プルーフ/証明 公演情報 「プルーフ/証明」の観てきた!クチコミ一覧

★ 満足度の平均 ★ ★ ★ ★ ★ 4.2
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  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    ☆☆☆☆★

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    鑑賞日2022/03/10 (木) 14:00

    【B version "Music"team】
    、事前情報通り前々日に観た A version と演出(や装置)がガラリと変わり人物造形まで違う(たとえばコメディリリーフがAではロバートでBではクレアだとか)ことに「これが演劇の多様性というものか!」と感服すると同時に観た2つの version とさらに異なる C version も同時に稽古をつけていた谷さんに驚愕すると共に一人の演出家でさえこれだけ違うものが創れるのだから他の演出家だったらどうなるだろう?と思う。
    「4人の役者と最低限なら椅子とテーブルだけで上演できる」と谷さんもツイートしていらしたので、いろんな演出で観てみたいとも思った。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★★

    【A version "Hip"team】
    本作を観るのは通算で4回目となるが、15~20分の場を重ねるスピーディさに程よいスリルと笑い、さらに途中に休憩を挟むツクリなどによって2時間超の上演時間を感じさせない。そして第一幕・第二幕ともラストの切れ味が心地よく、やはり良くできた戯曲だな、と思う。そして今回は3つのバージョンでかなり演出が異なるようで「あの人はここの部分をどう表現するのだろう?」などと想像/期待しつつ観た。諸事情でCを見送ったのが悔やまれる。
    【補足】戯曲だけが良くできているのでなく、演出・演技も良かったのは言わずもかな。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    後で調べると本作はDULL-COLORで何度となく上演されている。2009年初演?では、今公演Bバージョン中田氏が出演(パンフに「オーディション以外にもこちらからオファーした人もいた」とあるのはこの人か..)。以前、風琴工房で詩森氏翻訳による本作を観ていて、今回2度目だ。その時は台詞に付いて行けない箇所があったのと、脚本の落とし所が若干気に食わなかった微かな記憶が..。Aバージョンの「プルーフ」を観ていてその原因が奈辺にあったかを思い出し、そして芝居は満足できるものだった。
    当パンの谷氏挨拶によればA~Cバージョンは「演出」が異なり、Bはガラステーブルのみの抽象空間、Cはリアル空間、Aは木製チェアと台と枯葉、とある。その線で言えば風琴のバージョンは洒落た抽象空間で演じられた「高踏遊民の話」とでも。さて今回の舞台は・・。

    数学者だった父とその娘の物語。他には娘の姉と、父の助手である青年が登場する。青年は父の生前一度娘と会っているが、今回対面し、改めて彼女を思う気持ちを芽生えさせている。父の才能を遺伝的に受け継いでいる娘は、精神の病をも受け継いでいるのではないかと恐れている。父の遺した膨大なノートを調べに自宅を訪れた青年に、彼女は徒労だと言う、「得るものは一つもない、私も見たから」と。父の死を聴いた姉も遠方から戻って来て、彼女にニューヨークに来ないかと勧めている。邸を売り払い、忌まわしい土地を離れるべきだと言う。姉は妹の父譲りの「異常」な性質を肉親として知っていて、医者に診てもらうのが最良だと考えている。まずこの姉との間に、娘は断絶を覚えている。さらに青年との間にも。娘の中では、数学の才能において助手の男との間に内的な葛藤がある。葬儀の夜、彼女は青年との間で悶着を起こすが、彼への疑惑が百八十度逆の答えとして返って来る。彼女は泣く。後日彼女は男の恋心に答え、その後ある「秘密」を男に告げる。家に籠っていた晩年の父が何か貴重な数学的着想を残していないかと期待に膨らんだ青年に、父の机の引き出しの鍵を渡してそこに入っているノートを取り出せと言う。姉もいるリビングに、暫くして男が血相を変えて飛び込んで来る。凄い発見がそこには書かれていると言う。彼女は、実はそれは自分が書いたものだと言う。父を看病する期間、合間を縫って数学的閃きを綴ったノートだと。姉はこれを妹の虚栄心の表れ、又は数学の道を諦めない往生際の悪さ、姉に同道してニューヨークに行かない口実、といった意味に取り、最初から疑惑の目をギラギラと向ける。一方青年は、年端も行かない女の子だった頃を知っており、今もまだ女学生の年齢である彼女が、数学の才能を持ち合わせている事などあり得ないと考えている。自らは天才的閃きを持たなくとも、天才の業績の評価眼は持っていると自負する彼は、尊敬する亡き師の全盛期に匹敵する数学的発見がここには書かれてあり、君にはとても出来ない事だと告げる。
    後日談は省くが、ここにはその数学的な発見が一体何であるかは一切書かれていない。以前観た「PLOOF」に対する不満はそこにあった事をぼんやりと思い出す。だがこの物語のテーマは、真実はどこにあるか、ではなく、実証しえない物を巡る人間の態度のあり方について、である。言わば「信頼」に関する寓話。
    ただし、「芝居」は要求する。役者が具現する数学者らしい振る舞い、若き日に開花した頭脳との折り合いに失敗し精神を破壊した者らしい姿、またその内的生活の姿、そして数学に取りつかれそこに美を見出す至福を知る者だけが持ち得る、共感の表出である。これに迫るのは役者の仕事であって、この脚本の舞台に満足できるか否かがそこにある、そういう種類の作品に思える。Aバージョンを演じた役者諸氏に、敬意を表する。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★

    鑑賞日2022/03/05 (土) 18:00

    B version を観劇。同劇団でも他の団体でも何度か上演してる戯曲。(2分押し)58分(休憩10分)60分。
     中田顕史郎最後のロバートということだが、確かに迫力があった。残念だが、1幕のキャサリンとハルに「数学をやっている」知性がやや感じられずに、乗れなかった。2幕ではそうでもなかったので、何でだろうと思う。

  • 実演鑑賞

    満足度★★★★

    お話は『ある数学の論文を書いたのは誰か』なのだが、「数学の論文」を「小説」に置き換えてもストーリーはそのまま成り立つ。原作者の経歴を見ても数学や自然科学とは無縁であって、おそらく何かの折に「証明を書いたのが誰かを証明する」という言葉の面白さに気が付いたのだろう。そしてそこから精神が崩壊した父と自分にもそれが起こることに怯える娘という設定に進むのだが、それはステレオタイプの偏見ではないだろうか。60分+10分休憩+60分

    そういうわけであらすじ的には感心しないが、数学とは関係ないサイドストーリーの集合としての家族の物語はそれなりに面白い。さらに今回は舞台装置までも全く異なる3つのバージョンが用意されていて演劇のテクニカルな面でも楽しめることになっている。
    Aチーム:身内で固めてコントロール。
    Bチーム:未知の若手二人に中堅とベテラン。
    Cチーム:実力者で固めて任せる。
    俳優は基本的にオーディションで選考されているが、父は3人とも一本釣りである。

    今回私はBチームを選んだ。
    <Bチーム=娘:伊藤麗、恋人:阿久津京介、姉:原田樹里、父:中田顕史郎>
    冒頭、娘が舞台にチョークで大きな円を描き、その後ずっとそこからは出ない。精神的にも肉体的にも身動きがとれない状況を表しているのだろう。その結果、薄暗がりの舞台上で着替えをすることになる。まあ上着くらいなので期待しないように。…いや待てよ、主宰のサービス精神を考えると原因と結果が逆なのかも。

    伊藤さんは不機嫌で面倒くさい少女(から脱していない25歳)をストレートに表現していた。王子様に出会ってパッと花開く変化が極端な気もするが舞台的ではある。
    阿久津さんは軽目の頼りないキャラ設定をうまく表現していた。難しい理論が理解できるかちょっと心配になったけれども(笑)。
    原田さんは写真ではおっとりした普通の人に見えるのだが舞台では100倍映えて美しい。そして厳しく少し面倒くさい姉に変身する。
    中田さんはやりたい放題で中田節を期待して来た人(含私)は満喫できるだろう。

    *後日修正:落ちついて見直して星を4つに増やした。

    ネタバレBOX

    数学の雰囲気が希薄で、失望して否定的な感想を書いたが、原作の評価は高いので見直さないといけないと思っていた。そのため映画版を見始めたのだがキャサリンに加えて姉もガミガミとうるさくストレスが溜まるので何度もストップしながら漸く最後までたどり着いた。

    映画版がBチーム演劇版と違うのはキャサリンが実際に数学の研究をしている場面があることだ。父からアドバイスを受けるところもあって数学オタクはうんうんと頷くことだろう。キャサリンが冷蔵庫から瓶を取り出そうとした瞬間にひらめく場面も雰囲気作りに貢献している。これはどんどん場面を変えて細かなところまで描くことができる映画の利点である。ただし映画版はいろいろ場面を変えすぎて散漫な感じもする。

    キャサリンがその論文を書いたということは、実は幼い頃から「巨人の星」のように父娘でハードワークをこなしていたとかがあるとすっと入り込めたのだが、映画版にしても短時間のひらめきで証明ができたように描いているのは数学を含む自然科学を舐めているとしか思えない。自然科学は過去からの積み重ねの上に新しい理論が発展して行くことが小説とか戯曲とかとは違っている(*)。沢山の地道な努力の末にひらめきが起こるのである。補助線を一本引いたらたちまち大発見というのを「美しい証明」とか考えているなら冷静に思い直してほしいものだ。もっとも、そういう点を現実的に描けば退屈な話になるので仕方がないことではある。Bチーム演劇版では年齢を下げているので更に現実味がなくなっているのが私の最大の不満の原因ではないかと思う。

    映画版では父はアンソニー・ホプキンスが演じる。レクター博士のときとは全然違って普通の人であり、中田さんの方がずっと狂っていた。

    ところで映画の邦題は「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」となっていて、何だかふわっとしているが内容的にはその方が合っている。やはりこの劇は数学の話ではなく、人生に迷った若者の発見と再生の物語なのだ。

    (*)現在の生活の状況はすべて過去の積み重ねの上にあるので、小説や戯曲においては生きていることがそのまま過去を勉強していることになる。そういう意味では同じことではある。まあこの辺は何とでも言えるので深入りしない。

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