実演鑑賞
満足度★★★★
長塚圭史と言えば先般「アメリカの時計」で確かな演出の仕事を目にしたばかりだが、彼の書いた作品と言うと下北沢の小劇場で二三作、新国立劇場の(どっちかつと)子ども向け企画の最初のを観た位か。奇想天外な現象を真実そこにあるものとしてその解明にでなくその先へドラマを進め、いつしか観客を深みに引き摺り込んでる、といった印象が共通で、新国立のは言葉遊びで散らかした遊戯世界を何とか回収していた印象(第二弾以降のは好評だったようだが見てない)。
前者が暗鈍、後者が明軽とラベリングしたとすれば今作は両の要素を合わせた感じ。作者の「言いたい」事は分からなかったが「狙いたい」所は受け取った気がした。いずれ現実世界に着地する旅ではなく浮遊し続ける感覚があり、非日常の劇世界に浸かった感触より、劇場を出た現実世界を見る眼差しを変えられているとでも言ったような、怖くないけど不可解な何かが浸潤している。インフルエンスを与える犯人は場面の細部に宿る快楽、美味しさだろうか。
二度見たら裏が透けて見える代物か、はたまた有機物の分子構造みたく奥へと分け入りたくなるミクロの決死圏の世界か。
実演鑑賞
満足度★★
以前配信で観た帰ってきたゴドーに酷似した印象を受ける。あちらは家で休み休みだからこそ観られたけれど劇場で二時間この感じは自分にはとても厳しかった。
目的の曖昧な言葉がひたすらに淡々とゆっくりと、何に資するも示さずに発される事に終始する。頭を使おう考察をしようと言うテンションになれば良かったのだけども、余りにも度が過ぎて淡々とゆったりと在る劇中世界に夢中になれなかった。
実演鑑賞
満足度★★★★
ほとんど完璧な舞台観劇感想をヴァンフルーさんが述べられているので、付け加えることは何もない。長塚圭史が、このような作品で阿佐ヶ谷スイイダースを引っ張っていくことなんか、全く想像できなかった。人間年の功というものはあるものである。老獪な物語の構造が時々観客の手の外へ行くのが、唯一の欠点か。
実演鑑賞
満足度★★★★
始まりはつげ義春の『ねじ式』を思わせる。水木しげるのアシスタントをしていた頃、下宿先の屋上で見た夢を描いたもの。
ぼんやりと夢なのか記憶の中なのか妄想なのかふわふわした場面を彷徨い歩く。目玉探偵が現れ、回想捜索をアシストしてくれる。記憶のパラレル・ワールド。記憶の世界線。無数の有り得たかも知れない可能性が枝分かれしていく。
唐十郎作品のような設定だが、筒井康隆作品みたいなムードが自分好み。
どうもここは誰かが覗き込んでいる世界らしい。その証拠に空に巨大な目玉が浮かんでいる。
ああケイトウが始まった。夕闇の赤に塗り潰されていく。これに呑まれると自分を失くし誰かの設定に引き摺り込まれてしまう。
彷徨い歩く“私”は中山祐一朗氏。『オールド・ボーイ』のチェ・ミンシクを思わせる。別れた前妻との、全く交流がないままになってしまった息子を追憶する。
“あいつ”こと息子は大久保祥太郎氏。弟の坂本慶介氏と日替わりで入れ替わるWキャスト。
息子の嫁役は智順(ちすん)さん。篠田麻里子っぽい美人。彼女が一日の行動を述懐するシーンが今作の一つの肝。
息子のマンションの住人達、村岡希美さんと富岡晃一郎氏。村岡希美さんは作品内に収まらないスケールで最早一つのジャンルそのもの。お釈迦様の手の上で作品が踊らされているみたいだった。
富岡晃一郎氏は今作では「とろサーモン」の久保田みたいなスプラトゥーン中毒。
目玉探偵に長塚圭史氏、妖怪人間ベムに見えた。
秘書の緑は李千鶴さん。流されていく女。
もう一人の目玉探偵に伊達暁氏。今作ではリリー・フランキーっぽい。
喫茶店のウエイトレスに内藤ゆきさん。この人の伊達暁氏との遣り取りがかなり面白かった。
目玉探偵は「時空のおっさん」の回想世界線バージョン。
タイトルはジェームス・ディーンの遺作『ジャイアンツ』からだろう。
是非観に行って頂きたい。