実演鑑賞
満足度★★★★
“現代版ゴドーを待つ人々”。その言葉とスヌーヌー主宰で劇作家でもある笠木泉さんの俳優としての久しぶりの出演に惹かれて観劇を決めていました。
実演鑑賞
満足度★★★★
台詞のある矢内原美邦舞台=ミクニヤナイハラプロジェクトであるが、その特徴でもあった喧噪は影を潜め、登場人物は三人、矢内原女史の舞踊主体の創作ユニットnibrollの音響と照明メンバーがこちらに参入し、芝居と空間演出の贅沢なステージが出来た。大阪公演キャストと二組の上演がある。
大阪公演キャストのバージョンも観た。俳優陣に佐々木ヤス子の名があった事もあるが、映像・照明、音のワークによる「快楽」をもう一度とリピートしたのだったが、大阪バージョンでは映像、音がなかった(フラットになった会場片隅のオペ・ブースは暗く空席であった...)。
途中でそれに気づいて落胆したが、素手で戦う大阪キャストの格闘家振りを見ている内にこれはこれで完結した演出の形と見えても来た。
テキストも東京キャストバージョンに比べて短い。(なおこの日は序盤に言及されるはずのくだりが飛んだと思しく、予定は90分だった所80分程で終わっていた。それが作品性を損ねていた訳ではなかったが。)
モノクロとセピアの二種で構成する絵画のような照明の中で、「人間」が突出している。東京版は異国からの移住者役とその従者的な存在が女性、そこに登場する男、という構図だったのが、従者に当たる存在が男で東京版では「ヘイ!ゴドー」と話し相手をさせられるAIに見えていたが、こちらは同道する者(用心棒的な?)で機械っぽさは出していない。後で現われる男は東京版は十代に屈折した経験を経て何とか逞しく大人になった風で苦労人の様相だったが、こちらは色白で生ッちょろさを感じさせる若い経験浅の風貌。紅一点だ。
東京版はテキストを「足した」のか大阪版は催し用に圧縮したのか・・先日東京版では後半主人公が兄を自死で亡くしたその男に捧げると言って(それまで反目して激しく公論していたのが)詩を読むと言って語り始めるのだが、大阪版はその詩が大変短かった。
東京版で流れた観客を未来へ、あるいは時空を超えた想念の世界に誘う音楽を大阪版ではカセットデッキを持ち込んだ男がプレイを押してノイズだらけの音で流す、という演出、モノクロに時折橙が混じる照明(太陽に言及する際に照らされる)と相似に、無音の中のワンポイント流される音は鮮烈に印象付けられる。
大阪バージョンはミクニヤナイハラプロジェクトの空気感が残る(無音である事と、俳優の台詞が基本激しく強い)。