ワーニャ伯父さん 公演情報 ワーニャ伯父さん」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.8
1-9件 / 9件中
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    「かもめ」そして本作とチェーホフ作品も見事に噛み砕いて舞台化させた。イプセン作品も然りだがこのユニットが描くと「どういう話か」がよく判る。ハツビロコウの解釈による作品の要諦が明確なのだろう。ワーニャの「苛立ち」と「絶望」は犬も食わない男やもめの愚痴と捨て置かれるようなものだ。現代にだって履いて捨てる程ある。
    だが彼はその情熱を妹の旦那の学問的成功へ、遠方(地方)から家計(モスクワに住む教授夫妻)を支える事を通じて注いだ。その若き日の情熱が純粋であったゆえに?今の絶望がある、とすれば彼にはまだ誇れるものがあると私達には見えたりもするのであるが・・。
    再出発するには遅いワーニャの窮地に、彼の姪である教授夫妻の娘は自分の実らぬ恋を重ね合わせ、生きて行くしかない、我慢して生きるしかないと慰める。天国に行けば神様が褒めて下さる・・と。彼は何を苛立ち、何故自分を嘆いているのか、もっと広い問いとして考えると、突き詰めた所に世の理不尽、現世的な成功と没落がある。劇の中に救いは、ない。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    面白い、お薦め。今まで観た「ワーニャ伯父さん」の中では 一番印象的だ。
    当時のロシアの田舎町の閉塞と停滞感、そこへ都会暮らしの年老いた元大学教授夫妻が滞在した日々の出来事、それを きわめて現代的な問題・話題と絡めて描く。120年以上前の戯曲とは思えないような問題意識、そして濃密な会話。何となく時代・社会から取り残された人々、その苦悩と諦念が切々と伝わる力作。

    薄暗く重苦しい雰囲気が停滞感を漂わせ、その中で俳優陣の迫真ある演技が繰り広げられる。ラスト、ソーニャがワーニャ伯父さんに どんなに過酷な状況下でも<生きていかなくちゃ>と静かに語り掛ける場面は絶賛もの。舞台で発する<言葉>の重み、それが心魂を震わす。この公演の魅力…まず 場面毎が夫々独立しているようで、描きたい事がはっきりしている。次に人物の立場と心情がよく表れており、例えば セレブリャコフが皆を集めて話す場面では、人の立ち座る場所で気持(心)の距離感が観てとれる。その美意識ともいえる構図が凄い。戯曲の面白さを十分に引き出した演出と演技、観応え十分。
    (上演時間1時間55分 途中休憩なし) 追記予定

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    「世の中は庶民の我慢で回ってる」という普遍的な事実を突きつけられた。
    ラスト、ワーニャ伯父さんに語りかけるソーニャの言葉にボロ泣きする。
    世間知らずのインテリ教授には死んでも解るまい、
    この「誰かを信じて支える」という崇高な愚直さよ。

    ネタバレBOX

    ほの暗い舞台上には簡素な木のテーブルと椅子。
    26室もあるという田舎の屋敷のリビングが主な舞台。
    退職した大学教授が、再婚した若く美しい妻エレーナと共に自分の領地へ戻って来た。
    この都会暮らしに慣れ切った夫婦が現れたことで、静かな農園の暮らしにさざ波が立つ。

    教授の、今は亡き最初の妻の兄であるワーニャは、
    妹のダンナの才能を信じ尊敬の念をもって、この農園を管理し、
    彼の仕事を献身的にサポートして来た。
    亡き妹の忘れ形見ソーニャは、そんなワーニャ伯父さんの仕事を手伝っている。
    年老いた乳母と、居候の老人、そして我儘な教授に呼ばれるとやって来る医師。

    ワーニャも、医師も、美しい人妻エレーナに恋をしている。
    ソーニャは、医師に恋をしている。
    そして人妻エレーナはと言えば・・・医師に恋している。
    激狭コミュニティの中で誰も幸せになれない恋愛模様がくり広げられる。

    小さな空間で対峙する登場人物が、終始緊張感を保ち続けていて素晴らしい。
    場転の際に流れるギターの音色が品良く少し陰鬱で絶品。
    明りの加減も絶妙でチェーホフの時代を五感で感じさせてくれる。

    教授が突然「この農園を売りその金でフィンランドあたりに別荘を買おうと思う」
    と言い出したことで、失恋の痛手も重なったワーニャの心は爆発する。
    教授のために、自分の才能も稼いだ金も捧げて来たのに、
    自分の親が嫁ぐ妹に買ってやった土地を、いとも簡単に売ろうと言い出す教授を
    許すことが出来なかった。
    自分の人生も、自分の今は亡き家族も、こいつにないがしろにされたのだという
    怒りがビシビシ伝わる素晴らしい迫力。
    ワーニャ伯父さんのこの怒りのために、これまでの話はあったのだと思う。

    だが、あんなに怒り狂ったのに腑抜けのように仲直りして、大人しくなってしまう。
    人生の悲哀というにはあまりにも派手なブチギレ方だったが、結局のところ
    怒りの矛先は、カン違いして勝手に信奉していた自分の愚かさに対する
    怒りであり情けなさだったのかもしれない。

    ソーニャが、慰めるように寄り添うように伯父さんに語りかける。
    それはまるで、人生の望みを絶たれた者に降り注ぐ優しい呪文のようだ。
    「我慢して」「働いて」「いつか神様の前で申し上げる」「ようやくほっと一息つける」・・・。
    上手くいかないいくつもの人生に激しく共感すると同時に
    力ずくで自分の人生を諦めるような残りの時間を思うと暗澹とした気持ちになる。
    乳母ひとりが「いつもの生活が戻る」こと以外多くを望まず、心穏やかに見えた。

    人生はそんなものかもしれないけれど、その切実さに涙がこぼれる。
    才能も仕事も恋愛もお金も、何ひとつ望むようになりはしない。
    だから”上手くいっている”ような振りをしないことだ。
    カン違いをしないことだ。
    それは上手くいかない人生より、ずっと滑稽なことなのだ。


  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    とてもよかったです。作品そのものは何回かいろいろな団体さんで拝見していますが。違いますねえ。内容は知っているのに新鮮な気持ちで拝見できました。さすがです。時間も長めかと思いましたが気にならず見られました。役者の皆さんの力量ですね。三姉妹も期待してますね

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    さすがです!重厚なお芝居に魅了されました。良い時間をありがとうございました。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    コンパクトな舞台で繰り広げられる濃厚な会話劇。この演目2度目の観劇なので、今回はセリフをじっくり楽しむことができた。100年以上前の戯曲なのだが、人間模様は今と全然変わってない。自虐的昼メロの世界ですな。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

     初日を拝見。流石、ハツビロコウ。

    ネタバレBOX

     物語は部屋数だけで26もある屋敷の皆が集まる部屋で展開する。劇場の板部分を嵩上げして平台を置き平台の各頂点を延長した先に一か所ずつ出捌けが設けられている。うち一カ所は、劇場入口も兼ねる。上手ホリゾント側の出捌けには側壁から迫り出した壁があり、出捌けの際の目隠しも兼ねているが、この壁にはマジックミラーのような反射率の鏡が掛かっている。その反対側ホリゾント側下手出捌けの先には窓があり、下手手前の出捌けの先にはワーニャの部屋がある。尚、皆が集まる部屋は、現在の日本のマンションで言えばリビングに当たるのか? 嵩上げした平台の丁度中ほどに大きなテーブルが置かれ、場面、場面で椅子の数を調整、テーブル上に置かれる物もサモワールとカップ、ウォッカの瓶とショットグラス、ちょっとしたつまみ類等を盛った皿など必要に応じた物が置かれる。
     有名な作品だから物語の筋は書かない。ただ、これだけは言っておきたいのが、これまで他劇団の演じた「ワーニャ伯父さん」を数本観てきたが今回の舞台が最も気に入った、ということである。何故なのか? 自問してみた。するとチェーホフが描かんとした意図を最も正確に捉え分かり易く的確に表現して観せた舞台だからではないかと思い至ったのである。他の作品にも表れているチェーホフの自然に対する卓越した見解と、その正鵠性故に理解されぬもどかしさや絶望、孤独感や侘しさが医師・アーストロフの台詞、態度に実に良くあらわされ、退任した大学教授が屋敷へ来る迄は、この地域でたった2人しか居なかった知識人として同じくチェーホフの分身であるワーニャを通してアーストロフの描写では抑えられていた、圧倒的少数のインテリが社会に対して感じていた苛立ちや侮蔑感、理解されぬことから来る焦燥感等が極めて明快に刻印されている。その一方、乳母・マリーナは民衆の代表として描かれていると考えられるが、チェーホフの彼女に対する視線は暖かく、真の民衆の持つ知恵の深さ、適格を随所に鏤めた台詞で顕彰されている。密やかにアーストロフへの身を焦がす恋をするソーニャの純愛も哀しいが美しい。一方ブルジョア階級に属すエレーナについては、恋愛の仕方についても利害得失が矢張りちらつくことは、彼女の態度と台詞の落差によって否定し難い。退任教授・セレブリャーコフについてはその極楽蜻蛉ぶりが遺憾なく表現されている点もグー。また、居候のテレーギンに対する侮蔑的態度は、ワーニャがこの屋敷購入時に不足分を支払ったこと、この土地・屋敷の管理をソーニャと共に必死に担ってきたことから来る自然な苛立ちとして表現することによって、チェーホフのもう1人の分身、アーストロフに精神の上澄みを担わせることに成功しているという、今作の作品としての深み迄解釈させてくれた。上演台本・演出を担った松本さん、その要請に応えた役者陣に深く感謝! 無論、このような舞台を支えて下さった他の総てのスタッフにもお礼申し上げる。
  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    俳優たちの演技に加え、演出がすばらしい。いつもの暗い照明、田舎の夜の虫の鳴き声、静かなギター音楽が静謐な雰囲気を醸す。ろうそくの火の前に座ったソーニャの姿はマグダラのマリアの絵を思わせる。最後の場面はひときわ美しく感動的。あらためてチェーホフが残したこの作品の良さを認識させられた。ワーニャの母親役は省略されている。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    国内外の優れた既成戯曲にフォーカスして公演を行うハツビロコウ
    前々回に続きチェーホフの戯曲
    このところ連続して観劇、安定のクオリティを示してくれているが、今日も十分満足のいく初日だった
    キャスト全員の表情が良い
    主役級以外ではマリーナの深町麻子も渋い演技だった
    相変わらず暗めの照明がチェーホフの世界に合っている
    最小限だが的確に作られたセット
    舞台転換は暗転の間にそのテーブルや椅子を動かすだけなのだが、その時流されるギター曲が実にマッチしている
    ちなみに最後のソーニャの宗教的セリフにかぶされたのはフォーレのレクイエムのギター演奏だった

このページのQRコードです。

拡大