実演鑑賞
満足度★★★★★
「かもめ」そして本作とチェーホフ作品も見事に噛み砕いて舞台化させた。イプセン作品も然りだがこのユニットが描くと「どういう話か」がよく判る。ハツビロコウの解釈による作品の要諦が明確なのだろう。ワーニャの「苛立ち」と「絶望」は犬も食わない男やもめの愚痴と捨て置かれるようなものだ。現代にだって履いて捨てる程ある。
だが彼はその情熱を妹の旦那の学問的成功へ、遠方(地方)から家計(モスクワに住む教授夫妻)を支える事を通じて注いだ。その若き日の情熱が純粋であったゆえに?今の絶望がある、とすれば彼にはまだ誇れるものがあると私達には見えたりもするのであるが・・。
再出発するには遅いワーニャの窮地に、彼の姪である教授夫妻の娘は自分の実らぬ恋を重ね合わせ、生きて行くしかない、我慢して生きるしかないと慰める。天国に行けば神様が褒めて下さる・・と。彼は何を苛立ち、何故自分を嘆いているのか、もっと広い問いとして考えると、突き詰めた所に世の理不尽、現世的な成功と没落がある。劇の中に救いは、ない。
実演鑑賞
満足度★★★★
面白い、お薦め。今まで観た「ワーニャ伯父さん」の中では 一番印象的だ。
当時のロシアの田舎町の閉塞と停滞感、そこへ都会暮らしの年老いた元大学教授夫妻が滞在した日々の出来事、それを きわめて現代的な問題・話題と絡めて描く。120年以上前の戯曲とは思えないような問題意識、そして濃密な会話。何となく時代・社会から取り残された人々、その苦悩と諦念が切々と伝わる力作。
薄暗く重苦しい雰囲気が停滞感を漂わせ、その中で俳優陣の迫真ある演技が繰り広げられる。ラスト、ソーニャがワーニャ伯父さんに どんなに過酷な状況下でも<生きていかなくちゃ>と静かに語り掛ける場面は絶賛もの。舞台で発する<言葉>の重み、それが心魂を震わす。この公演の魅力…まず 場面毎が夫々独立しているようで、描きたい事がはっきりしている。次に人物の立場と心情がよく表れており、例えば セレブリャコフが皆を集めて話す場面では、人の立ち座る場所で気持(心)の距離感が観てとれる。その美意識ともいえる構図が凄い。戯曲の面白さを十分に引き出した演出と演技、観応え十分。
(上演時間1時間55分 途中休憩なし) 追記予定
実演鑑賞
満足度★★★★★
「世の中は庶民の我慢で回ってる」という普遍的な事実を突きつけられた。
ラスト、ワーニャ伯父さんに語りかけるソーニャの言葉にボロ泣きする。
世間知らずのインテリ教授には死んでも解るまい、
この「誰かを信じて支える」という崇高な愚直さよ。
実演鑑賞
満足度★★★★★
とてもよかったです。作品そのものは何回かいろいろな団体さんで拝見していますが。違いますねえ。内容は知っているのに新鮮な気持ちで拝見できました。さすがです。時間も長めかと思いましたが気にならず見られました。役者の皆さんの力量ですね。三姉妹も期待してますね
実演鑑賞
満足度★★★★
コンパクトな舞台で繰り広げられる濃厚な会話劇。この演目2度目の観劇なので、今回はセリフをじっくり楽しむことができた。100年以上前の戯曲なのだが、人間模様は今と全然変わってない。自虐的昼メロの世界ですな。
実演鑑賞
満足度★★★★★
俳優たちの演技に加え、演出がすばらしい。いつもの暗い照明、田舎の夜の虫の鳴き声、静かなギター音楽が静謐な雰囲気を醸す。ろうそくの火の前に座ったソーニャの姿はマグダラのマリアの絵を思わせる。最後の場面はひときわ美しく感動的。あらためてチェーホフが残したこの作品の良さを認識させられた。ワーニャの母親役は省略されている。
実演鑑賞
満足度★★★★★
国内外の優れた既成戯曲にフォーカスして公演を行うハツビロコウ
前々回に続きチェーホフの戯曲
このところ連続して観劇、安定のクオリティを示してくれているが、今日も十分満足のいく初日だった
キャスト全員の表情が良い
主役級以外ではマリーナの深町麻子も渋い演技だった
相変わらず暗めの照明がチェーホフの世界に合っている
最小限だが的確に作られたセット
舞台転換は暗転の間にそのテーブルや椅子を動かすだけなのだが、その時流されるギター曲が実にマッチしている
ちなみに最後のソーニャの宗教的セリフにかぶされたのはフォーレのレクイエムのギター演奏だった