満足度★
「大学」もなければ「演劇」もない
幼稚園のお遊戯会で「あの芝居はなっちゃいない」と文句を付ける人間はいない。講師こそ一流どころを呼んできてはいるものの、練習期間はたったの4日、素人を集めて素人が演出を務めているのだから、そもそも「演劇」になりようがない。「一人一人、その人なりに一生懸命、頑張ったねえ」と、出演者のみなさんを労ってあげるのが順当な対応というものだろう。
客だって殆どが出演者の身内のようで、よく笑ってあげている。正直な話、私にはどの芝居も苦痛なくらいに退屈だったのだが、一般客がこの場に紛れ込んでしまったこと自体が間違いなのだろう。
と言って終わりにすることができ難いのは、この発表会が、曲がりなりにも「日本演出家協会」の企画によって成り立っているという事実があるからである。
演出家協会の目的は何か。それは、各地域において演劇の土壌を作り、演劇文化の活性化を図る、即ち「一般客にも見せられるレベルの演劇の構築と、プロの演劇人を育成すること」ではないのか。
だとすれば、現行の演劇大学の「お遊戯」な有りさまは、全く目的を果たしてはいないと断じざるを得ない。2ヶ月なり3ヶ月、じっくり時間を取って、演出も中央から招聘する演出家に全面的に任せる程度のことをしないことには、決して効果は上がるまい。もしそこまでの予算も時間もないというのであれば、「演劇大学」などという仰々しい看板を揚げるのはやめて、「演劇セミナー」程度にしておいていただきたいものだ。
福岡の演劇人が参加しているとなれば、その内容も質も吟味分析することなく、安易な現状肯定、根拠も示さない擁護や賞賛、的外れなアドバイスを行う者も少なくない。「これは試演だから」などという擁護にもならない詭弁を弄する者も出てくる始末で、そんな言い訳が通用するのであれば、全ての演劇が試演ということになってしまう。そんな馬鹿な話があるはずもない。一般客の眼に晒されたものは、それが一つの完成形として観られることを覚悟しなければならないものなのだ。
それでもなおあれが試演であって、あえてオモテに出して一般客の俎上に供したのだと主張するのであれば、そんな「演劇以前」のシロモノが批判に晒されるのは当然であろう。結局、擁護派の言は何の言い訳にもなってはいないのだ。
そういう劇団や俳優にすり寄り、媚びる乞食のような連中によって「誉め殺された」劇団も福岡には少なくない。妙に「人の輪(和)を作る」行為が福岡では質の低下、逆方向にしか作用していない。演劇大学のこの無様な結果は、その端的な象徴と言ってよいだろう。
演劇“大学”とは?
短編4本。
どれもつまらなかったが、前半2本は特に酷かった。
参加者の数の問題なのかわからないが、どの作品も一つの役を複数でやるようなことをしている。
それがどの作品も何らかの演出意図があってのことのようには見えない。
あったとしたなら台本を阻害するばかりで失敗しているとしか言いようがない。
どだい4日間で一つの作品を作り上げることは福岡の(福岡以外の方もいたようですが)演劇人には無理なのではないだろうか。
4日間というのは、それまでに多くを積み上げいつでも準備が出来ている、という者か、演劇的センスのある者が実力ある演出家に出会えた時だけだろう。
無料だったのであえて星は入れません。