満足度★★★★★
今更ですが
観てきたというより、出演してきました。
私のデビュー作品です。
美輪明宏さん始め、様々な方から学ばせていただきました。
すごく思い入れのある作品であり、ル・テアトル銀座は
上京したばかりの頃の青春の場所です。
満足度★★★
歴史はみんなウソ
急遽銀座ル・テアトルで行われている毛皮のマリー観劇。
770ほどある席が物の見事に埋まっている壮観な客席を最後方の席から堪能~
「7月の芝居はこの人数がそのまま来てもらえば充分なんだけどな~」などと全く違うことを思いながら本ベル。ところが本ベルで携帯のことを喚起しているのはよいとして、「咳」のことも喚起。
おう、豚インフルエンザ!
そう言えばここは人が集まるところ。770人がある意味狭いところに数時間密集するところ。それは劇場。猛烈に咳をされると一人パンデミックをおこす方がいるのもわからんでもないですなぁ~
と言うことで観劇。
毛皮のマリは一幕五場の戯曲なのですが三場終了後休憩がある構成。と言ってもここまでで55分なんですがね。休憩15分入れて5場までで2時間。通常この時間配分では休憩を入れないのが常。まずそこが疑問でしたが色々思うところがあり一人で納得。
私がこの芝居に出演したのは95年。今から14年前。ドイツ人の演出家でしたがその後の再演は演出が美輪さんになりました。8年ほど前に及川ミッチーでパルコで上演されたマリーを見たのですがいやはや完璧に近い出来でした。
さて今回。
詰め込みすぎですね。演出としては言いたことはわかりましたが物や思想を出し過ぎていて、しかもそれらが洋の東西を飛び越えてきますので演出の真意もそれと共に見えてしまうことになります。そうなると「混沌」がキーワードになり、そこから何を見せるのかという演出もありになります。
しかし
その演出方法がこの観客層に向くのか?.......疑問ですね。
五場の解釈に関しては8年前の方が良かったように思います。やはり欣也は単純に出ていくべきで、マリーの思いで戻ってきた欣也は幻影と見るべきだと思います。その幻影に化粧を施し、綺麗に衣装を着せて着飾っていくマリーがただのおかまから母性そのものになり、人生の鬼との鬼ごっこを暗喩するじゃんけんで終わるのはとても良かったんですけどね。そこからこの演出までに何があったんでしょうか~~
そんな思いをおくびも出さずその後楽屋にご挨拶に行きました。
相変わらずマッチョな菊池さん。
相変わらず飄々としている麿さん。
初めて直接挨拶させて頂きました若松さん。
たまにあってもいつでも先輩面の日野さん。
パルコの祖父江さんにオフィスミワの國井さんと高谷さん。
フランスパン工房と全く同じフォルムの美輪さん。
いやはや、ここは動物園ですか~珍獣猛獣の宝庫です~
そんな動物園-銀座ル・テアトルを出ても世の中は「雨」でした。
「雨はお嫌いで?」
14年前に私がやった役の最初の台詞です。何百回稽古したことでしょうね~
さてさてそれもこれも過去。マリー風に言えば「歴史はみんなウソ、去ってゆくものはみんなウソ、あした来る鬼だけが、ホント!」ということでしょうか!
そんなこんなでGWが終わっていきました~
満足度★★★
衰えたり
時代の移りは残酷です。どんなに光り輝く金銀ふりまき、照明に明々と照らされても、、何もなかった時代に燃える向上心と世界を独り占めする愛情や自負心は影も形もなく、薄汚れた世俗と独りよがりな世界観や来世妄念にまみれた老残があるばかり。あの時代の腹のそこに響いたせりふは、今は上滑りでだれに向かっているのか、天に向かって述べる台詞は、天から降ってきて、舞台の上で空回りするばかり。天に唾する仕儀と成り果てた。地平線を描いた若松。倒れこみこそなかったが年を感じさせない麿さんの姿勢のよさはさすがです。古典として時代を超え切れなかった典型で時代認識がずれ始めてるということでしょうか?今マリーさんはどこに行ってるんでしょうね。ちょっと哀しい。家賃払えてないでしょ。