ハコブネ【作・演出 松井周(サンプル)】 公演情報 ハコブネ【作・演出 松井周(サンプル)】」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 5.0
1-2件 / 2件中
  • 過剰な毒
    人間模様を毒気たっぷりにサンプリングする松井周の作品。今回は工場の単純作業に従事する人々がそのターゲットだった。
    北九州芸術劇場プロデュース公演ということで、いつものサンプルの作品に比べると、古舘・古屋が出演しているとはいえ、出演者の演技面ではイマイチな感じがあった。

    ネタバレBOX

    舞台の奥には積み上げられたコンテナ。工場の作業時間にはローラ-式のコンベヤーが舞台中央に設置される。
    仕事の具体的な内容は不明。コンベヤーをひたすら往復するダンボール箱の動きが作業の単調さを強調する。
    舞台装置を見ているうちに、ヨーロッパ企画が上演した芝居「火星の倉庫」や「インテル入ってる」を思い出した。どちらもSF的な設定ではあるが、単純な肉体労働に従事する若者たちの姿をコミカルに描いたものだった。

    単純な肉体労働がつまらないことは誰だってわかっている。それをトホホな感じでコミカルに描くか、みじめな状態として皮肉をこめて描くかは、作り手の資質・気質の違いによるところが大きいのだろう。
    政治権力とかカルト宗教といった大きな力を持つ存在に対しては、風刺や戯画化という表現は有効だと思うが、単に工場の労働者の生態を描くのに、これほどの毒気や悪意は必要だろうかという疑問を感じた。
  • 満足度★★★★★

    痛快なるプロレタリア文学の転倒
    一言で言って、非常に面白く興味深いものであった。

    松井周さんのブログに行くと、影響を受けた作家の一番に「楳図かずお」さんの名前があり、ああ、やっぱりというような感慨もある。伏線の回収にこだわらず、また筋立てが良い意味で野蛮だ。

    ネタバレBOX

    松井さんご本人が映画芸術のサイトのインタビューで、確率論について触れていたが、前半の確率的に高い筋立てで進む部分は、丁寧で、ああ、静かな演劇眠くなるぜという感じであったが、途中から、システムの暴走が始まり、確率論的に低いことが起こり続ける。ここは大変エキサイティングで、つまり、平均化されたものは確率論に回収されるが、一回性の人生は結局確率的にはありえないようなことの連続であり、それこそ「事実は小説よりも奇なり」なのである。その事実がそこにあった。

    なによりもその確率論や事実をうそくさくしていないものは、人間を見据える力、裸の王様を告発できる力ではないだろうか。僕はありきたりになりそうな芝居を見るといつも、ひやひやする。どう裏切るのだろう。結局裏切らないのか?と。

    で、今回の芝居、前半で長く、工場労働者と厳しく理不尽な工場の監督の関係が描かれ、途中、工場労働者の反乱が起こる。ここで、ええ、ああ?まさかプロレタリア文学か?(「蟹工船」を下敷きにしているのは後で知った)というような気分になるが、いやいや、そこで終わらぬだろう・・・と見続けると、痛快な出来事に出会った。どうとは書かない。見に行っていただきたい。そして僕はこの人間の描き方だけで、松井周さんが信頼できる。ありきたりなプロレタリア文学を望む世間に対して、いやいや、どちらかが明確な悪なんてそんな簡単な世界ではないでしょう、俺たちのいる世界は。と、ちゃんと正論を言っている。

    ちなみに脱線になるが、若き日の太宰治がプロレタリア文学を目指しながら大成しなかった理由として、編集者たちから売れ筋の定番として求められた筋立て「かわいそうな労働者VS理不尽で傲慢なブルジョアジー」という図式を明確に描けなかったことがあると思う。彼はブルジョアジーの出身だから実地に、そのかわいそうな労働者VS理不尽な権力者という構造が嘘だということを見ているから、たとえ売れるためといえども嘘を書けなかった。結果として、プロレタリア文学の顔をした怪奇文学となり、評価されない。正直者の不幸が彼を傷つけた。

    同じように僕らは売れるために嘘をつきたくなるが、そんなことあるわけないだろうとちゃんと言う、それは表現者としてはあたりまえと思うだろうが、現実にはなかなか難しいと感じる。それを松井さんはやっていた。売れることと、ちゃんと言うことを両立させるのは偉いことだ。

    というわけで、松井周氏作演出「ハコブネ」は確率論として低い事実を描きながら、しかし浮つかない本当の人間と社会構造が痛快な形で描かれている素敵な芝居であった。

    これが結論。お勧めします。

このページのQRコードです。

拡大