パラレル 公演情報 パラレル」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.0
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  • 満足度★★★

    演劇のカラクリを弄ぶ。
    ここはどこ。わたしはだれ。というアイデンティティの喪失に対し、演じる役と演じる場所を与え、緻密な会話によって実験が施される意欲作。
    キーワードはサイコキラーとドッペルゲンガー。

    ネタバレBOX

    暗闇の中、ヴーンヴーンと鈍いモーター音が鳴り響き、ドンドンタンタン、と何かを地面に激しく打ちつける音がした後に舞台がパッと明るくなった。
    そこは白い壁に囲まれた精神病棟の一室でパジャマを着た男と刑事の女がひとり。
    刑事はオダハルキの婚約者とオダハルキの家族もろとも惨殺した男の逮捕状を取るためここに来た。現場には残された証拠と、犯行現場の目撃証言があり、あとは男が自供するだけでよかったのだがなかなか口を割らないため、頭をかかえていた。そこに彼を担当する医師、ドクターゴトー(ドクターコトーをモジッたフザケタ名前)がやってきて彼、オダハルキは自分の名前すら記憶できない重度の記憶障害を患っているため、何を言っても無駄なこと、逮捕しても精神鑑定にひっかかり無罪になるため無駄足であることを聞かされる。そしてゴトーは「アナタモ、マイゴデスネ・・・」と意味深なセリフを残し去っていく。

    それでも何度も病室に足を運び、犯行を自供するよう粘り強く取り調べを行う刑事に対してゴトーはオダハルキを追い詰めぬよう要請し、またもや「アナタ、マタ、マイゴ二ナッテマスネ・・・?」と、不気味な笑みを零しながらぽつり呟く…。

    ここで言うところのマイゴとは、役を演じる事に対して戸惑いを覚え、演じる意識が不鮮明になっていくことを意味しており、取り調べを行う場面がしつこく何度も繰り返されるのは舞台に立つ限り刑事役を演じ続けなければならないという演劇的ルールを意識下に擦り込ませ、「こんな退屈な芝居に出るのはもうウンザリ!」という本音とも嘘ともつかないセリフを刑事に舞台袖で吐かせることを目的とした、気味の悪い複線なのだ。
    そして、コレを待っていました!とばかりに「あなたは台本通りに演じる素晴らしい役者です!」と絶賛するゴドーの言葉は、台本通りに演じることと演じていない素の自分を揺さぶる罠のようなもので、この悪質な催眠術のように手の込んだある種のソフトな拷問にも似た作業によって混乱し、すっかり疲れ果てている間に罪の意識がすり変わり、容疑者との立場が逆転すると刑事の口からは一切セリフが出て来ず、オダハルキにセリフを教えてもらうしかなくなるのである。
    それでいよいよ追いつめられた刑事は無断で舞台を降りるという、台本と異なる行動をしようとすると今度は、”照明さん”が怒ってしまい、ちゃんと照らすことを拒否した”照明さん”が舞台の天井でぐにゃぐにゃに揺れる…。
    それもこれも台本の一部であることをゴトーはあっさり種明かししてしまうと
    『パラレル』の戯曲の台本を貼り付けた本日付の新聞紙をぐしゃぐしゃに丸めて捨ててしまう。
    台本がゴミになったのを見届けた刑事は自分は女優で、女優は舞台の上でしか本当に生きられないことを確信し、これからもそのような人生を演じていくことを決意したものの時はすでに遅し。この日は楽日で自分はもう舞台の上にはいられないことを知ったのだった。

    一方オダハルキは終盤、すべての記憶を取り戻し自分が真犯人であることをうわずりながら嬉しそうに告白し、冒頭の取り調べ室の席に戻った彼の背後にはメラメラと燃える炎と、ナンバーガールのNUM-AMI-DABUTZが爆音で鳴り響く…。

    全体的に静かに調子の狂った作品で、冒頭の鋭いモーター音はミヒャエル・ハネケのファニーゲームを彷彿とさせる見せない怖さがあった。
    同じ場面が繰り返される退屈な事情聴取が、中盤からラストにかけての台本の定義や俳優の存在意義を揺るがし、演劇のカラクリを弄ぶ場面にまでに発展するとは思いもしなかったのでかなり驚いたが、派手な音響を一切使わずに、俳優の演技力のみで構成される心理的な駆け引きは物語のなかで最も優れている箇所だった。
    また、照明さんが怒るシーンは印象深く、役名のゴトーという名前についてはゴドー(神)を模していることも明確であった。
    ただひとつ残念だったのは舞台美術。きっと全体的に白い空間にしたかったのだろうけど物理的に困難だったのだろうなぁ、という印象が残ってしまった。

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