公演情報
「All My Sons」の観てきた!クチコミ一覧
満足度★★★★★
ずっと不穏な空気が漂いながら、なんとかこの場を過ごせば…という感じから、後半の爆発後はとにかく神野三鈴さんの一挙手一投足から目が離せなくなりました。
満足度★★★★★
鑑賞日2020/10/03 (土) 13:00
家族・罪・欺瞞・信頼・愛情・隣人……さまざまな要素が重なり絡まりつつ立ち上がっていく物語に息を飲む約2時間半。ずっしりと見応えがあった。キャストも皆さん素敵で、特に神野三鈴さんをはじめとする女優陣の演技に釘付けになった。
満足度★★★★★
戯曲はすでに古典的な有名作だが、初めて舞台を見た。すばらしい傑作だった!!。戯曲、演出、俳優、美術と3拍子も4拍子も揃った充実の舞台だった。ケラー家の庭での朝から翌未明にかけての一日の出来事。古典的な三一致の法則にのっとったかのよう。最初はご近所たちとのたわいもない話で幕を開けるが、次第にこの家をむしばむ「罪」が明らかになる。背景の二階家は、内面で傷ついた家庭を象徴するかのように、一部が焼け焦げて崩れている。庭のど真ん中の、大風で倒れた木は、リンゴ。聖書にあるように「罪」を象徴するようだ。
次男のラリーの戦死を受け入れずに現実を逃避する、母親役の神野三鈴がとくにすばらしい。あらためて気づいたが、声がいい。低音が混じり奥深く響く。しかも、この現実逃避した母親が、最も現実に近づいていたことが最後に分かる。つまり、他の人は気づかない怖ろしい深淵を、ただ一人予感していたから、母親は逃避するしかなかったのである(現実は、母親の予感以上に過酷なものだったが)。
父親役の大谷亮介は、最初はただ偉そうにしているだけに見えたが、それが自分の秘めた罪を虚飾するものとわかってくる。元共同経営者スティーブ(パイロット21人が死んだ大事故の原因の、欠陥部品納品の罪で刑務所にいる)の息子のジョージ(金井勇太=好演)に対し、悪いのはスティーブだということを、自信たっぷりに丸め込む場面は見事だった。長男・クリスの田島亮はかっこよく、死んだ次男の恋人だったアンの瀬戸さおりも美しく素敵だった。
日常のリアリズム芝居から、奥深い思想、戦争批判、おカネが人を狂わす資本主義批判へ。「戦争も平和もつまりはカネだ」という資本主義・帝国主義の醜い事実を照らし、「戦争で儲けたやつら」に裁きを下す。井上ひさしの「闇に咲く花」「太鼓たたいて笛吹いて」を思い起こさせられた。似ているところが多々ある。
最後に。日本で戦争を批判すれば戦争指導者(天皇も含むかどうかは別にして)による無謀な戦争がまず批判の第一になるが、アメリカのこの劇に、その要素はない。「正義の戦争」だからだ。「戦争で儲ける奴ら」への批判が第一となる。それが、逆に普遍的な資本主義批判につながる。
また、子世代が父世代を批判する厳しさも欧米的なもの。ドイツのナチス世代を批判する戦後世代も同じ。日本では、元兵士だった父親を息子たちはあまり批判しない。あるいは、戦死した戦中世代が、戦前世代を批判したりしない。あるいは批判は少数にとどまる。この違いはどこから来るかはわからない。
満足度★★★★
「劇作家より演出家」を自称しても劇作家色の濃い詩森氏が、今回は古典を相手についに「演出」だけをやる(正確には翻訳で「書いて」いるが..)。演目・俳優陣と相まって興味津々、日程危うかったがどうにか観劇できた。
本企画は○○劇場プロデュースかと見紛う本格的な古典戯曲への取り組みで、詩森氏が自らの「演出家」像をトラムの土俵にさらす、言わば勝負舞台。して堂々たる舞台化だった。
この作品の現代との隔たりをどう捉え、処理するか、という点では評価がしづらい。劇の「調」としては、昨年新国立研修所の成果として観たイプセン作「社会の柱」が思い出された。こちらも地元のある会社の主の「罪」にまつわるドラマ。自らの過去の「嘘」によって今は名声を手にするが、当時を知る者の帰還により転覆の危機に見舞われる展開。ただし最後に「人間賛歌」が高々と歌い上げられる。
一方アーサー・ミラーの処女作という本作は、大戦後のアメリカの片田舎の町が舞台で、地元で成功者となった事業主ジョーにも「罪」の影が。
主人公である息子(社長の)クリスは、戦死(戦闘機が墜落)した弟ラリーの元婚約者アンを遠方から呼び出して彼女への思いを遂げようとしているが、母ケイトはラリーがまだ生きていると信じて疑わず、ラリーとの関係解消を意味するクリスとアンの結婚も当然受け入れられない・・この基本構図にアンの父(ジョーの共同経営者だった)を含めた戦時中のエピソードが絡みついて来る。
作家の筆力と、場面の狙いを的確になぞるケイト役神野三鈴の(演技的)八面六臂の最大が、第二幕でジョージ(アンの兄)を迎える場面。久しく故郷を離れたジョージは弁護士となり、獄中の彼の父(戦時中戦闘機のエンジンの部品の不良品を納品して約20人の兵士を墜落死させたスキャンダルでクリスの父と共に実刑を食らうがジョーは早々と出所)に会って証言を聞いたことで激高し、クリスの家を告発しにやってくるのだが・・。ジョージ演じる金井勇次も、登場しない父親に通じるだろうあるキャラを体現し、温かく残酷で切ない。
田島亮は2012年に同じクリス役を演じていた模様(この演目が今回選ばれた理由はそれだろうか)。罪を問う道徳劇のようなラストの生硬さそのままに、クリスの演技も生硬であったが、ドラマの「目線」となる役として不問に付されるも最後には母ケイトから「あの子は何者なのか分からない」と言わしめる謎が確かにある人物。このあたりで「戦争」が彼に何をもたらしたかを(観客に勝手に)想像させる何等かの引っ掛かりが欲しかった気がする(戦争は我々にはブラックボックスだ)。
一家の主(社長)ジョーを演じた大谷亮介が、本人のキャラもあって「人物」先行、台詞をニュアンス優先でねじ伏せた感が随所にあり、結果人物の魅力を放つ。彼が「神の眼差し」からくる罪責にでなく、息子の死の真相を知って絶望するラストには、これは戯曲通りだろうか、若きケイトの前に肩で風切るジョーが現われるという二人の出会いの濃密な一瞬がよぎる。彼の唯一の倫理「家族のため」の原点であり、この世の凡そ全ての人間が「そのために」生きる現実はあるが、不良部品の飛行機で墜落死した兵士らの存在が眼中になく、それでいて情熱家に見えるジョーの人物像は、(日本人の自分には)一般化しづらいものがある。アメリカでは「こういう人いるいる」の一類型なのだろうか、先日観た「心の嘘」の北部の親父を思い出す(あれほど酷くないが)。
作品背景についてはそんな風に納得しておこう。だがこの舞台の味はやはり俳優の仕事。そしてそれを引き出した演出の仕事も記憶に刻んでおこう。
満足度★★★★★
鑑賞日2020/10/03 (土) 19:00
演劇の魅力に溢れた舞台だった。観るべし!
通常『みんな我が子』という題名で上演される、アーサー・ミラーの1947年の戯曲で、私も2011年の新国立劇場での上演を観た。主宰の詩森は、本作を上演するにあたって新訳を試み、脚本・演出を担当するのだが、このチャレンジングな姿勢が舞台を作る原動力になっていたように思う。2011年に出演した田島亮が同じ役で出演。
物語は第2次世界大戦直後のアメリカ地方都市で飛行機の部品を作る工場を経営するケラー家を舞台に展開される。不良品を空軍に納入し21人の若者を事故死させたとの罪を問われるものの何とか無罪となった父のジョーを軸に、長男クリス、母ケイトらの家族と、3年前に行方不明となった次男の元恋人でクリスとの結婚を意識するアン・ディーバーとその兄、そして、ケラー家を取り巻く隣人たちを描く。徐々に事情が説明されていき、さらに、不良品納入の経緯や次男の死の謎が徐々に明らかにされていく戯曲の展開が見事である。2011年の上演を観たときよりも分かりやすい舞台になっていたのだが、それは「父と息子の葛藤」という文脈で語られることが多い本作に、母ケイトの視点を加えて再解釈したことによると思う。
その意味で、ケイトに神野三鈴を置いたことの意味は大きいし、叩き上げの父親をしっかりと演じた大谷亮介の存在感も重要である。この2人を含む役者陣の確実な演技と、演出の力量が感じられた。
なぜ今これを、という思いもなくはないが、そんなものを圧倒する素晴らしい舞台だった。トリプルコールもさにあらん、と思うし、私も基本的にはしないスタンディング・オベーションをしてしまった。
満足度★★★★★
鑑賞日2020/10/06 (火) 19:00
登場人物の感情の変化に付いていけない所もあったが、とても見応えのある舞台だった。そして3度のカーテンコールとスタンディングオベーション。この時期に演劇が見れるお客さんとやれる役者さんの、共に感謝と喜びの思いが詰まった心に残る瞬間だった。
上演時間は約2時間30分(10分休憩含む)。
『野鴨』の影響が色濃く出ている、リアリズム劇作品。
最近では、2020年2月に、同作品が俳優座劇場プロデュースで、
『彼らもまた、わが息子』の公演名で新訳上演されている。
つい先日まで赤坂レッドシアターで、
PLAY/GROUND Creationが上演していた
『BETRAYAL 背信』とは好対照。
満足度★★★★
俳優たちの演技は迫力があるし、2階の壁がパックリ開いていて暗闇が見える家の舞台装置も興味深い。演劇としては良い作品と思うが、原作(?)のストーリー展開について行けなかった。うまく言えないが、登場人物たちの気分がすぐに変わり、急に楽しげな話題で盛り上がったりとか、ちょっと無理があるだろうと思ってしまう。
満足度★★★★
アーサーミラーの1947年のデビュー作だからさすがに古い。アメリカ演劇が注目を浴び、勢いのある時代の気合の入った作品ではある。三位一体古典劇のしっかりしたつくりだが、芝居の中身はイプセン風の古めかしい社会倫理ドラマである。確か民藝が数十年前にやった、いかにもそういう作品だ。
アメリカンドリームに乗った起業家の製造責任を、その起業家の家庭劇の上にのせている。起業家は金物製造業で戦時中に戦闘機のキャブレーターを作っていたが、不良品を納品してそのために21機の墜落があった。それの責任を共同経営者に押し付けて、工場はうまくいっているように見えるが、裏ではそしられている。その起業家と二人の息子の運命の一日を描いている。ニューヨークから列車で二三時間という地方都市の起業家のポプラの大木がある家のオモテの一杯舞台の装置が、小劇場としては東京随一の天井の高い、奥の深い劇場の特性を生かしてよく出来ている。
俳優は神野三鈴、大谷亮介、に脚本・演出の詩森ろぼの劇団シリアルナンバーから田島亮など。意外に皆神妙な新劇風で、戯曲解釈も舞台作りもオーソドックスと言えば聞こえはいいが、どうにもいじりようがなかったのではないか。今この作品を取り上げる意味も伝わってこなかった。
今月はアメリカ演劇を十二人から始まって、心の嘘、みんな我が子と名作ばかり見たが、改めてアメリカという国に生きる難しさを感じた。また、いずれも日本人にとっては、ホントのところはよくわからない、隔靴搔痒というところも、どの舞台からも感じられた。