『三月の5日間』100回公演記念ツアー 公演情報 『三月の5日間』100回公演記念ツアー」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
1-8件 / 8件中
  • 満足度★★★★

    作品の完成度は高いが、好みではない
    今の若い世代の日常のしゃべりをこれほど破綻なくかつ美しく舞台に上げられていること自体が素晴らしいと思いました。語られている内容や俳優の語り口は「ファストフード」的で陳腐なのですが、「チープなことに真摯であれ」という姿勢が作品を貫いていて、そのブレのなさが美しいです。
    このカンパニーの作品に登場する、置かれている現状を変えようと具体的な行動に移さない「若者」に全く共感できません。この作品でもそれは変わりませんでした。いくら表現手法が洗練されていて質が高くても、表現しようとしているその対象に興味を持てないとなると、やはりもう観に行きませんね。

  • 満足度★★★★

    なるほど
    はじめてのチェルチッチュでした

  • 満足度★★★★

    楽日
    役者の演技が明らかに良くなった。
    やっぱ芝居は初日より楽日か。

  • 満足度★★★★

    戦争と日常
    イラク戦争が始まった日を挟んだ5日間における、日本の若者の様子を斬新な語りと身体表現のスタイルを用いた作品で、はっきりとした物語のない、とりとめのない言葉の羅列の中から、現代日本の若者が持つ何とも言えない浮遊感が立ち上がっり、社会批評的な視線も感じられました。

    基本的には渋谷のラブホテルに泊まり続けた男女の話で、そこに渋谷から赤坂へ向かう戦争反対のデモのエピソードが交わるのですが、役者と役の関係が固定されていなくて、他の人が言っていたことを伝聞型で話しているかと思いきやいつの間にか一人称での話になったり、対話の相手役に入れ替わっていたりと、変化し続ける様子が印象的で、物語の展開があまり気にならない不思議な魅力がありました。
    台詞も途中で話題が脱線し続け、主語と述語が対応していない様なダラダラとした文体で、日常では普通な会話が舞台で行われると強烈な違和感があるのが興味深かったです。

    背後に大きな白い壁が立つだけのシンプルな空間で、壁や床にロシア構成主義的な形の照明が当てられるのがスタイリッシュで素敵した。

    初演から7年経っている現在に観ても新鮮で刺激的で、普遍的な魅力のある作品だと思います。

  • 満足度★★★

    よくできた小品という感じ
    100回もやったんだ、「寅さん」かよ

  • 満足度★★★★

    なるほど
    チェルフィッチュの代表作というだけあって、他では見ない斬新な演出、メッセージのあるストーリーに引き込まれた。
    それにしても、日本の若者言葉を海外でどのように表現するのだろう?

  • 満足度★★★★★

    人や世界(社会)との微妙な距離感
    出来事や人間関係に全方位的で、かつ微妙な距離感を保っている人たちの話。

    「三月の5日間」の出来事が、「物語」となっていく、ある種の「ぶゆうでん、かっこわらい」な物語。


    素晴らしい戯曲と役者たち。
    1時間30分+休憩15分。

    ネタバレBOX

    2003年3月のイラク空爆を挟んだ5日間の話。

    イラクの戦争なんてまったく関係ないや、と思っているような若者たちなのだが、やはり気にはなっている。
    ラブホに長逗留していても、「家に帰ったら終わっていたりして」のように、どこか頭の片隅で意識している。

    反戦デモに参加している2人組も、もちろんそうなのだが、過激系なデモの先頭にいたり、警官を挑発したりしている人たちとは、距離を置いている。

    イラクは気になるし、戦争は嫌だけど、ほどほどの距離感でいたい。

    それは、「戦争」という、遠い海の向こうの出来事に限らず、彼らにとっての、隣にいる友人との距離感も微妙なのだ。

    ラブホで朝起きたら隣に寝ていた知らない女や、映画館で出会ったアズマとミッフィーの距離感の微妙さは当然としても、ライブにわざわざ誘って出かけたミノベとアズマ、デモに一緒に出かけたヤスイとイシハラの距離感も、友人であろうが、かなり微妙なのだ。

    相手を気遣っているようで、その実、相手の話をきちんと聞いておらず、「あ、そうなんだ」と、上の空の同じ返事を繰り返していたり、自分の話たいことを、例えば、アンミラの制服話を無理矢理ねじ込んでみたり、なんだか「自分に好都合な距離感」ともいえる。

    友人関係を壊すことなく、かといって、踏み込むでもなく、「丁度いい塩梅の距離感」だ。

    「戦争」との距離感も、戦争そのものは、反対だし、もちろん、巻き込まれるのは絶対にイヤ。「反対」はしておきたいし、でもハードにかかわるのも、ちょっとな…というところ。「関心」があっても深くのめり込まない。
    「評論家的」には、世界とかかわることができる。
    そしてそれは、傷つきやすく、だけど傷つきたくない。つまり、自分を守るために、全方位的な関係でもある。

    そうした若者たちを巡るストーリーは、すでに「物語になっている」。
    「語られる対象」となっている、あるいは「過去の話」になっている、と言ったほうがいいか。

    つまり、「あの2003年3月のイラク空爆を挟んだ5日間に、渋谷のラブホに居続けたんだぜ」という「伝説」のような「物語」になっているのだ。
    それをミノベから聞いたアズマは、ほかの友人に話すし、そのとき自分はどうしていたのか、も加えて「語る」わけだ。

    「じゃ、それをやりまーす」と言って始まるのは、その物語を「語っている(再現している)」わけであり、すでに「過去の物語」になっているということ。

    過去の物語だから、何度も同じことを繰り返しているようであり、本人であり、第三者的でもある。つまり、自分の記憶を語るのは「第三者的」な視点が入り、「盛ったり」もする。
    コンドームの話とか、どちらが先に「ここだけの関係にしよう」と言い出したのか、なんて微妙なことは、曖昧にしておく。

    ラブホにいたミノベは、最初はチャラい感じなのだが、後半は、 オラオラ系な前に出るタイプになっていく(語る役者が変わっていく)。

    全体的に、傷つきやすい系の中の、オラオラ系とも言えるキャラは、「伝説の象徴」と言ってもいいのではないだろうか。
    つまり、語られていくことで、「ぶゆうでん、かっこわらい」になっていっているということ。

    出来事や人間関係に全方位的で、かつ微妙な距離感を保っている、という今の人たちの微妙なバランスを観たということだ。

    独特の長台詞と台詞回しが素晴らしいと思った。
    役者としては、メガネのミッフィー(青柳いづみさん)が、戯画化されすぎてはいるが、面白いと思った。

    で、スズキはどうした?
  • 満足度★★★★

    初日
    チェルフィッチュを昔見た時より会場の大きさが全然違う。
    なんか役者の身振り手振りが会場に合わせて少し雑になった気がする。
    「この役者リラックスが良いな」と思ったのは男女各1名。
    渕野修平と、おまけで青柳いづみ。
    興味が湧く作品ではある。
    楽日にあと2回見る。
    他の役者の演技が良くなっているのに期待する。

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