公演情報
「ジュリアス・シーザー」の観てきた!クチコミ一覧
実演鑑賞
満足度★★★★
鑑賞日2021/10/27 (水) 18:00
最後感動&鳥肌出て泣きそうになった。二人の演説もカッコよかった。
吉田羊さん、シルビアさんは期待通り!
松井玲奈さんが超すごくてビックリでした!
実演鑑賞
満足度★★★★
all male ならぬ all female のシェークスピア劇。それって宝塚では?と調べてみると2006年にロック・オペラ 『暁(あかつき)のローマ』- 「ジュリアス・シーザー」より -が上演されていた。しかし“シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」を原作にして、ポップな音楽をちりばめたロック・ミュージカルをお届けします。”とあるようにあちらはやはり音楽劇になるのであった。
開幕するとシーザーを真ん中に全員の行進である。シルビア・グラブさん、こういう重厚な役がぴったりだ。観ているこちらもテンションが上がり、この先の展開を期待させる。
いやあしかし、セリフが多い。しかも前半では早口のキャシアス(松本紀保)に対してゆっくり目のブルータス(吉田羊)という対比を付けて、決断を迫るキャシアスと悩むブルータスを表している。そして意思を固めるにつれてブルータスも早口になって当然の演出とは思うものの老人の耳には辛さが増して行く。セリフを追うのに疲れて2時間20分休憩なしが3時間以上に感じた。
何か物足りないのは女優さんが正統派の方ばかりだからだろう。引っ搔き回す人がいない。唯一、異質だったのは外出をやめると言うシーザーを翻意させるディーシアス(智順)である。おっさんがおっさんを説得するのだがここでは若い娘がおっさんをたぶらかすようなウキウキ感を出していた。こういう気分転換をもっと入れないと単調な舞台装置もあって飽きてしまう。1953年の映画ではデボラ・カー演じるポーシャの登場シーンが息をのむくらい美しい。むさ苦しい男ばかりのところに突然美女が現れるから効果的だが、女優さんばかりの本舞台ではそうも行かない。ここはall femaleの弱点かも知れない。また戦闘シーンがカットされていることもあって後半は盛り上がらない。本当はアントニー・オクティヴィアス軍もブルータス・キャシアス軍も互角の大軍なのだがこの舞台では最初からブルータスは落ち武者のようだ。
アントニー役の松井玲奈さん、見事なせりふ回しで光っていた。やや喉を傷めているような声であったが、それが却って説得力となっていた。
実演鑑賞
満足度★★★★
シェイクスピア歴史劇らしい堂々とした朗誦セリフが耳に心地よい。吉田羊のブルータスの融通の効かない正義漢ぶりと、松本紀保のキャシアスの弱さと可愛さを醸す人情家ぶりが対照的である。特に二人が戦場のテントで諍う場面。
そうは言っても1番の見どころはやはりアントーニオ(松井玲奈)の「ブルータスは公明正大の人である」とクリア返して、次第に人身を反ブルータスに導く演説場面。最後の決め手として、シーザーが遺産分配を遺言していたと話が、民衆の歓心を買うためのばらまき政治はここにもあったかと感心した。
女性だけでどうなるかといと、男のようにギラギラしたり派手に激高したりということがない。けんかしても比較的落ち着いている。まあそういう演出のせいもあるだろうが、美しい、整然とした舞台という印象。
シェークスピアには珍しく、寄り道や副筋がほとんどなく、シーザー暗殺からブルータスの死まで一直線。もともとそういう戯曲である。テキストレジーでブルータス邸の謀議を縮めたり、フィリッポの戦いで敗れる最後の5幕を大胆に圧縮したので、それがいっそうきわだった。そのなかで、ブルータスの小姓ルーシアス(高丸えみり)が笛をふき居眠りする場面は、ホッと息が付いた。すぐシーザーの亡霊が出てくるのではあるが。
ブルータスの最初のセリフにヒントを得た、くすんだ鏡をいくつも組み合わせた背景装置が示唆的。2時間15分のコンパクトに収めた演出も良かった。
実演鑑賞
満足度★★★★★
オール女性キャストと言う大胆で意欲的な「ジュリアス・シーザー」である。今までにない新鮮さで、本年屈指の舞台になっている。シェイクスピアの意図を現代に通じる舞台に形象化した森新太郎(演出)の会心作である。
見る前はこの芝居を女性でやるのは無謀だと思っていた。それが見事にに裏切られた。
主要な登場人物、ジュリアス・シーザー(シルビア・グラブ)もブルータス(吉田羊)も、アントニー(松井玲奈)もキャシアス(松本紀保)もみな、野望と信義の中で権力の座を目指すギラギラした「男」である。それをオール女性キャストでやる。タカラヅカの亜流になるのではないか、今、現実に男が支配している権力構造のドラマが浮いてしまうのではないか、男ならではの情感が表現できるだろうか、そういう低い次元の杞憂を吹き飛ばす快作であった。
なんといっても、この作品をフィメールキャストでやると判断して、それを見事に舞台化した演出が第一の功績だろう。女性がやることによって、ドラマの中身が抽象化されて人間が権力に侵されていくテーマが明確になった。その権力の闘争を裸舞台で俳優の動きでダイナミックに造形していく力量、それに答えた女優たちは必ずしも役にふさわしい人気のトップスターではないが、舞台俳優としての日ごろの評価を十分に発揮している。。
登場人物全員、濃淡のある臙脂色で統一したローマ風衣装は、個々の役柄の説明を拒絶しているが、それがかえって俳優の魅力を引き出し、それぞれの権力に取りつかれていく人間像を引き立てている。中ではやはり主演の吉田羊。預言者の三田和代。人気だけに頼らない的確なキャスティングもいい。シーザーとブルータスの死の場面で流れる観客が全く予想できない優美なピアノ曲。序幕シーザーの凱旋から崩壊まで2時間15分・休憩なしの一気呵成にまとめたテキスト・レジの力も大きい。などなど、様々な仕掛けが相まってこのユニークなジュリアス・シーザーが生まれた。
選挙で権力の交代期にこのドラマを、と言う時宜を見据えたパルコの企画力も大したものだ。しばらく劇場がなかったパルコにはぜひ、興行界がなびいている(新国立劇場までも!!!)タレント興行ではない実のある演劇興行を成功させてもらいたいものだ、とは言っても、この優れた舞台、残念ながら、いかにも芝居好きの大人たちの観客でも、客席は半分しか埋まっていない。当日前売りで安価な切符も出ている。