実演鑑賞
満足度★★★★
観た後にこれが映画「情婦」の原作に当たる作品であり(アガサ・クリスティが最初に書いた短編を戯曲に書き改めたもので、映画はそれを元にしたものという)、あのマレーネ・ディートリヒが法廷で悪役ぶりを演じた後、愛に敗れた(って感じのストーリーの)やつ、と気づいた。
芝居を観ながら、既視感は全く覚えなかった。雰囲気が違った。法廷物の常道といった感じで、主役の青年(采澤)が殺人を「やったのか、やってないのか」で言えば最後に「やった」となるんだろうな、とは予想していたが、ミステリーの仕掛けにまんまと乗せられ舞台を凝視していた。
タネが分かってしまうとミステリーはつらいな、という大方の意見に対し、アフタートークで翻訳の小田島氏が、「結末が分かった上でディテイルがどう作られているかを見るのは一つの楽しみだ。マクベスもハムレットも結末が分かってるのに皆観に行く」と成る程な発言。
リアルで緻密で見せ場のあるドラマなら、「謎」だけに引っ張られて最後まで観る(これミステリーというジャンルに限らず演劇にそ「引っ張り」の手法は普通に使われている)タイプの演劇は後に残るものがあまり無い、という事は確かにある。
さて今作、終盤のどんでん返し一つ目は見事に騙され、それが痛快であった。だが最終的などんでん返しは非道な男という造形が、単に彼のそういう「素質」から来ている、という風にしか解釈の行き場がなく、きつい所がある。(どんでん返しの面白さは十分にもう味わっているのでその時点では文句はないが。)というのは、やはり芝居は時代を映すものでありたい願望がある。
男の造形の中に何か社会背景を思わせるものが書き込まれていれば、女性の悲劇が際立つだろうし、この出来事をより立体的に、彫刻のように眺めさせる事もできるのでは・・と。
スパイ云々の話は作り話で一旦チャラになった後、男の非道さだけが残る。外国人である妻(永宝)はこの国で男との一対一の濃い関係を育み、それゆえ物理的な意味では依存関係(男の側に圧倒的な強み)があったと言える。ドラマとしては、ナチスとの関係を疑われた彼女の逃亡を助け、利用して捨てた男がいた、という話である。
女の態度から、一計を案じて彼を殺人容疑から救ったのは彼女だと見える、という意味では男の「心変わり」は偶発的であった可能性もある(その線の方がドラマティックである)。
客観的には弁護士の心証として彼は無罪であったので、一計を案じなくとも推定無罪を勝ち取った可能性が大きい。そこにちょっとした隙間風がある。そこで際立たせなければならないのは女性の「愛」となる。
だが男の本質はサイコパス並に「人をだませる」特異な才能を持つ、という特別な設定に頼っている面もある。その本質は、妻でさえも見抜けなかった。問題が残るのはつまり男の存在だ、という事に(私の感覚では)なる。
従ってやはり最後に「本当の制裁」として妻が男を殺す、という結末は事を収めるためにも必要だった。法廷内とは言え閉廷した後は「普段の時間」、そこで女は男を殺した。とは言っても男が殊更に元妻を怒りに駆り立てる行為を取らなければ、また廷吏に取り押さえられていれば・・と、殺しが成就しなかった可能性が「現実」として広がる。もしそうであった場合でも、物語は成立するのか・・。物語は完結せず不当さへの恨みは燻り、その収めどころを探すしかない。復讐か。あるいは女のこれ以上の墜落をもってカタストロフを作るか・・。と考えると、やはりミステリーはリアリズムでないミステリーのルールに則っているので、「それを踏まえて楽しむ」のがミステリーを味わう弁え、という事になるだろうか。
実演鑑賞
満足度★★★★
映画にもなった有名な作品らしいが、初めて見た。ラストのどんでん返しに次ぐどんでん返しにはやられた。息をもつかせない大変なインパクトだった。
俳優陣も、スターや人気者はいないが、アンサンブルがよく、安心してみていられる。ザ・新劇という感じ。とくに容疑者の妻にして「検察側の証人」というカギ人物ローマインの永宝千晶が光る。3度登場するが、緑のくすんだスーツ、純白のタイトスカート、グレーのタイトスーツとその都度、衣装も変わって舞台映えした。2時間45分(休憩15分含む)
実演鑑賞
満足度★★★★
クリスティはフーダニット劇と名付けられている犯人探し劇を作り発展させた作家だが、それはもう半世紀以上以前。「検察側の証人」は犯人探し、というより、裁判劇として知られているが、いかにも古い。いまでもロンドンでは上演されている名作と言うが、昔の実際の法廷を使ったロケ舞台として上演されている由だから、半分は遊園地の名物興行だろう。
作品が知られるようになったのは、多分、チャールス・ロートンと、ドイツ女のマレーネ・デイトリッヒ、若手随一の人気だったタイロン・パワーの大顔合わせでビリーワイルダーが監督した喜劇タッチの映画が大当たりしたからだろうし、日本でその後当たったのは、フランス帰りの大女優岸惠子に、売れ筋監督の市川崑の舞台初演出で流行り物として西武劇場が、上演したからだろう。当時の翻訳現代劇としては珍しく、一月近く上演していた。多分これがクリスティ劇としては最高の当りである。
やはり、役者とか、仕掛けとか、もう一つのプラスワンの要素がないと、ミステリ劇はなかなかお客を呼べない。よく知られている割りには上演の機会も少ないし、やってみると客は薄い。今回の「検察側の証人」は俳優座プロデュースの制作で、ここは、ミステリ劇系の上演を長年やっている。東京で新劇系の中堅の俳優をキャステキィグして、それで地方を回る。「罠」(トマ)とか「夜の来訪者」(プリーストリ)とか、スタッフ・キャストを入れ替えながら長年やっている。いまは文学座始め各新劇団も中堅の俳優・演出を出し合ってそれなりの座組になっている。台詞はしっかりしているし、地方で新劇を見てももらえるし新人教育にもなるだろう。生活の基盤にもなる。良い企画だ。これに、「検察側の証人」が加わったわけだ。
俳優座で上演するのは二十数年ぶりと言うが、確かに最近見てはいない。地方周りの企画にするにはミステリ劇は8人前後の出演者でこじんまり娯楽劇に作らなければいけないのに、二十人以上の出演者がいる。舞台も裁判所法廷を始め何杯もあって、座組が大きい。
昔の戯曲だから、当世風に変えざるを得ない。俳優座劇場で2時間45分、これでも十分長いが、かなり原作を切っている。それも時代にあわせて上手くテキストレジして上演台本にしている。今回一番の上手い工夫は問題の核になる検察側の証人・ローマインを原作の出を大幅に遅らせて1幕の幕切れに登場させて、そこで休憩を入れたことだろう。
この工夫で、前半犯人探しのミステリ劇、後半は国境を越える男女のロマンス犯罪劇の二つのカラーを判然と見せて、楽しめるようになった。演出は文学座の高橋正徳、この人の演出では古川健の「60‘sエレジー」というすぐれた現代劇があった。時代を芝居の中から上手くつかみ出して表現する。「検事側の証人」でも、東西冷戦時代のヨーロッパという広くもない地域で出会った男女のが犯罪に惹かれていくところが、ことによると原作よりも上手く表現されている。
すっかり古びてしまったクリスティの芝居を生き返らせた功績も評価したい。
実演鑑賞
満足度★★★
1984年12月9日の日曜洋画劇場、『アガサ・クリスティの検察側の証人』が放送。1982年製作のTVドラマ版。今作にもの凄いインパクトがあって衝撃の結末としてこびり付いている。原作の小説を読み、名作と誉れ高いマレーネ・ディートリッヒ版の『情婦』も観た筈だが全く記憶にない。ファースト・インパクトが凄すぎたんだろう。あの時の衝撃を求めてもそれはもう無理。ウォーレン・ベイティの『ディック・トレイシー』でもマドンナが似たような役をやっていた。
今回もやはりあの時の衝撃を求めていたが、確認する作業になってしまったのは仕方がない。
だが初見の人には絶対的にお薦めする。
全く情報を入れずに観に行って欲しい。
創立79年劇団俳優座、六本木駅前の俳優座劇場は2025年4月末日に閉館。正念場に立つ老舗劇団が34年振りに絶対的自信作を世に問う。
これを観ずしてミステリーを語るなかれ。
逆にまだ未見の人が羨ましく思える程。
オリジナル中のオリジナル、必見。
重厚な役者山脈。舞台美術も小道具も文句の付けようがない。この座組に入れるだけで誇れる。
主演の法廷弁護士は金子由之氏。
付き従う事務弁護士に原康義氏。
二枚目の容疑者に釆澤靖起(うねざわやすゆき)氏。
そのドイツ人妻に永宝千晶(ながとみちあき)さん。
被害者の家政婦は井口恭子さん、流石の腕前。
凄腕検事に志村史人氏。「んんんんん」とウイッグを弄る癖だけで観客がどっと沸く。
法廷書記は武田知久氏。『犬と独裁者』のソソ役が強烈。普通に何をしても目立ってしまう異才。
法律事務所秘書の音道あいりさんはかなり印象を残した。
MVPが永宝千晶さんになるのは当然。小池栄子っぽい貫禄。彼女と観客の戦いになる戯曲なのだから。
何度でも観たい作品。