードになる。
    この物語の陰の主役は宮崎電業の社長だ。人情に厚く社員と意思疎通をし、とても慕われていることが分かる。そして、今は入院中とか。これについても、作業員たちはきちんと伝えられていないようで、営業部長への不満が際立つ。特に、同期である現場主任は面白くない。
    「陰の」としたのは、この物語で社長は舞台に登場しないからだ。社長を中心に人間関係が続いていたこの小さな会社が、社長の入院という事態に少しずつひびが入ってくる。作業員同士の関係、営業サイドとの溝、社内結婚をしたベテラン女子社員と、ひとり親でぐれかかっていたところを社長が入社させた若い女子社員。それぞれの登場人物のつながりやお互いの感情が、縦糸になり横糸になり編み合わさっていく見事な会話劇が楽しめる。

    社員のプライベートなことを堂々と先輩社員が詮索して語らせるなど、今ならパワハラかセクハラみたいになる昭和の雰囲気がとても温かく感じる。執行役員として入った男は暇を見ては控室に来て人間関係を結ぼうとするが、職人かたぎの作業員たちには「元銀行員=エリート」という先入観や、何といっても「宮崎✕東京」という都会への怨嗟の壁がある。だが、執行役員の男は何回もぶつかりながら壁を壊そうとする。その愚直な行動が、とても感動的で胸に刺さる。

    現場を抱える小さな会社の本格的な会話劇は異色であろう。だから、3演でもお客さんは満足する。今日は平日の昼間、しかも三鷹という少し足場の悪い(劇場には失礼だが)ところだからかもしれないが少し、空席が目立った。だが、この芝居は三鷹からバスに乗っても見る価値がある。お勧めだ。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    「待ちわびている社長の不在」

     ある電気工務店の詰所の人間模様が、現代における会社のあり方を浮かび上がらせる2013年初演の三演である。

    ネタバレBOX

     宮崎県の片田舎にある電気工務店「宮崎電業」は社長の森が入院してからというもの社内にほころびが生じ始めていた。電工出身の叩き上げである営業部長の鈴木達郎(瓜生和成)は、東京の銀行から呼び寄せた執行役員の阿部光男(尾方宣久)を紹介するが、電工の職員たちからはよそ者扱いされてしまう。現場主任の甲斐嵩(五十嵐明)は電工一筋の職人肌で、同期の鈴木ら上層部が勝手に物事を進めることに不信感を抱いていた。この紹介の場面で鈴木が電工たちの前で数回「おはようございます」を繰り返す場面が、上層部と現場組の溝を浮かび上がらせる。

     時間を見つけて詰所に趣く阿部に、電工たちは少しずつ心を開き始める。若手の戸高大輔(関口アナン)は学生時代からの付き合いの妻と結婚を決め家を買ったばかり、上昇志向が強く「電工では終わりません」と決意を述べる。戸高と同期の岩切修(吉田電話)はところどころ抜けた性格で皆に怒られてばかりのようだが、底抜けに明るいムードメーカーである。社員たちの口から語られるのは不在である社長の存在の大きさである。事務員の安田小春(竹原千恵)は社長の斡旋で電工の安田学(松本哲也)と結ばれることになった。下請会社の田原電気から出向している田原秀樹(佐藤達)は親子二代で仕事を受けており、新人の関和也(土屋翔)の教育係でもある。社長が贔屓にしていたスナックを営んでいた女性の娘である壱岐幸恵(平田舞)は、グレかけていたところを半ば強引に拾われ真っ当な勤め人になった。皆が待ちわびていた社長の突然の死を鈴木が告げると、電工たちはある意外な行動を起こすことを決める。

     皆が話題にする不在の人物が大きな存在を占める本作を観ていて、私は三島由紀夫の『サド侯爵夫人』を想起した。『サド』が浮き彫りにしたのは絢爛な王政からフランス革命勃発による貴族の危機だったが、本作ではいっときは栄華を極めた人格者によるワンマン経営が衰退する過程である。経営者が変わるだけで社内の雰囲気がガラリと変わったり、外部から呼び寄せた人材に敵対する様がとてもリアルで共感を覚えた観客は少なくなかったのではないだろうか。電材屋の米良産業から営業に来ている綟川剛(依田啓嗣)が当初チャラチャラした長髪の青年で甲斐にドヤサれていたが、ケンタッキーの差し入れを頻繁に持っていくようになってから打ち解け、甲斐と朝まで飲んだ翌朝は短髪にするなど、世代間対立と和解を描くことにも成功していた。

     登場人物も皆魅力的であり、人間の二面性を描くことに成功していた。事実上のトップとして会社を引っ張っていかねばならない営業部長の鈴木のぎこちない身のこなし、終始座ったままの目に双肩にかかったプレッシャーを垣間見る思いがした。他方で彼はフィリピンパブで知り合った女性と再婚を決めたり、そのことをバツイチの甲斐やいい歳をして独身の長友浩二(今村裕次郎)に自慢したり、そこから長友と田原、壱岐の三角関係を描くなど、よくも悪くも公私混同甚だしい職場ならではの特徴を生かした作劇が秀逸であった。

     本作初演の11年前から社会状況は変化し企業コンプライアンスやハラスメントに対する世間の目は一層厳しくなった。社員のプライベートの詮索や恫喝まがいの叱責といった描写に違和感を覚える観客に向けたアナウンスはあってもよかったかもしれない。むしろ私は時代設定が2024年へ変更されたこの三演を観ていてもあまり違和感を抱かなかったことに軽い戦慄を覚えた。やがてラストシーンで社長の葬儀を終えた翌朝に皆でにこやかにラジオ体操を終え、真顔に戻り仕事モードへと切り替えようとするときの表情の変化で頂点に達した。それはケン・ローチ監督の『家族を想うとき』を観た時にも感じた、なにがあっても、どんなことがあっても翌朝は仕事に向かわなければならないという労働者の性に胸が押しつぶされる思いがしたからに他ならない。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    死ぬ程面白い。大傑作だと思う。
    セットは庭劇団ペニノの『笑顔の砦』っぽいリアルな作り込み。舞台美術と照明は天才の仕業だ。詰所の窓とアルミサッシの引戸が開かれる度、ふと見える外の光景。まさしく現実世界に続いていく手触り。TRASHMASTERSっぽい人物の偏執的な描き込み。どうしようもなく沈鬱な現実を提示するのかと身構えるが、展開されるのは高度な喜劇。何重にも捻り過ぎて最早哲学的ですらある笑い。平山秀幸監督の『笑う蛙』を観た時のような全く先が読めない不思議な感覚。これ一体どう落とすのか?と思ったら成程!

    宮崎県にある宮崎電業。社長が病気で倒れ、社長代理の森が舵を取る。現場を知らない素人の仕切りに電工(電気工事士)達はそっぽを向き、叩き上げの電工から執行部入りした営業部長(瓜生和成氏)は間に挟まれる。更に執行役員として尾方宣久氏が突然の入社。現場主任の五十嵐明氏や松本哲也氏は不信感を募らせる。

    太腿のtattooを見せ付ける事務員の平田舞さんはあーりんを思わせるふてぶてしさで貫禄。
    しずちゃんとの結婚で注目を集めた佐藤達(とおる)氏は下請け業者を流石の怪演。
    いぶし銀の五十嵐明氏は目付きの変化だけで唸らせる。
    軽度の知的障害者であろう吉田電話氏も大ハッスル。
    電材屋の依田啓嗣(たかし)氏はヴィジュアル系。

    MVPは天才・瓜生和成氏。もうこの人にはかなわない。時折ドクター中松にも見える自然な抜けっぷり。凄い技術。時代が時代なら実録ヤクザ映画で引っ張りだこだったろう。

    この高度な笑いのテクニック。混ぜ方が巧妙。時折、吹き出すのをこらえる役者達。シリアスな話の中に必ず毒物を混ぜてくる。
    こういう作品を観れる幸運。才能が溶岩のように溢れ出している。
    是非観に行って頂きたい。

    ネタバレBOX

    依田啓嗣氏のケンタッキーを早朝に差し入れする力量。宮崎では24時間営業なのか?

    タイミングの巧さ。狙いすましたようにカットが切り替わる。
    博多華丸・大吉のネタに近い笑い。

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