満足度★★★★
楽しい=魅力的
テーマは1本なんだろうけど、エピソードやセリフの隅々に
たくさんの実がなっていて楽しかった。
後半少し重くなってきたのがきつかったけど、
中央の照明がきれいだったし、伏線がわかったときの満足感があったし、
大好きな劇中歌がたくさん入ってるし(ダンスはなかったけど)
かぶった袋とかツイッターとかラブプラス(これはさっぱりわからない)とか
いつものてんこもりなのにすっきり感があった。
満足度★★★
演フェス、このレベルからの作品を望む。
中央に箱。四方を客席と挑戦的な舞台にしている。
出番のない役者は舞台端で紙袋をかぶり座ってる。
中央の大きな箱からは小さな箱も分割で現れるようになっている。
この全てがちゃんと効果的に使われている。
最初の冒険部のくだりは長く感じたしつまらないくすぐりも多くて不安に感じたが、その後は一つ一つのエピソードがきちんと積み上げられていたし、意味のあるものだった。
舞台の中(明りの当たるところ)と外(明りの当らないところ)の動きも考えられていてよかったと思う。
小さなマイナス点は、役者の演技があまり上手くなかったこと。
大きなマイナス点は、ラストがその後を暗示するだけに終わってしまったこと。
作者が自分なりの答えを示すことができていれば傑作になったと思う。
この劇団で観た作品中で一番おもしろかった。
満足度★★★
シュレーディンガーの猫は病気だ
いわゆる「セカイ系」の物語が、いかにゼロ年代のサブカルチャーを席巻していたか、それを今この瞬間のガジェットを積み重ね、それらに共通している現代人の逼塞した自意識を浮き彫りにしようとする意欲作。
ものすごくおおざっぱに言ってしまえば、「誰も彼もみんな自分の狭いセカイの中だけで充足しちゃってていいの?」という問いかけだ。実際にラブプラスにハマり、Twitterにハマり、虚構世界をリアルと錯覚したまま自分が「魍魎の匣」の中にいることに無自覚な人間たちには、この物語は痛烈な皮肉となって映る……はずなのだが、どうも観客の反応を観ていると、揶揄されているのが自分たち自身なのだということに気がついていないようにも見える。
「匣の中に自意識を閉じ込めた自分をいかに肯定するか」、物語はそこまでを描いてはいるが、「果たして我々は匣の外に出て行けるのか」、その先の展開は暗示のみで終わる。そこがこの物語の最大の弱点で、表層的にしか物語を捉えきれなかった観客が少なくなかったようなのも、この「落ちの弱さ」に起因していたのではないだろうか。
満足度★★
どこか半身に構えてるような
楽しめるところもあるにはあるが、けっこうつらい舞台だった。
作品としての完成度を高めるためには、もっと工夫の余地がある。
感想の詳細は、次を参照してください。
http://f-e-now.ciao.jp/20110504.html
満足度★★★
意識されたホールの活用
多面的に演じることが必要な円形的な舞台。紙袋をかぶることで、声が届かないところもあるが、違和感は少ない。
期待通りに、遊んだ部分とシリアスな部分をあわせた作品になっていた。