おるがん選集秋編 公演情報 おるがん選集秋編」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 4.0
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  • 満足度★★★★

    いかにも「文學」+ややトリッキー
    劇団員が選んだ文学作品を戯曲化するという試みで40~50分の中編2本立て。
    横光利一の「春は馬車に乗って」は病に伏した妻と看病する夫の二人芝居で、いかにも「文學」な感じ。そのちょっと古風な雰囲気がまた住宅街の中にあり周りは民家のみな上にここ自体もひたすら民家で木製の窓枠をはじめとしたツクリが昭和中期(?)な洋間というこの会場にピタリとマッチして…。
    しかし、夫が開け放った窓(←装置ではなくリアル)から外(←もちろんリアル)に出たり(そういえば「4の話」第2話にも窓から人が…なんて部分があったな)、その後に本物のアンコウ、エビ、アジが登場したりするとは誰が予想しえようか?
    そんな演出もありつつ、病気のためにわがままになっている妻を大きく包み込むような夫の姿が優しくてステキ。
    10分の休憩を挟んでの鷺沢萌の「痩せた背中」はややトリッキー。
    いくつかの時、いくつかの場所がシームレスに演じられるので最初はちょっと戸惑ったものの、そのシカケが見えてきてからは芝居というものの面白さあるいは脚本・演出の巧みさを堪能。
    実は最初に時空を飛び越えて亮司の部屋になった時はそれを飲み込めず戸惑い、しかし次の小学生時代の回想に移った時に「あぁ、そういうスタイルか」と納得。回想シーンの挟み方が本当に上手い。
    で、こちらにも食事場面に秋刀魚の塩焼きの実物が出てきて、その香りが美味そうだったなぁ…

  • 満足度★★★★

    よかったです
    座り心地は悪いが観る価値あり。

  • 満足度★★★★

    “観る読書会”のような雰囲気でした
    路地のさらに奥のほうにある隠れ家のような会場でした。JR駒込駅からは1本道ですが、路地で迷われた方が何人かいらっしゃったようなので、夜などは時間に余裕を持って行かれることをおすすめします。地図の説明にある「2つ目の十字路」がちょっとわかりにくく見過ごしてしまった人もいたので、要注意です。
    この辺り、お寺も多く、お屋敷町の西片町も近いので、一軒家レストランのような瀟洒な感じの建物を想像していたのですが、ごく普通の小さな家でした。
    最近、ギャラリーやカフェ、バーなどで上演する劇団がしばしばあるようですが、劇場とはまた違った雰囲気で、俳優の演技を間近でみることになり、新鮮です。特に今回のような文学作品を脚色上演するにはふさわしい会場で、終演後、上演台本が配布されるなど、ちょっとした「観る読書会」のような雰囲気でした。
    それぞれ好きな作品を主演女優が選び、詩森ろばが脚色している。

    ネタバレBOX

    『春は馬車に乗って』(横光利一原作)
    肺病を病み床に伏す妻(松本美路子)と看病しながら治療費のために意に染まぬ仕事をする作家の夫(浅倉洋介)。互いに言葉で傷付け合う2人の息詰まるような会話劇。夫の「物書き」特有の心情と、「死病に取りつかれた」妻の激情がぶつかり合う。やりきれない状況だが、夫が次々、妻の前に鮟鱇や海老や鯵などを取り出して見せる場面に笑いが起きた。物語の舞台は庭の松に亀、新鮮な魚などから、海辺の家で療養しているらしい。芝居上、実際に魚の生臭さが風に乗って部屋の中まで匂ってくる。夫が行きたいという「ミュンヘン」をめぐる夫婦の応酬が面白い。夫が最後に登場するスイートピーの花束に「春」が集約され、救いがある。
    『痩せた背中』(鷺沢萌原作)
    父の葬式で帰省した亮司(菅原直樹)を出迎えたのは幼馴染みの郁夫(浅倉洋介)と父の後妻で精神を病んでいる町子(小山待子)だった。
    亮司は恋人の敦子(石澤彩美)と会話しながら、過去の町子とも会話する。このあたりは演劇ならではの面白さだが、最初に敦子が部屋に入ってきたとき、郷里にいる女友達かと思ったり(実は亮司の下宿に訪ねてきた設定)、町子との時系列が観ていてよくわからなくなった。
    女癖の悪いオイサン(亮司の父)の帰りを待つ町子が寂しさを紛らわすために編み物を始め、やがて狂い、自殺未遂に至る様を見ていて、詩人の金子光晴と愛人大川内令子の関係をふと思い出した。そんな見方ができるのも、
    「読書」のような芝居だからかもしれない。
    オイサンが家に連れてくる女たちの中で、町子は唯一少年時代の亮司が好感を持った女性だった。継母というより、町子に異性を見ている。
    最後、「折鶴」をめぐる亮司と町子の会話にホロリとさせられる。血のつながらない2人がオイサンに思いを馳せ、心を寄せ合う場面だ。
    冒頭と終幕近くにしか出ない浅倉が、前作とは打って変わり、快活な青年を演じ、亮司との何気ないやり取りで笑わせる。
    鷺沢萌も最後は自殺してしまった。町子のようなもろさをもっていたのだろうか。若すぎる死だった。

    この催しで感じたのは、昔の邦画はこういう文学作品の掌編を1本映画にするという企画がけっこうあり、地味だが見ごたえがあって私は好きだった。現在の状況では、その役割は演劇がふさわしいのかもしれない。詩森ろばの活動に期待しよう。

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