ガラスの破片が乱反射する透明な時間
フラジャイルな男女の距離感。都市の終末感。生きながらえながらもあらがえない喪失感。それらを、思春期な感性ではなく、大人の孤独感で切り取ったガラスのような断片。今の自分には重なりすぎてグサグサ来た。俳優は、抑制した演劇で言葉と肉体を繊細に扱い、詩的な台詞なのにまるで呼吸するように吐くのが良かった。行って良かった。
満足度★★★★
硬質なガラスの欠片。
初日観劇。
入場すると座布団を渡され「全席桟敷です。お好きな場所でご覧ください」と言われる。
言われてみてもどこが舞台でどこが客席やら皆目見当がつかず、うろうろとしてみながら無難そうなあたりに腰を下ろす。
腰を落ち着けてみると、立っていても高い二階吹き抜けの空間がおそろしく高く感じる。
ここで既に観客(私)はreset-Nの生み出す空間の魔術に掛かってしまっている。
今回は、reset-Nの作り上げてきたいくつかの特徴的で印象的な断片を折り重ねて提示されたような印象。
絶望をめぐるスラップスティック 。
「スラップスティック」は「体を張ったどたばた喜劇」のことである。
だが、大概のスラップスティックコメディでは、演じている側にとっては深刻なトラブルなり、ディスコミュニケーションなりが発生している状況を観ている側が外から眺めて大笑いしているのだ。
「観客であることの安堵」そのことに気づかされるスラップスティックはきわめて切ない。
「初めてのreset-N」なお客様にとてもお勧めかもしれない。
もちろん初めてでない私にも十分に面白く、示唆にとんだ作品であった。
どうにかスケジュールをやりくりしてもう一度観に行こうと思う。
今度はまったく無難じゃない観客席で、観たことのない視野を探しに。
満足度★★★★
『視野』という『空間』
会場はフラット。
椅子はなく、観客は座布団を受け取り好きな場所に陣取る。
このスタイルが、大変興味深かった。
ドリンク付きなのでビール片手によっこら。
音楽と照明が心地よい。
『見上げる』演劇であった。
夢と現の境を生み出すようなreset-Nの作品世界(だと、自分は思っているのだが)。
舞台の境界と椅子の高さが無くなった時、空間全体が世界になり、その中に自分達がいる。
なんだか、水中にとぷんと沈み、水面を見上げているようである。
天井が高く、芝居の最中も天井部がよく見えるのだが、見上げてみるとそれがまた美しい。
こういう作品だと、余所見しても面白いのである。
(途中でビール買いに立ちたかったけど、ちょっとそれはしづらい雰囲気でした)
さて、今書いているのは俗に言う「セットが素敵だった」というようなことでは決してない。
この作品は外から『観る』のではなく肌で『感じる』ものなのだ。
舞台に映し出される世界を傍観するのではなく、その世界に入る、一部となる。
彼らは、そんな空間を創り出した。
今回は、椅子をとっぱらった時点で、彼等の勝ちである。
これ、一座でも参考にしたいなあ。
終演後にパンフを読んだのだが、主催の夏井さんのひと言。
「これが演劇です」
なるほど。
行き返りに渡る吾妻橋が、またなんともいい効果でした。
ほら、あの、神社にお参りに行くような感じね。
隅田川を眼下に橋を渡り
ふたたび、日常へ。