再/生 公演情報 再/生」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.4
1-9件 / 9件中
  • 20110724
    (^・ェ・^)

  • 満足度★★★★

    演劇だからこそ表現できること
    全国ツアーの内、横浜公演のみで上演された、多田淳之介+フランケンズver.を鑑賞しました。
    集団自殺するために集まった若い人たちが興じる最後のパーティーの様子を3回繰り返して描くことによって、演劇というフォーマットでしか表現しえないような生き生きとした質感を強烈に感じさせる作品でした。

    ある畳敷きの部屋に集まった男女8人が薬を飲み、酒を飲み、音楽に合わせて踊り狂い、倒れるという30分に満たない流れを繰り返す構造なのですが、単純に繰り返すのではなく、1回目では薬を飲んだ後の場面から始まり、集団自殺の集まりとは分からさせず、ただ馬鹿騒ぎをしているだけに見せかけて2回目で真相を分からせ、馬鹿騒ぎの中に秘められた必死さを感じさせる構成が見事でした。

    3回目の最後にみんな倒れた後にまた冒頭の曲、『DON'T WORRY BABY』(BAY CITY ROLLERS)が流れ、4回目が繰り返されるのかと思いきや、薬を飲まずに舞台を退場していき、生きることに対しての仄かな希望を感じさせ、後味の良い終わり方でした。

    役者たちは同じことが繰り返されるとは知らないかのように最初から全力で踊り、繰り返される度にどんどん疲労して行き、3回目では台詞を言うだけでも一苦労という状態なのですが、消耗して行くに連れて逆に役者たちの演技ではない素の個性が輝いて見えてくるのが印象深かったです。

    台詞があまりなく、踊りもちゃんと訓練されたものではないものを3回繰り返すという演劇としては異例の作品ですが、物語の展開ではなく、人間が目の前にいるという存在感で観客の心を動かすという点では小説や映像では表現で出来ないことをしていて、まさしく「演劇的」な作品だと思いました。

    疲れて行く役者とは反対に、繰り返される度に明るくなる照明と大きくなる音量(3回目は普通の演劇公演ではあり得ない程の大音量でした)の効果が素晴らしかったです。

    『TSUNAMI』(サザンオールスターズ)、『Shangri-La』(電気グルーブ)などのヒット曲が雰囲気作りのBGMとしてではなく、劇中で実際流れる音楽として最初から最後までカットせずに流されるのが、音楽に対するリスペクトを感じられて気持良かったです。

    デスロックver.を観れなかったのが残念です。来年キラリ☆ふじみで上演があるので、そちらを観に行くつもりです。

  • 満足度★★★★

    掴まれる
    両バージョンを拝見。

    どこか抽象画を観るような感覚もあるのですが、
    一方でぞくっとくるような生々しさも感じる。

    形は違っても、両それぞれの色で
    心を捉えられるものがありました。

  • 満足度★★★★★

    (たぶんというか、間違いなく脳が騙されていると思うけど)快感!
    再演みたいだが、前情報まったくなして観た。
    それは正解だった。

    にしても、東京デスロックは、やっぱりとんでもない劇団。
    これを最後までやり切って、かつ、この気持ち良さ。
    素敵すぎる

    ネタバレBOX

    ダンスというよりはポーズの連続。
    どこまでがアドリブでどこまでが決まりなのかは判然としないが、ときどき入る「再生(リプレイ)」で、全部がアドリブではないことに気づかされる。

    『再/生』というタイトル(真ん中に/が入っているものの)や大音量のサザン『SUNAMI』、そして‪相対性理論『ミス・パラレルワールド』‬なんて曲が流れたりするから、やっぱり3.11を意識して観てしまう。「再」と「生」と分けて考えるとなおのこと意味が増してくる。
    SUNAMIとか大変なことが起こっての、「再生」というとらえ方だ。

    それはまったく見当違いかもしれないが、ここを端緒にして観ていくと、「日常」という言葉が浮かび上がる。
    「日常」を「再生(蘇らせる・リボーン)」すること、それはすなわち「日常」が何の疑いもなく「再生(リプレイ)」続けていたように見えた時間への希求。

    「日常」の「再生(リプレイ)」(していたように見えていたこと)は、貴重なものであったと認識せざるを得ない3.11後の世界にいる。
    「日常」の「再生(リプレイ)」は、完全なる「再生(リプレイ)」ではなく、同じように繰り返されていても、1日として同じものは存在しないことにも気づく。

    それは音楽が同じ楽譜による演奏であったとしても、演奏者や楽器、場所、時間、演奏者の気持ちなどによって、必ず同じではないことに似ている。

    舞台の上のポーズは、音符であり、それを「台詞」や「日常」や「大音量の音楽」でアレンジしつつ繰り返されていく。
    同じようで同じではない。デジタルではない、肉体による「再生(リプレイ)」だからそれは当然であり、それが当然のように延々と繰り返される。

    極々個人的な感覚的な気持ちの良さの回数だけ繰り返される。
    だから、苦痛に感じる人もいて当然だ。

    「日常」の「再生(リプレイ)」は、苦痛でもあり、幸福でもあることが、わかった今、感じるこの舞台がある。
    快感でもあり苦行でもある。

    舞台の上の俳優たちは、「日常」を演じている。
    その姿には、「苦痛」もあるが、「快楽」の表情も浮かぶ。それが失われつつある「日常」の表情。舞台という繰り返しの中にあっても、異なる「再生(リプレイ)」。

    役者たちの本気度は熱い。死ぬ気でやってるようだ。
    手抜きはないところにも快感を感じてしまう。観客も(たぶん)演じている本人たちも。観客のほうは「疑似的」ではあるが。

    やり切った後の役者の無表情は、すでに演技(していること)ではないとしても、また、演出家が意図してる、してないにかかわらず、これは演出で演技だ。

    ここまでの感想は、大音量の音楽などなどの諸々に騙された(会場のサイズも大いに関係あり)、単なる妄想であったとしても、そうした「非日常的日常」の、この気持ち良さ、このヘンテコな感覚はほかでは味わえない。

    東京デスロックは、やっぱりとんでもない劇団だ。
  • 満足度★★★★★

    フランケンズ恐るべし!必見!
    横浜まで行ったんだから、前から気になっていたフランケンズも見てみた。
    ホントは誤意訳が見たいんだけど。
    まあいいや。
    こっちは初演にかなり近いらしい。
    ラストは変えたらしい。
    だから落ちがなくなっている。
    落ちなんかなくたって構わない。
    助走がない。
    全員が初めから100%の演技を発揮してぶっとばしてる。
    フランケンズ恐るべし。
    客に絡まないバナナ学園みたいな。
    しかも全員の演技が素晴らしく調和している。
    それになんだか楽しそう。
    でも2回目は少し良くない。
    3回目も。
    何度繰り返しても1回目のように新鮮にやれないと。
    アフタートークで演出家が5回しか稽古してないと言ってた。
    それでこの舞台か!
    素晴らしい。
    フランケンズは良い共同作業ができる集団なんだね。
    今日追加公演あり!必見!

  • 満足度★★★★★

    必見!
    高野しのぶさんの初演のレビューを見て見に行くことにした。

    助走があった。
    つまり、役者の演技の調子が出るまでに少し時間があった。

    でも役者達はダンサーでもないのによくやっている。
    ほめてあげたい。

    途中からはとても面白かった。
    良いもの見せてもらった。
    行って良かった。
    この舞台はこのまま推し進めていくとダンスになっちゃうね。
    そこまでやる必要はないけど。
    というか、ここまでが限界でしょう。
    ここから先は、もう完全にダンサーの仕事だよ。
    間野さんはダンスもやる人らしいけど。

    こういう実験的な舞台をやる人たちは貴重だよ。
    こういう人たちが演劇を進化させてくれる。
    間野律子が良かった。
    助走があったけどね。

    今日で終わり。
    急きょ追加公演あり。
    必見!
    見る前にネタバレも見ておいて。

    ネタバレBOX

    大音量が苦手な人にはお勧めしない。
    かなりの大音量なので苦痛を味わうことになるかも。
  • 201107191930
    201107191930@STスポット/終演後PPT有

  • 満足度★★★★

    タダフラ版は追加公演あり。
    デスロック版・タダフラ版ともに鑑賞。デスロック版コンセプチュアル・アートだと思って観てもいいかも。タダフラ版は追加公演あり。

  • 満足度★★★★

    演劇?
    と言うよりダンス?パフォーマンス?のようでした。(デスロック版)

    何か伝わるものは確かにありました。
    役者の息遣いや汗、照明が印象的でした。

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