溺れる家族 公演情報 溺れる家族」の観てきた!クチコミ一覧

満足度の平均 3.0
21-26件 / 26件中
  • 満足度

    今まで観てきたすべての芝居の中で、一番・・・
    私が今まで観てきたすべての芝居の中で、一番酷い芝居でした。

    高校演劇だって、これよりいいモノをやってるところはいっぱいある。
    タイニィアリスで久々に芝居を観たい、と思い赴いたのですが、ああ、本当に失敗だった。
    あらかじめどういう劇団か、どのような芝居をしてきたのかを調べなかった自分も悪いのですが。はじまって5分で帰ろうかと思いましたが、お金がもったいないのでなんとか2時間以上耐えました。

    舞台美術、は良かったと思います。役者たちの服に白いペンキを塗りたくっていたのはとても綺麗でした。暗転で床に張りめぐらされた蓄光シールが輝くのも素敵でした。でも、本当に役者たちがひどかった。演出がひどかった。
    私は平日割で2500円でしたが、よくあれで2500円取ろうと思えたなー。今回この芝居に携わった人たち、すごい無駄な時間を過ごしたのではないですか。

    芝居のテーマは普遍的ですが
    ありがちなものだけで構成されていた。
    語られつくされている話を、今更、なんのひねりもなくやられても。
    この芝居でやってたことは、世に五万とあるわけで。
    似たような芝居、あふれるほど他にあります。

    普遍の中に、人の心を打つようなものがないと金とれる芝居にはならないでしょう。

    この劇団、12回も公演やってこの程度なのか。もう二度と観ませんね。

    ネタバレBOX

    唯一、うつでニートの男と面倒見てる女(永池南津子さん)のやりとりは、よかった。あそこだけ観れるものだった。

    他は・・・ギャグで失笑買ってたし。よく客席から物が飛んでこなかったなあ。
  • 満足度

    もがく姿が輝かしいのではないでしょうか
    初めて見にいきました、アロッタファジャイナ。
    以前からよく名前を耳にしていたので楽しみに劇場に足を運びました。

    僕の、この劇団との出会いは、はっきり言って最悪でした。
    観劇の感想書くときってたいてい僕は良いと思ったことを書くようにしてますが、今回は無理です。相当口が悪くなっているので、この先読みたくない方はここまでで止めてください。
    僕はアロッタファジャイナの芝居を見るのは初めてです。
    たまたま今回、作風が肌に合わなかっただけかもしれません。
    あくまで、今回の『溺れる家族』に対する感想です。

    ネタバレBOX

    開演ぎりぎりの到着になってしまいそうだったので1分でも早く着こうとタクシーに乗り込み、なんとか劇場に着いたのが開演3分前。
    本当に迷惑な客で申し訳ないとは思いつつも、遅れ客は僕のほかにもいたようで、数分押して始まる芝居。
    ギリギリに到着してしまって、本当に申し訳ない。
    しかし、席に着くまでの間に、制作の客への対応でいささか不満な点があり(詳しく書くのは無粋なのでやめますが、簡単に言うと、3500円払ってるのに客として扱われなかったって事です。)若干不機嫌な状態で溶暗する舞台。

    いくら芝居前に不機嫌な状態でも、いい芝居が観られればそんな事は終演時には忘れちまいますからね。

    ところが、そうはいかなかった。

    芝居が進むごとに、僕の心の中の不機嫌は嫌悪感へと、苦痛へと、そして怒りを通り越した諦めへと変わりました。

    『溺れる家族』とあるように、この芝居にはいくつかの家族の像が登場します。

    家族の崩壊
    うつ
    DV
    セックス
    所得格差
    エリート
    家柄
    近親相姦
    略奪愛
    殺人

    そして、家族の再生

    そんな、現代社会の闇にするどく切り込み、人間そのものを描き出した作品





    とでもいえば耳障りがいいですね。

    僕は感じました。
    「現代社会の闇をニュースで見たんだけど、それを盛り込んだら面白いんじゃない?」

    ぐらいの感覚の、問題に対して踏み込んで考える真摯さが全くない作品だと。
    闇をあつかうなら闇に対して本気で向き合わないと何もならないと思うんです。
    人の痛みなんて、どんなに「分かるよ」って言ったって結局わかんないですよ、自分で経験したことじゃないと。
    そういう、人の痛みを単なる好奇心と知識だけで踏みにじっているように思えてならず、見ていて激しい嫌悪感を覚えました。

    社会の問題に、闇に面している登場人物たちの、
    台詞がまず浅い。
    ニュースや雑誌などでよく耳にするような台詞を吐く人物たちの言葉には、
    一切、その闇と苦闘し悶絶し、悩みぬく様子が見受けられない。
    「分かるよ」って簡単に人に言える人間の台詞にしか聞こえませんでした。

    そして、この脚本上の台詞の浅さを、役者陣がさらに浅く
    「分かるよ」と表現していることに絶望を感じました。
    人の心に届く台詞を話せていたのはほんのわずかの役者だけ。

    闇を扱う台詞って、それを発する時に「覚悟」するもんじゃないんですか、役者って。真摯に闇と向き合って、悩みぬくから役者なんじゃないんですか。
    人の痛みは本当の意味ではわからないもの。
    でも、そういったものを扱う時に、少しでも、少しでもその本質に近づこうと闘うからこそ、人は芝居を観て感動するんじゃないですか。

    ほとんどの役者が「分かるよ」って平気で言っているように思えてなりませんでした。人の痛みの千分の一もわからないかもしれない、けど、それを千分の二にでも、千分の三にでも出来るようにもがくからこそ役者は輝くのではないでしょうか。

    「あぁ、この闇ね、わかるよ」

    自分の想像のつく範囲の、千分の一の痛みを、実際の闇と同じ重さと思えちゃう役者の芝居なんてどれだけ薄っぺらいのでしょう。
    脚本上浅い台詞だったとしても、
    せめて、それを言葉に出す役者はもがいてくださいよ。
    「あなた、少しでももがきましたか?」って思ってしまう役者が大半でした。
    千分の一で止まらないでくださいよ。
    自分が闇を表現できてると思うなんてとんでもなくおこがましい行為ですよ。
    あなたは役者で、役じゃないんです、どんなにがんばっても。
    なら、最後までもがきましょうよ。
    簡単に「分かった」なんて言わないでくださいよ、せめて舞台上だけでも。
    自分の芝居が「かっこいい」とか「上手い」とか思って
    自分の芝居に自分で酔ったらそこでおしまいですよ。
    相手に影響与えるのが台詞でしょう。
    その場の空気を変え得るのが台詞でしょう。
    人の心を震わせるのが台詞でしょう。
    相手役を意識の片隅にも置かずに、
    自分の発する台詞に酔ってるだけじゃ
    客の心をゆさぶる事なんて夢のまた夢ですよ。

    本当に、台詞が心に届く場面が、片手で足りるほどしか無かったように思えます。
    残念でした。芝居を観てこんなに嫌な思いで帰ったのは久しぶりです。

    加えて言えば、前半の場面転換の多さには疑問を感じました。
    各エピソードのさわりをやって、その後深く切り込む、
    みたいな手法だったのですが、その度に場面転換があり、正直舞台でこれはないなと思いました。
    シーンがすぐに切り替えられる映像媒体ならば効果的でしょうけど、こんなに序盤で場面転換ばかり見せられてはまったく入り込めなかったです。
    映画でやればいいのに、なぜ舞台で、と思ってしまいます。

    ラストシーンの照明が、とてもキレイでした。普段照明とか全然気にしない方ですが、あれはキレイだったな。

    こんなに色々と書いてしまうのは久しぶりですが、どうしても譲りたくないことなんです、僕にとって。
  • 病を描くのは難しい
    病を扱おうとするなら、きっちりとした取材が求められると思う。
    鬱でも引きこもりでも、ごく身近な問題であるから、観客の中には、自身や親しい人間がそうした問題に苦しんでいる(いた)人がいてもおかしくない。
    そうした人を相手にして耐えうる内容だったかといえば、もろかったと思う。

    「時間が無い中で何を書くか」を模索するのはコントや喜劇の場合であって、こうした物語を作ろうとするなら、「書きたい内容のためにどのくらい時間や手間をかけなければならないか」をまず考えるのが、作り手の姿勢に思うけれど、厳しい見方だろうか。

    ネタバレBOX


    登場人物が多すぎ、そこでまずつまずいている気がした。

    父は銀行員になりたいという息子を指して「子供らしくない」というけれど、かくいう自分が銀行員なのだから、べつに不自然ではない。八百屋の親父と公務員志望の息子、とかいうなら分かるけど。

    秋葉原の事件で両親を殺されたという嘘にだまされ、しばらく家に泊めようとする(ここで「預かる」という言葉を使う。これも問題)友人が、次の場面では、家族の昔のアルバムなどを見せている。別の場面で引きこもりの人間に入れあげている(説得力不足)人間がするには、無神経すぎる。

    設定の上では家族や友人となっていても、台詞が設定を反映できていない。話を進めるために、人間が駒と化している。

    あと終盤に近づくにつれ、自己陶酔的な台詞が目立ったのがよく分からなかった。

    たかだか2、3時間の芝居で、病やストレスが解消するなら、それはスポンサーのうるさい映画やテレビでやればいいのであって、生身の人間が呼吸する舞台でやられては、癒しも救いもないように思う。
  • 20090725
    ン、)ノ

  • 刹那のシーンが醸成する全体像
    前半のランダムにも思えるシーンたちが
    お互いの色を深めあいながら
    これだけ大きな社会感や家族感へ導かれることに
    瞠目しました。
    重なり合う刹那から様々な現代のアスペクトが
    しなやかに浮かび上がってくる・・・。

    深く淡々としたラストシーンには
    切なくともしっかりとした広がりが生まれていたと思います。

    ネタバレBOX

    前半のシーンはまるで重ねられた写真をめくっていくよう・・・。
    いくつかのエピソードのかけらがランダムとすら思える順番で提示されていきます。

    客観的に眺めるいくつもの場面は
    シーンとしての時系列をそれぞれにもって
    次の場面へとつながっていく
    さまざまな様相が生まれ、
    いつしかシーン間が
    次第に絡まり合いながら
    物語の因果となって浮かんできます。

    シーンのつなぎや衣装の工夫が
    物語全体をしなやかに広げていく。
    その中で「格差」、「DV」、「心の病」などの
    概念の裏側に毛細血管のように入り込んだ
    登場人物たちの想いの流れや必然が
    生々しく伝わってきます。

    照明の美しさや、シーンの洗練のなかで
    個々のキャラクターを描く切っ先は
    あからさまに人々の心の内にあるものを
    観客にさらしていきます。
    良いとか悪いとかを言い立てるのではなく
    事実をしなやかに提示していく感じ。

    ステレオタイプには表現しえない
    生々しいいくつもの愛情の顛末が
    時には豊かに、あるいは痛々しいほどに伝わってきて。
    報われる愛もあれば
    満たされない想いを兄にぶつける妹や
    なにかがあふれるように
    妹に花瓶を振りかざす兄もいる。

    終盤で4人家族が同床異夢のなかでの食事をするシーンには
    ぞくっとするような冷徹さがあって・・・。

    観客側でかなり好き嫌いは生まれるかもしれませんが、
    私には、いろんなことを考えさせる深さをもった作品でありました。

  • みた。。
    長い。でもあの演技に慣れませんでした。

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